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ああ、全日本プロレス



1987 世界最強タッグ入場式


天龍さんの引退に、相撲界でも惜しむ声がありましたね。


185センチ、110キロという細身ながら、回転のいい上づっばりでした。角界で直接当たっている親方も少なくなり、北の湖、出羽の花(出来山)、琴風(尾車)など。対千代の富士は3戦3勝でした。


「プロレスは腹いっぱい」は名言ですね。今後は奥さまの看病と同時に、事務所社長さんである娘さんがガンガン仕事を入れるのではなかろうかと(;´Д`A ```


 


さて、アップしたこの曲、「セルジオ・メンデス/オリンピア」を聞くと、昔かつて馬場さんが健在で、地上波放送もしていた全日本プロレスの冬の風物詩、「世界最強タック決定リーグ戦のテーマ」として流れると、「あー、冬が来たなぁ」と感じるものでした。天龍も阿修羅原などと暴れまくってましたね。

 日テレは、当時ウルトラクイズ箱根駅伝のエンディング曲など名曲をよく発掘していて、この曲も聞くとジーンときますね。
 


 ものの本や、レフェリーであり、長年馬場さんのお世話をしていた和田京平さんの著書によれば、たとえ放送が深夜枠になり、放映料が下がったとしても、この最強タックと春の「チャンピオンカーニバル」には「協賛金」という形で、日本テレビから出資されていたそうで、そのときのみ来日する外国人選手や、とにかく普段は交互に来るようなメンバーが一堂に会してきていたもので、勝敗はもとより、ワクワクするかカードが目白押しだった。


 


 あれから時は流れ、馬場さん逝去後右往左往していま、全日本プロレスは風前の灯火になっている。ノアから分裂し、全日本に戻った金丸・潮崎・鈴木鼓太郎に、三冠チャンピオンら陥落した曙も離脱した。


 


 武藤離脱後、「王道を守りたい」というのと、当時ノアが「黒い交際疑惑と、仲田龍謎の死去」にゆれ、やむに已まれず退団して全日本に合流。秋山が社長となり、解雇された和田レフェリーの復帰、曙の入団、三冠ベルトの新調と王道トーナメントの新設など華々しいものでしたが、武藤が連れてきておいてひっかきまわしてめちゃくちゃにした経営パートナー会社に代わるスポンサーがなかなかなく、よくてケーブルテレビ山形など、零細企業ばかりでした。取締役で60過ぎて独身な渕正信選手のブログを見ていると、「今月も何とか食いつないだ。酒があればどうにかなるし、ごちそうになってばかりいる」と、白内障の眼内レンズがずれたり、肩や腰に爆弾抱えても生活のためにやらざるを得ない内容を見ると泣けてくる。


 


 おなじくがたがたなノアはやはりCSでも日テレが支援し、定期的に放送していたり、新日本との関係で何とか盛り返しているだけにいたい。


 


 いいところで閉店してしまえばよかったんだ。あるいは武藤が絡んだところで所詮経営というものはきちんとした方に任せるべきなんだ。指南役がいなくなったら終わりなんだよ。


 


 われわれはいい夢を見せてもらったのかもしれませんね。




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