虚脱感がある。満天の青空の下でぽけーっとしている。戴冠戦から続けて報酬の美味しすぎる終章レイドへ。2025年の1年間、自分はレベル上げの楽しさを本当に存分に味わってきた。アルファツイッタラーが「ゲームの最終盤だからプレイヤーへのレイド周回の動機づけとして素材報酬が効果的でなくなる……ところをシナリオでプレイヤーの心に火を点けて解決してるfgoってやっぱスゴ」という投稿をしていて、それを見ておれは一理あるとしつつも、いや報酬もぜんぜん美味しいが!?(報酬目的でぜんぜん回ってるが?)と思っていた。絆ポイントもさることながら(かなり石を稼げた)、獣の足跡のドロップがやはり大きかった。今まで入手方法が限られていたアイテムで、これを報酬とするのは一線超えたレベルで破格だった。種火もありがたく、しかしこちらは飽和していて、もうレベルを上げられる鯖がいなかったので途中から星5種火をショップで売却しながらレイド周回をしていた。
だが、その投稿にはやはり一理はあった。もうゲーム自体が終わりのフチにあるのだ 終わる間際に過去最大級に美味しい周回イベントを開催しても、それで得られたリソースを活かす先がない。終わりとはそういうことだ。そして肝心のストーリーもそういう話をしていた。プレイヤーの体験と作中主人公の体験が一致するすばらしいゲームの構成、ストーリー展開だ。お前は自分のこれまですべての道程がすべて無に帰すとしても、それでも善を為そうとするのか? いや、する。するよもちろん。けどちょっとまって、先にアペンド開けてくるわ……
今まで貯めてきたリソースを手放すのが惜しい。おれはそう思ってしまった。作中主人公=ぐだたちはリソースどころの話ではなく記憶も含めた一切合切を失うが、プレイヤーにはこれまでのすべての記憶が残っている(そういう意味ではここではプレイヤーと作中主人公の状態はどうしようもなく異なっている)。記憶が、体験が残っているのならいいじゃないか。そうだよな、そのはずなんだ…
実際に終わりのその先にたどり着いて、改めてゲームにログインする。取り戻した青い地球をバックにログインボーナスを獲得した。あ、貰えるんですね。というか今まで集めたリソースも別に無くなっていない。ゲームのデータは今までと変わらずにそこにある。
それを知って安堵する……のかと思いきやそうでもない。いまだに虚脱感が残っていて、そのことに疑問を抱く。おれはどうしてこんなに虚無な心地になっているんだろう。
考えるに、おれはゲームの中で強くなりたかったんだと思う。ストーリーが、物語が終わった今、「強くなる理由・目的」を失った。レベル上げをする理由・目的を失って、おれはたぶん途方に暮れているのだ(自分はゲームのレベル上げにはセラピー的な側面があると思っている)。
正直に言うと消化不良感がある。消化不良というか……おれはもっと戦いたかったんだと思う。周回で鍛え上げた力をすべて発揮する前に最終戦が終わってしまった。コマコにアペンド、フォウくんクラスコそしてグランド……リソースを投入できるすべてのシステムを活用して育て上げた戦力は過剰だった*1。おれは全力を出し切れなかった。
その後のストーリーも少し短く感じた。もっとどっしりとしたものがあるかと思っていた。
理屈ではなく感覚で、ちょっと納得がいっていないところがある。もっと白熱したかった。おれは力を持て余していた。戦闘もストーリーももっと大きなボリュームを期待していた。
……なんか手段と目的が入れ替わってしまった怪物みたいな感想だな。でもこれが自分の率直な想い……だと思う。fgoの終わりにちょっとだけ物足りなさを感じている。
しかし理屈の上では納得しているのだ。リソースの使い道がもうないとしてもレイドの報酬は美味しい方が絶対嬉しいし、最終戦だって一度でクリアできなかったらそれはそれで文句を垂れてただろう。ストーリーのロジック面はレイド前までで整理解説されていて、レイド以降はもう単純な力のぶつかり合いであり、レイドと最終戦で(ストーリー上の)持てる力はすべて使い果たしているからそれ以降の展開は最小限。あとはけじめをつけるだけ。
そう、納得できるのだ、理屈の上では。ただ感覚的には少し肩透かしだったかも、と思う。でも最終戦をあっさりと乗り越えられたのは今までぐだ達と関わってきたみんなの支援があったからでもあって……そうか、つまりおれ達が作中で築いてきた縁が、絆が成し遂げたのだ。純粋な力だけで戦ったのではなく、今まで紡いできたあらゆる絆が力に転化されたのだとしたら、そりゃあ過剰になるのも仕方ない。おれ達の旅路はそれだけ充実していたのだ(これまでどれだけの世界を巡ってきたと思う?)。
虚脱感ともやもやをエネルギーにここまで書いてきたが、自分が納得できる理屈(絆の勝利)を見つけられたのでこの文章は書いてよかった。それはそれとして……ちょうど1週間前の星川サラのように、レイド周回の部分をすっ飛ばして(=決断戦のみで)時間を空けずに続けて最終戦に挑めていたら、レイド前のストーリーの熱を維持したまま最後まで駆け抜けることが出来、上述した物足りなさを感じることなく心から物語を楽しめただろう。(星川サラは本当に(自分にとって)いいタイミングでfgoを始めて、そして一部終章までたどり着いてくれたと思う。彼女のおかげで自分の二部終盤のストーリーの楽しみが増したところが確実にある。) でもリアルタイムでここまで共に過ごしてきたゲームで、あのストーリーで、レイドに参加しないなんて手はない。たとえレイドがどれだけリソース=貯蓄をプレイヤーに意識させるとしても、すべてが終わった暁にはその貯蓄に前途がなかったとしても……レイドに参加しないわけにはいかなかった。
旅路の終わりを理解して、それでも善を為すことを選んだ。最後の確認でクエスト開始をタップしたのは自分だ。最終戦のあたたかい手応えにも納得のいく理屈を見つけた。……それなのに、なんでまだ自分の心は立ち上がれないんだろう?
おれはぐだの心理を遅れて追体験しているのかもしれない。覚悟のないまま終わりに飛び込んで……終わった後で実感している。そうだ、たぶんおれには覚悟がなかった。理解したかのような顔をして、その実、ある物事が「終わる」ということを本質的に理解していなかったのだ。
おれの虚脱感はストーリーの、ゲームの終わりを本心では理解していなかったことに起因しているのだと思う。理解していないのだから覚悟なんてできようはずもない。ああ、ギャンブルで負けた人とかこんな気持ちだったのかな。理解・覚悟なく突っ込んで、終わった後から実感する。完全に一緒ではないにせよ、形くらいは似てるような気がする。
自分は理屈の正しさにさえ確信が持てるなら、気持ちの面はある程度無視してしまう悪?癖を持っている。今回もそうだ。ぐだ達の行いは正しいと思った。だからそのまま突き進んだ。その結果ぐだが、自分が実際にどうなるのか、どういう気持ちになるのかはあまり真面目に考えていなかった。というか考えてもしょうがないとすら思っていたかもしれない。それが正しいと思うなら、気持ちはどうあれやらなくてはならない。そんなような思想が自分には仄かにある。
たぶんそういうことなのだろう、この虚脱感・喪失感は。しかしこの感覚をもってようやく自分はこのゲーム=物語の主体に、主人公になれたような気もする。すごい……皮肉なことだ。ネガティブな感覚で同期を感じるなんて。
この文章を書くことで自分はようやくぐだ達に追いついたのだと思う。しかし「最終戦前のぐだ」にだ。「最終戦に挑むと決めた、戦ったぐだ」にではない。おれはまだ立ち上がれていない。そして立ち上がる最後の機会だった最終戦はとうに過ぎ去った。
納得とか満足なんて関係ないんだよ。終わりとはそういうものだ。
大丈夫、おれはこの文章を書いた。これは代償だ。もしこのまま立ち上がれなかったとしてもおれはそのままで生きていく。このもやもやはおれがfgoをプレイした証だ。ただ少し、今は時間がほしい。まだ心が整理できていない。もう少し考えたり、ただゆっくりしたりしようと思う。
