自分がメルストや、その他自分が本当に好きな作品を好きな理由について考えたところ、自分は「人間以外にも心があってほしい」という願いを持っているのではと思いついた。
メルストがストーリー完結ということで、今いそいでストーリーを読み漁っていて、現在メイン2部の雪の国を読み終えたところだ。ということでまだぜんぜん読み終わっていないのだけど、今まで読んできた部分のみからでも伝わるメルストの良さとして、博愛精神とか非暴力の姿勢というのがあると思う。今まで「敵」とされてきた存在(=モンスター)に対してそのまま敵対するのではなく、互いに分かり合える存在として愛を持って接するという。そのコンセプト・スタンスを真剣に追求しているメルストはもう本当に存在自体が尊いものだと思う。
そして、そのスタンスの前提として「モンスターにも心がある」という認識がある。メルストにおけるモンスターとの融和の物語は、まずどうにかしてこの認識を獲得するところから始まる。
メルストはいわゆる「第三の道」を模索していく物語として、よくある物語よりも一段階深く、かっこいいのだが、そのひとつ前の段階で……「人間以外の相手に心を見出す」という前段の時点で自分は心を打たれていたのだと思う。
なぜ人間以外にも心があってほしいと願うのか考えると……まあ、究極的には寂しいからなのかな。人間以外の生き物や物にも心があると考えると優しくなれると思うし、なんというか自分のあらゆる行動に意味があるように思える。意味があるというか……自分のあらゆる行動には「相手が存在する」という意識になる。その結果として行動に緊張感が伴う(し、愛も生じる)。
書いてて思ったけど、この効果は宗教のそれと同じなんじゃないかなと思う。といっても自分は無宗教なので想像での話になるのだけど、「常に相手が存在する」という意識は、それは「常になにかに見られている」という意識と近いのではないか。日本では「八百万の神」とか言ったりしますが…。
話を戻して……自分がメルストを好きな理由のひとつとして、上述したようなものがあるんじゃないかなと思った。さらに言うなら、メルスト以外にも、もっけ(個人的永遠のオールタイムベストマンガのひとつ)とかわんだふるぷりきゅあ!とかUnpackingに自分が感動するのにも、同じ理由やそこから派生した回路が働いているんじゃないかなと思う。
自分は物心がついたころからは祖父と祖母に育てられたのだけど……彼らの振舞いで今でも心に残っているものがある。服でもなんでも、長く使ってきた道具を処分するときに、彼らはその道具に「よく奉公してくれた」と言うのだ。自分のこの少し宗教的?な願い、あるいは感動の「ツボ」は、もしかしたら自分の親たちの振舞いに由来しているのかもしれない。