普段あまり(オタク的でない)一般社会の情報に接していないのですが、それでもわずかに触れる情報からなにかが心に蓄積したりします。そんな感じで溜まったものが噴出した記事……かなあ。
今朝変な時間に目が覚めてしまい、起きたくないけどなぜか寝つけもしなくて、なんとなくスマホでXを開きました(余計寝れなくなった)。そこで見かけたポストから考えたことを雑に書き連ねた記事です。つまり雑文だし、スマホのメモ帳のコピペです。整理されてない部分もあるので注意。
・きっかけとなったツイ
公務員みたいな側にいたこともあるけど、当時も罵声を浴びせる人たちがいて、「私たちはこんな人たちのために働かなければならないのですか?」って言ったら先輩に「私たちは感謝されるために働いてるんじゃない。やらないといけないことをやるだけ」って言われたんですよ。当時先輩30歳くらいだと思う
— ヨボみ (@yobomine) November 18, 2024
以下ツリーも含めて引用。
公務員みたいな側にいたこともあるけど、当時も罵声を浴びせる人たちがいて、「私たちはこんな人たちのために働かなければならないのですか?」って言ったら先輩に「私たちは感謝されるために働いてるんじゃない。やらないといけないことをやるだけ」って言われたんですよ。当時先輩30歳くらいだと思う
いやつらすぎるだろ つらすぎたよ
これにすら「当然だろう公僕なんだから」って思う人は私をブロックしてください
本当にフォロワー減った だから気軽にフォローするなって言ってるでしょ
斎藤知事関連で公務員に対する反応が流れてきた。これを見て自分はツイ主側に同情するような気持ちになったが 同時にあることを思い出してもいた。ブルアカの百花繚乱編だ。この物語のある部分……に対して、ツイで書かれた「当然だろう公僕なんだから」に似た種類の思いを抱いたことがあった。つまり、自分の中にもこの「当然だろう公僕なんだから」と同質の、いわばハードコアな思想が少なからず存在するということだ。
その思想が常に100%表に出るわけではない……ということは、前述したように自分がそのツイ主側に同情したことから分かる。同時に、その思想を一切持たないわけではない、ということもブルアカの件から分かる。程度の差はあれど、自分はそういう考えを持っている人間なのだ。
なんでこんな同内容を繰り返したかと言うと、おそらく世の中の感覚、職業倫理はツイ主側の方向に動いていると思われるからだ(たぶん。少なくともインターネットを見てる感じではそう)(インターネットが偏ってるだけということもあるだろうが、今は脇に置いておく)。もう少し詳しく書こう。ツイ主側の感覚が勢いを増している時代の中で、それに対立する感覚・思想を持っているということは、まあ言ってしまえば「時代遅れ」なのだ。自分ももう事実として若くはないのだけど、今回の件でこの「時代遅れ」な部分を自分自身の中に発見してショックを受けた。このショックこそが先ほど同内容を繰り返した理由(つまり強調)であり、また本記事を書いた動機でもある。
(飛ばしてよい)ブルアカの件の説明を少しすると…… 百花繚乱編のメインキャラは治安維持的な活動をする組織の一員(警察とか風紀委員に近い)なのだけど、心の問題で実力を発揮できずにいた。そしてタイミングを見計らって自治体というか学校が悪者に襲撃されるのだけど、町が炎上し住民が傷つけられていくという状況にあっても、心の問題で悪者に対処できずにいて……というところで、読者の自分はいやいったん心の問題は脇に置いて緊急事態に対応しようよ、と思ってしまうのだった。
そもそもこのキャラ(ナグサ)が治安維持組織に身を置いている理由の100%が人間関係由来で、別段、町のみんなを守りたい!とかは思ってないっぽいのもモヤモヤポイントだった。誰でも、どういう動機でどんな仕事をしてもいいというのが大前提だとは思うけど、それでもモヤモヤしてしまうのは自分がその公務員的な仕事を特別視しているからなのだろう。
(率直に言えば、自分はナグサはキリノの爪の垢を煎じて飲めと思っている。百花繚乱の活動内容が治安維持じゃなければもっと素直に話を楽しめたかも、とも。
能力の問題じゃないんだよね。動機の問題で……。ナグサは見栄を気にして動けなくなってるんだけど、この状況で動けないこと自体がさらに見栄を毀損するという負のループに陥っていて。自分は見ていられなかった。だから百花繚乱の活動内容が見栄を張ること……なにかのモデルさんとか、そういうのだったら話は丸かったと思うのだけど、よりにもよって治安維持という。自治体が襲撃されてる緊急事態になんでなりふり構ってるんだこいつ!?というのがまあ率直な感想。)
話を戻して… 「おそらく世の中の感覚、職業倫理はツイ主側の方向に動いている」と上述したが、もしかしたらそれが揺らいでいることを示したのが今回の兵庫&アメリカの選挙だったのかもしれないな、とも思ったりする(自分が時代遅れになったことへの負け惜しみとかそういうんじゃないです)。一応言っておくが、自分はツイ主側の、言わば「ゆるい」思想も持っている。「ゆるい」というものではないな。常に人が個人の幸福を追求することを肯定したいと思っている(ツイ主の感覚を言い換えるとつまりこういうことだろう)。というか普段はそういう思想の方が自分の中でも優勢だと思う。というかというか極端なことを言えば、そういう思想を持っていなければ個人として幸せになることはできないだろう(だから基本的にはほとんどの人がこの思想を持っているはず。程度の違いはあれど)。
(簡単に調べた感じ、「個人主義」という言葉がこのゆるい思想に当てはまってそうなので、以下では個人主義と呼ぶことにします)
ただ、ワークライフバランスやQoLといったような概念が象徴するこの思想は、「(人類の手によって)世界の豊かさは増し続ける」という前提があってはじめて成り立つものだとも思う。だから、個人主義が揺らいでいる(かもしれない)現状は、その前提が崩れつつあることを意味しているのかもしれない。
簡単に言うなら、「みんなが裕福になってきた⇨ので個人の幸福を追求しはじめた」のが少し前までの話で 「個人の幸福が追求しづらい⇨もしかしてみんな貧乏になってる?」ってのが最近の話 ということ? え、世知辛。
少し飛躍しすぎな気もするが しかし事実のようにも思う。だって普通は……人間がまともに人間していれば、時間が経てば経つほど世界は良くなっていくはずなのに、20年代って時代錯誤的なヤバい出来事しか起こってない。別に世界じゃなくて、日本だけを見ても徐々に腐っていってるという感覚しかない。闇バイトなんて象徴的でしょ。エグい。
そんな感じで… なにか結論があるわけでもなく、ただ思ったことを書き散らしただけなんですが。20年代がこんな暗い時代になるとは思ってなかったなあ、という感慨があります。人類は常に踏ん張ってきたと思うけど、まだまだぜんぜん踏ん張りどころなんだろうなという。というか多少浮ついていられたここしばらくが奇跡だったのかもしれない。いや浮ついていられてたかは知らんけど…