社交不安障害診断済みの猛毒です。社交不安障害の人は一度ならず何度も考える事があります。今回はその事について書いていきたいと思います。
率直に言えば、
人と関わるのが苦痛なら、人と関わらなければ良いのではないか。
という事です。人と関わるから症状が出る、つまり苦痛が生じるのだから、それを避ければ、心身が安定するのではと社交不安障害の方は考えると思います。私も何度も考えるし、常に頭の中にあります。
でもいつもこの思考はこの考えで止まります。それは
人との関わり断つのって生きていく上で無理じゃね?それが出来たら苦労しない。
です。
人との関わりを完全に断ち、生きる人もいるにはいるが...
海外では完全自給自足をして、人との関わりを持たず生きている人がいます。アメリカでは個人で山や森を買い、銃での狩猟、農作業等で自覚している人達もいます。サバイバルで孤独に生きる人達の権利も与えられていて、私有地に入り込んだ人を防衛的に射殺した事件もあり、確か3人が死亡しましたが、それが考慮され、懲役十数年と比較的軽い判決になった事件もありました。
極端な例では北センチネル島の事例があります。非接触部族といって、干渉されない権利を特別に与えられています。ある宣教師が宣教の為、上陸した際に殺害されましたが、インド政府は法の及ばない所で行われたとして、捜査をしない方針を打ち出しました。
世界には人に頼らずに生きている人もいる事は事実です。しかしこれらが社交不安障害の人に向いているかと言われれば、答えは否でしょう。
そもそも日本では実現は不可能に近いと思われます。
前者は山林の多い日本なら行けるだろと思いますが、日本は銃社会でない上に、狩猟区も限られているので、無闇矢鱈に行えば、警察のお世話になってしまいます。農業はどうなのか?テレビでも出てくるじゃんとなりますが、完全には人との関わりを断っていない事が多いです。近隣を回って修理や清掃を行う、インターネットを使って野菜を販売、収穫した農作物を使った店を出すなど、人と関わらないどころか、下手な営業職よりも人と話す機会は多いし、田舎で都会よりも濃密な人間関係を構築しないといけないです。
ちなみに日本では精神疾患があると猟銃の免許は貰えません。近所への聞き込みもある為、日頃から周囲との関係が良好じゃないといけないとなります。
これでは関わりをなくすどころか、増えてしまいます。
北センチネル島等の少数民族も国際社会が勝手に孤立していると言っているだけで彼らの中にはコミュニティがあり、彼らなりの社会を構築しています。閉鎖されたコミュニティは合えば良いですが、合わなければ抜けることすらできない地獄だと思います。
日本では世捨て人が限界ではとなる
日本で孤立して生きるにはホームレスがありますが、あの世界もヒエラルキーがあり、出来る人、出来ない人で差がついてしまいます。アウトローも社会から外れる意味ではありますが、ほとんどは組織で成り立っています。そして生きるのが目的で犯行を行なっても、当たり前ですが逮捕されます。刑務所行きになります。集団生活にぶちこまれます。
となると何らかの社会保障を貰い、引き篭もる手が最も現実的ですが、たとえ保障を受けれても、通院やケアワーカーの介入、何より世間から離れていないので普通に人と接触してしまいます。これでは今より多少マシくらいで、人と関わる以上、心の平穏は見込めなそうです。
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と日本では人と関わらないで生きるのは非常に難しいという壁に当たります。
なんか絶望的な気持ちになりますね。社交不安障害は人が苦手なだけで何かに特化しているわけではないので、上の例のような、サバイバルや世捨て人といった普通よりも難しい、出来る可能性は非常に低いでしょう。
人と関わらない、マジで楽な生き方にありつけた運の良い社交不安障害の人もいるにはいそうですが、限りなく少ないでしょう。そういう方は大多数の困っている社交不安障害の人には当てはまらないです。そして情報も出てくる事もないです。己の境遇に満足していれば、わざわざ手間暇割いて、ネットになんか情報を載せる事はしないです。社交不安障害なら尚更です。
そもそも社交不安障害には孤独や孤立が向いていないです。何故なら
人と関わるのが苦手だけど、人と関わりたい、孤独、孤立耐性が0な事です。
いやいや、私は一人は全然辛くないよって人はおそらく社交不安障害というよりかはスキゾイドパーソナリティ障害だと思われます。どちらも人と関わるのが苦手ですが、
社交不安障害は人と関わるのは苦手だけど、人と関わりたいと思っている、孤独や孤立は辛い。だけどコミュニケーションが怖くて取れない。結果的に孤独、孤立感に苛まれる。
スキゾイドパーソナリティ障害は人と関わるのは苦手だが、関わりたいとも思わない。孤独や孤立が好き。だから進んで選ぶ。対人恐怖はない。もしくは薄い。
と過程が異なっています。ただ併発していて、90%は社交不安障害で10%はスキゾイドパーソナリティ障害、もしくは比率が逆などもあるので、複雑な心理を抱いている方もいると思います。
私的には社交不安障害の方は回避性パーソナリティ障害を併発している方が多い印象です。こちらは孤立や孤独を苦痛とするタイプです。スキゾイドパーソナリティ障害とは似ていれど、考えが真逆です。
よく混同されますが、人を避ける心理が別物です。
精神疾患は併発があるので、話がややこしくなります。私も例外ではないです。
私の場合
私はASDを主として、社交不安障害やうつ病を患っています。診断はついていないですが、回避性パーソナリティ障害もあると思われます。診断基準がまんま私の性格です。
なので社交不安障害もありますが、ASDやうつ病の症状も加わります。
文体が固くて、理屈じみた書き方を長文で書くところや、同じ服や食べ物、曲を延々と繰り返す、曲は同じ音楽を何時間、何十時間、何ヶ月も聞きます。こだわりも強く、それを乱されると普段は社交不安障害もあり、気が小さいですが、リミッターが外れると誰であろうと喧嘩します。SNSの書き込みも最近は気をつけていますが、過激な内容ばかり投稿していました。(今もしているだろ)
物への依存も強く、タバコもヘビースモーカーだし、酒も一度飲むとボトル一本開けるまで飲んでしまいます。薬もODするくらい、ガバガバ飲みます。希死念慮や衝動性が急に湧いてくることもあります。
社交不安障害とは違った異質な特徴が私には色濃く出ています。自分でも書いていて理解し難く感じます。
SNSの投稿も他の社交不安障害の方は穏やかな物が多く、言動も柔らかいですが、私はどうも違います。SNS始めてから、私は社交不安障害の中でも異形な存在だと自覚するようになりました。
それでも孤独や孤立は辛いです。目の前で仲良くされているだけで孤独や孤立感が湧き立ちます。
社交不安障害が強いので奇行が職場での不注意や無頓着、たまに起こす喧嘩くらいで済んでいます。社交不安障害のせいで苦しんでいるのにそれで救われている面もある事は否定出来ないです。
私は今は軽いですが、高校生から専門学校初期までの期間は今とは違う、ある意味スキゾイドというよりかは統合失調症に近い物がある時期がありました。
自分の心の声が漏れている、それを周囲が見透かして笑いものにしていると思い、思考が漏れないように視線を合わせないようにして、口から声が漏れ出ないように舌を噛んだり、口や喉を押さえたり、口の中に飴やジュースを含んでいました。またLINEの友達追加は思考を覗いて馬鹿にしている証拠だと思い、せっかく追加してもらったのにブロックしていました。
何気なく、肩をトンっと叩かれて、よう!と同級生に言われた時に私はこいつらはいつも自分の心を監視して苦しめてくる癖にふざけるなと思い、睨みつけた事もあります。相手は嫌だった?ごめん...と言っていました。私は今思えば明々後日の方向に思考を巡らせていました。
今でも人の多いところに行くと、心の声が漏れているのではと思う事があります。その時に見てんじゃねーよ、馬鹿が。◯すぞみたいな思ってもいないのに思って、それが声に出そうになって、咄嗟に口や喉を触って、言っていなかったを確認する事があります。
私は社交不安障害とは違う心理があるので紹介しました。
社交不安障害の人は人との関わりが苦手だが、孤独、孤立した生き方には向いていない
能力的にサバイバルや世捨て人が出来ない、環境要因もありますが、やはりこれが致命的だと思われます。実際上の例で紹介したアメリカの事件の犯人もスキゾイドパーソナリティ障害だと診断されていました。この手の生き方をしている人は大体この例です...
非常に残酷な話ですが、社交不安障害の人は辛い人間関係をしながら、我慢して生きていかないといけないのが現状です。友好的な関係が作れないのに学校や職場で嫌な関係に耐えないといけない、1人でいても孤独や孤立に苛まれる、それで病みを増やして悪化して、精神科に通院するという救われない展開に陥るのです。
生きているのに生きている実感が持てなくなるのです。自分から改善しようと関わっても挫折してしまい、また1人で生きていけたらという思想で頭を埋め尽くし、自分の世界へと避難する事を繰り返している社交不安障害の人は社会から見えていないだけで私含め沢山いるのだと思います。
SNSでも勇気を振り絞って始めたであろう社交不安障害の人がアカウントを消してしまう事をもう何度も見てきました。その度に私はこの病の冷酷さを実感しています。
人と関わるのが苦痛になってしまい、克服しようとしても、それからも遠ざけてしまうような行動を起こさせる、そして傍目からは好きでやっているように見える、何なら目にすら止まらない、何て悪魔みたいな病なのだろうと。
普通の人ですら、人と関わるのが嫌になって、交流を絶つ事はあります。SNSのアカウントなんて指先一つで消せるのでよくある事です。しかし社交不安障害の人は経緯があまりにも違うし、気分の問題で片付けられるほど、軽いものではないのです。
ネット上で姿を消した社交不安障害の人の投稿は、切実かつそれでいて、一生懸命やろうとした事がとても伝わります。読んでいてまるで私の事だと何度も思いました。けれども他者からいいねもフォローといった反応もない、曲がりなりにも人がいる空間なのに何もレスポンスがなく、自分が透明人間になったような感覚になったと思います。学校や職場と同じように。
私も痛いほどこの気持ちは分かります。私も今までに数知らぬほどこの思いをしましたし、今もあります。でも当たり前ながら気づいたことがありました。
一部の人以外は自分から働きかけないと人は目を向けてくれない事です。
SNSだと特に顕著ですが、大した事も言っていない、自分からは他者に関わらないのに、人がどしどし寄ってくる人もいます。腹減ったとか空が綺麗みたいな大したことない投稿から、使い古されたような格言を述べただけで、数百、数千、数万のいいねやリプライがついている人もいます。
見えてないだけで、その本人はかなり他者への働きかけをしている事もあるとは思います。しかし世の中にはカリスマ性なんて言葉があるように、人が寄ってくる能力がある人がいるのも事実です。
SNSではあまりにも可視化されるのでみんながみんな、注目されているように感じると思います。
けれども実際はそんな能力のある人はごく一部です。学校や職場で誰からも人気がある人ってかなり少なくないですか?なんなら注目のある人って賛否両論の否の部分も強くないかという事です。
社交不安障害の人はこの部分を知るだけで気が楽になるのではと私は重度の社交不安障害ですが、思いました。それでも割り切れてませんが...克服出来ていないのに偉そうな事を書いてすみません...ここからはというかほとんど自分に言い聞かせています。
社交不安障害の人は本音を言った方が良い事もある
私は心身の限界もあったのですが、職場で他人から何かを聞かれた時に本音をポロッと言ったことがあります。それも良い事ではなく、ただの悪口で不満でした。
そしたら相手が物凄く驚いたのです。こんな事言うんだ、思ってたんだと。それから逆によく話しかけてくれるようになったのです。SNSでもどうせ誰も反応しないし、見ていないのだから好き勝手言ってやろうと思ってやっていたら、思ったより反応がありました。良い意味で。
私は負の感情を人に話すことは良くない、私には負の感情しかないのだから、より黙らなければと思っていたので、これは非常に驚きでした。
側から見れば些細なものですが、私からすれば人生初めての体験でした。人は話さない人よりも何かしら話す人の方が良くも悪くも人の注目が集まるのだと思いました。
社交不安障害の人の中でも過激派に入り、主義主張がおかしい私ですら、プラスの面がありました。私よりも圧倒的多数な穏やかな社交不安障害の人であれば、理解まではいかなくとも仲良くなれる人が見つかるのではと思いました。
社交不安障害の中間層が見当たらない
話がややズレますが、この人達が見当たらないです。他の精神疾患だと寛解していないけれども、病に向き合い、生きている人の層が可視化されるのですが、社交不安障害の人だと本当に社交不安障害なの?みたいな変に明るいような、ただ飲んでいる薬でハイになってるだけじゃね、みたいな怪しい人を見かけます。
本音を話した方が良いとか上で語っているようなのを更にハイにした感じで人との付き合い方をセミナーの如く語る人がいます。
社交不安障害真っ只中で困っている人は更に困惑すると思います。私は過激派なので(n回目)、こいつら余計な事言って、ただでさえ理解されない社交不安障害をややこしくするなと思い、反感さえあります。
私はこの点を表記したのは、精神薬でハイになって主張しているのではなく、人と関わりざるを得ないときにどうしようかと思った時に苦し紛れで思いついたという事を伝えたい為です。
私自身が人と関わらないといけない仕事を選び、続けている
何を思ったか、私はどうせ死ぬなら仕事なら何でも良い、23歳に死ぬと決めていたので、この仕事なら私でも就きやすいと、この職業に就いている方には非常に申し訳ないですが、介護士を始めました。
この仕事は狙い通り、就活にも苦しむ事なく、ただ適当に近所の施設に電話したら、すぐに採用されました。
でも半分当たりで半分ハズレでした。就きやすいのですが、仕事が半端なくキツイです。肉体面は勿論、人との接触が介護なので当たり前ですが濃密で、職員とも密接に関わるので、社交不安障害の私はとても辛いです。
よく社交不安障害の最も良い治療法で行動認知療法が言われていますが、私は毎日、無理矢理人と関わる仕事を4年近くしています。つまり強制的に行動認知療法です。
実際している身としては、効果は△です。確かに全く関わらない時期よりはマシにはなりましたが、それでも普通の人から見たらかなりのコミュ障です。苦痛も凄まじく、うつ病は完全に無理に働いたせいです。働いてから1日10時間は寝ないとダメな私が2、3時間、下手したら眠れない、食事も1日1食になり、174cmで48kgしかありませんでした。希死念慮やそれに伴うODもあり、緊急搬送もあり、休職も二度しました。
今でも社交不安障害にかなり苦しんでいます。慣れない人と話したり、知らない土地に行くと不安がかなり強く、旅行の時は嘔吐してしまう事が多々あります。職場でも馴染めていません。他にも色々とあります。
そんな正に現に苦しんでいる人が社交不安障害の人は私の見る限り、ほとんど見当たらないです。
この私が名付けた中間層が見えないのが、社交不安障害が理解されないどころか、認知されない理由だと思っています。
治りきっている人はもはや別物だし、そうでない層は可視化されないことで、見えない病となっていると思います。
私は定型?の社交不安障害とは外れてはいますが根本的には同じだと思っているので記事にしました。
人と関わらなければはこの病では一度は考えるのではと思い、言語化したいと思いました。