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2009年におけるビデオゲームと物語の関係――Tom Bissell, "LittleBigProblems"

ものごとについて説得力を持って書くためには、あなたは良い語り手でなければなりません。ゲームという形式を見下しているような人々にも評価される文章を書きたいのであれば、物語を語ることをあなたの仕事にしなければなりません。物語について物語を語るのです。

https://www.ign.com/articles/2010/07/01/gaming-without-a-safety-blanket

リトルビッグプラネット』(2009)

・Tom Bisselのゲームエッセイ・インタビュー集『Extra Lives: Why Video Games Matter』(2011)の第五章。

【著者紹介】

・トム・ビッセルは1974年生まれ。もともと自身の海外ボランティアでの経験をもとにしたノンフィクション本でデビューし、その後は小説家としても活躍。*12013年にカルト映画として有名な『ザ・ルーム』を題材にした『The Disaster Artist: My Life Inside The Room, the Greatest Bad Movie Ever Made』(『ザ・ルーム』出演者であったグレッグ・セステロとの共著)を出版すると、これが17年に『ディザスター・アーティスト』として映画化されてアカデミー脚色賞*2にノミネートされるなど話題を呼ぶ。フィクション短編「Aral」も2016年に『Salt and Fire』としてヴェルナー・ヘルツォーク監督で映画化*3
 また2021年のドラマ『The Mosquito Coast』ではショーランナーのニール・クロスとともに企画と第一話共同脚本を務める。
・『Extra Lives』でゲーム業界でも時の人となった2010年以降は(「じゃあおまえがやれや」的なノリなのか)ゲーム脚本にも関わるようになり、『The Vanishing of Ethan Carter』や『Battlefield Hardline』の共同脚本、『Gears of War 4』『Gears 5』のリードライターを務めたほか、『Uncharted』シリーズや『What Remains of Edith Finch』にも関わる。
・ちなみに2016年にはデイヴィッド・フォスター・ウォレスの『Infinite Jest』の20周年記念版に序文を寄せている。すごいね。
・本書(『Extra Lives』)は基本的に雑誌に寄稿した文章から成っているっぽいのだが、ゲーム雑誌ではなく『ニューヨーカー』や『GQ』といったメインストリームの雑誌。いわばゲーム業界外の視点から書かれたエッセイ群ともいえる。ちなみに、ふだんインタビューを受けないことで知られるゲームクリエイターたちもこういう雑誌の権威には逆らえないらしく、ゲーム専門誌の記者から「あの○○のインタビューを取れたの!?」と驚かれることがままあったらしい。


【エッセイの概要】

・2009年にラスベガスで行われたゲームサミット「DICE(Design Innovate Communicate Entertain)」にビッセルが参加した時のレポートコラム記事。主に「ゲームにおける物語」についてフォーカスしている。
リーマンショックによる業界不況を背景に、それまでの大作主義による行き詰まりからインディーが芽吹きかけているゲーム業界で、ビセットは「ゲームにおける〈リアルに感じられるキャラクター〉とはなにか?」というパネルを見る。
 記事前半はそのレポートに割かれ、後半からはそのパネルをビッセルの隣で見ていたSCEサンタモニカのベテラン業界人との「ゲームと物語」についてのディスカッションとなっていく。
・2009年の話であるが、いろいろな要素が2024-25年と共通していて興味深い。つぎつぎとスタジオ閉鎖と首切りが行われてなんとなく閉塞感が漂い、ゲーム賞では感動超大作ではなく比較的カジュアルながらもしっかりめの作品(2009年は『リトルビッグプラネット』、2024年は『アストロボット』)が受賞するという状況。
・本記事で「キャラクターを信じさせるにあたっての障害」として描かれているCGのリアリティは今はだいぶ乗り越えられている部分ではある。また、「老人がゼロ」で多様性がなかったゲームの主人公たちもいまやバリエーションにあふれている。この15年でインディーゲームが果たしてきた役割の重要さがうかがえる。いっぽうで、ビッセルが最重要視する「物語と脚本」はどうだろう?
・「ゲームと他のメディアとの物語の違い」についてそこそこ掘り下げられており、普遍的に興味深い。
・著者はかなり口が悪い。本の他の部分でも終始当時のゲームのストーリーやライティングの稚拙にキレまくっている。そのキレ芸が読みどころのひとつではある。
・このエッセイについても例外ではない。このブログ記事ではかなりカットしてあるが。途中で出会った開発者にどんなゲームを作ったのか尋ねて、「『Call of Duty: World At War』のスモークのエフェクトを担当しました」と返されると、「この発言は『私は強制収容所の看守でした』というのと同じくらい決定的に私の会話モーターを凍りつかせた。」と書くところなどはその真骨頂。

【エッセイの本体についてのメモ】

【崩れ落ちつつある砂漠で】

・2009年、数年前にライティング・フェローシップをもらって居住していたラスベガスに戻る。ラスベガス郊外のカジノで催されるインタラクティブ・アーツ&サイエンス・アカデミーが主催のゲームサミット「DICE(Design Innovate Communicate Entertain)」に参加するためだ。リーマンショックの煽りを受けてラスベガスも打撃を受けており、かつてラスベガス居住時代にプレイした『Rainbow Six 2』を思い出す。
 リーマンショックの影響はゲーム業界とも無縁でなかった。「世界最大のゲームパブリッシャーであるエレクトロニック・アーツ(EA)は、2008年に約7億5千万ドルの損失を出していた」。また、『モータル・コンバット』の生みの親である老舗のMidway Gamesも倒産の憂き目にあい、二束三文で売り払われた。倒産直前にMidwayが開発していたゲーム『This Is Vegas』は、皮肉にも「ラスベガスを家族向けの観光地に変えようとする強力なビジネスマン」と戦う物語だったという。ゲーム専門誌の『Electronic Gaming Monthly』も廃刊に追い込まれた。
・DICEの会場でビッセルはアルという若いスタッフに出会う。ちょうど大統領に就任したばかりのオバマに話題が及ぶと、「2020年には、スーパーファミコンでマリオを遊んで育った人が大統領になりそうですね」とアルは予言する*4。「その人はまだゲームをやってるかな?」というビッセルに、彼はこう付け加えた。「ゲームの『スペクタクル』はもう終わりつつあります。これから重要なのは『メッセージ』なんです。」
・"「なぜビデオゲームが大人びた方向に向かうのに、こんなに時間がかかったのか?」と問う人は多い。だが、そもそも本当に遅れたのだろうか?"
・ゲームは映画同様にスペクタクルから始まり、それをどんどん磨き上げていった。そうして、今、ようやく身だしなみを整えて業界挙げて「まともな文化」の装いをつくろおうとして、キャラクターや物語を論じ始めた。もっとも、他の芸術に比べてあまりに技術部門のスタッフやアウトソーシングが多いゲーム産業ではまだまだぎこちないが。*5
・DICE参加者から首切りやスタジオ閉鎖について嘆く声が漏れ聞こえてくる一方で、インディーゲーム勃興前夜の雰囲気も伝わる。
・そこで4か月後にXbox Live Arcadeで初のゲームをリリースする予定だという男と話す。のちにインディーゲームブームの震源地となるサービスだ。その男は小規模開発×オンライン販売のモデルこそ、業界にとって最も持続可能な形だと主張する。小規模なチームで作られ、繰り返し遊べて、なにより楽しいゲーム。そこにこそ未来がある、と。何千万ドルも費やしてAAAゲームを開発するスタイルこそが、EAのような大企業を赤字に追い込んでいる一因だという。*6

【パネルディスカッション】

・DICEの初日のパネルディスカッションのテーマは、「ゲームにおける“リアルに感じられる(believable)キャラクター”」だった。つねづねゲームの脚本にうんざりしていたビッセルには興味あるテーマだったが、パネルの客席は10パーセントも埋まっていなかった。
・ビッセルは考える。当時のゲームは「リアルに感じられるキャラクター」を作り出すのに技術的な困難があった。CGは実際の俳優ほどの重みを持たず、アニメの方に近いが、やはりアニメとも決定的に異なる。アニメのキャラクターは、視聴者とは独立して存在する。視聴者はその存在を評価することはできても、行動や考えに影響を与えることはできない。
 だがゲームのキャラクターは、むしろゴーレム的な存在であり、コードという名の呪文で命を吹き込まれ、プレイヤーによって操作され、そこで初めて「生きたもの」として感じられる。アニメキャラは閉じた空間に住むが、ゲームキャラは開かれた状況に生きている。だからこそ、その状況を魅力的に保つためには、たとえ様式化され、限定されていても、リアリズムの要素が必要になる。現代ゲームは、その「リアリズム」をしばしばグラフィックの写実性という形で提示してきた。”だがそれは方法であって、保証ではない。"

・パネルがはじまる。登壇者は以下: Electronic Entertainment Design and Research(EEDAR)社の共同創業者、グレッグ・ショート*7。『WIRED』誌のクリス・コーラー*8。EAのアートディレクター、ヘンリー・ラブンタ*9。『Call of Duty』で知られるInfinity Wardのリードアーティスト、マイケル・ブーン*10。『God of War』シリーズを手がけたSCEサンタモニカのキャラデザイナー、パトリック・マーフィー*11。ハリウッドのCGスタジオDigital Domainのアーティスト、スティーブ・プリーグ*12
・まずグレッグ・ショートのプレゼン。彼が過去三年間に出た約八千作のゲームを調査したところ、ゲームの主人公となるキャラの属性はほぼ18-34歳の若者に集中していることが判明。ちなみに、老人が主人公となるゲームは一作もなく、年齢をカスタマイズできるゲームは全体の一割程度だった。*13
 つまり、「人は「人間」を操作するのが好き」であり、「そして「自分に似た人間」を操作するのが、もっと好き」というのがプレゼンの要旨。
・次に『WIRED』誌のクリス・コーラーが登壇する。『Pong』などの黎明期のビデオゲーム作品を紹介しつつ、『パックマン』の主人公パックマンに着目。パックマンはあきらかに人間ではなかったが、ゲーム外では恋人や家族がおり、人格を持っていた。「彼には人生があった。物語とまではよべないかもしれないが、開発者たちはキャラクターに命を吹き込もうとしていた」とコーラーは説明する。さらに『ドンキーコング』では初歩的ながら現代のゲームのストーリーテリングの雛形が提供された。主人公がなにかを欲し、それを手に入れるための冒険を行うなかで、レベル(面)がチャプターの役割を果たしながら物語が進行していく。
・80年代に入ると日本のゲームとアメリカのゲームで進化の枝分かれが起きる。日本のRPGは長大で劇的なカットシーンで物語を拡張するようになった。一方、アメリカのアメリカのPCゲームは(マウス操作を活かしやすい)ポイント・アンド・クリック式のADV*14を発展させた。このポイント・アンド・クリックの「画面内のキャラクターに移動すべき場所や使用すべきアイテムを指示する」というプレイスタイルは、キャラクターなしには成立しないため、その後のゲームの文法に大きな影響を与えた。*15
・日米におけるRPGとテキストアドベンチャーの繁栄は物語志向を次の段階へと進め、開発者たちは物語を動かすキャラクターという要素に注目し出した。
・その契機となったのが、1997年の『ファイナル・ファンタジーVII』。日本でもアメリカでも大ヒットとなったこの作品は、アメリカのゲーム開発者たちに物語とキャラクターの重要性を急速に認知させた。
・ラブンタは「ゲームで写実的な人間を描くことの困難さ」を訴える。特に難しいのは髪の毛。モデリングのリアルさもモーションのリアルさもどちらも大事だが、しかしそのどちらも実はリアルに受け取られる感覚とは関係ないと言う。そして不気味の谷問題に触れ、"「ポリゴンを増やすほど、逆に不気味さが増すんですよ。ゲームにおける“聖杯”は、キャラクターが実際の俳優のように動くこと。私たちはまだそこには到達していません。」"と語る。
乗り越えるのはキャラにある種の知性を与えなければならない。それはかならずしもキャラの認知能力とは一致しない。
・マイケル・ブーンはリアルに感じられるキャラクターはプレイヤーの操作するPCとそうではないNPCで異なってくると主張。前者の例として『Half-Life 2』のゴードン・フリーマンを挙げる。ゲーム序盤の彼は自分に自信がなく、他人からも頼りなく思われている。しかしゲームが進行するにつれ精神的に成長して自信と信頼を獲得する。このプロセスがプレイヤー自身のゲーム体験と一致するところがすばらしいと讃える。
NPCの例としては『BioShock』のアンドリュー・ライアンと、『Portal』のGLaDOS。彼らは敵役としてよく似ていて、ただの「射的の的」である他の敵キャラたちとは明らかに人格的に一線を画しており、ゲーム内を常に支配し、自信たっぷりにプレイヤーの努力に冷笑を浴びせてくる。プレイヤーはかれらを殺したいと願うと同時に奇妙な愛情をも抱く。
・"このふたりのキャラクターには、ブーンがあえて触れなかった共通点がある——それはよくキャラが立っていることだ。彼らは愉快で、奇妙で、残酷で、活き活きとしている。『Portal』も『BioShock』もプレイヤーキャラは顔や名前のない透明な存在であり、その内面についてはほとんど描かれない。プレイヤーにとって、これらの悪役は(プレイヤーキャラクターの代わりに)ゲームへの興味を持続させる道具でもあるのだ。
・パトリック・マーフィーは自社の『God of War』の主人公クレイトスを持ち出す。彼の暴力性は過剰なまでに誇張されているが、ゲームプレイと一致している。一本道である物語は繊細さを期待されてはいないが、そうした暴力性とシンクロすることで心地いい体験を提供する。
これこそが、ゲームというメディアの非常に疑わしい性質の一つだ。物語が素晴らしいものであっても、ゲームプレイがつまらなければ失敗作とみなされる。一方、物語がいかに馬鹿げたものであってもゲームプレイが最高ならば各ゲーム賞で背骨が曲がるほどのトロフィーを持ち帰ることができる。そして、そうしたゲームを称賛することはなにひとつ間違ってはいないのだ。
・カンファの数日後に映画『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』でアカデミー賞を獲得することになるプリグは業界外の立場から発言。主演のブラッド・ピットにほどこしたCG技術の困難さについて語りつつ、ハリウッド映画では常にシーンごとに演出や感情の方向性が定まっているため、比較的楽であるという。そして、「ゲームはプレイヤーのやりたいことに沿わないといけないので、余計大変だろう」と同情する。

【ジョン・ハイトとの対話】

・パネル終了後、ビッセルは同じ客席にいたジョン・ハイト*16に会う。SCEサンタモニカスタジオの製品開発ディレクター*17で、20年近く業界にかかわってきたベテランだ。彼は『God of War III』に携わる*18いっぽうで、PS3専用のダウンロードタイトルである『Flow』や『Flower』にも関わった(現在ではインディーゲームのはしりともいわれるタイトル)。
・EEDARのショートのプレゼントの時、ハイトが「これはまずいな」と漏らすのをビッセルは聞いていた。そのことについてビッセルが訊ねると、彼はこう答えた。「誰かがあのデータを使って“マーケティング的に理想的なゲーム”を作らせようとしそうなのが怖いんだよ。自分たちにも、経営陣にも、“これは絶対に儲かる!”って思い込ませてしまいそうでね」
・ハイトは『Doom II』が出た時の思い出を語る。そのときはまだまだFPSというジャンルが珍しかった時代で、ハイトの周囲の同僚たちも「こんな銃を撃つだけのゲームなんてはやらない」と侮っていたが、ハイトはその同僚たちを説得して自らFPSの新作『Killing Time』を作った。ちなみに、FPSにしゃがみ動作を取り入れた最初期の作例らしい。
・ハイト曰く、昔のゲームは、自身もゲーマーである開発者たちが自分たちのおもしろいと思うゲームを作っていた。オーディエンスなんて勘定にいれてなかった。
物語などは二の次であり、『Killing Time』のときは台本をセリフの録音当日になって書いていた*19という。"「当時の多くのデザイナーは、「ライターどもにはインタラクティブなフィクションなんて理解できない」と考えていた。ゲーム業界は“デザイナー vs ライター”という分断から始まってしまったんだ。」"
・ビッセルは「今日のパネルは物語について語る場だったはずなのに、なぜ脚本やライティングの話題が一切でなかったのか?」とハイトに疑問をぶつける。
 ハイトは答える。
"「あのパネルにはほぼ技術畑のアーティストしか出ていなかったからね。ゲームという文化のねっこにあるのは、エンジニアたちだ。私自身、もともとはプログラマーを10年やっていた。だから、ゲームを作るにあたって最初に考えるのは、“どうやってこのシステムを速く動かすか?”、“ゲームにどれだけ詰め込めるか?”、“キャラの見た目をどうよくするか?”だった」"
・初期のゲーム開発は制約が非常に多かった。そして開発者たちはそうした困難な環境で創作することに逆にやりがいを見出した。だからこそ、初期のゲームにはファンタジーやSFを舞台にしたものが多かった。というのも、"文化史家ベンジャミン・ニュージェントが『American Nerd』で述べているように、
SFやファンタジー作品はたいてい「状況のメカニクス」にフォーカスする。つまり、ある変数(例:魔法を使えるドラゴンと使えないドラゴンを戦わせたら?)をある世界観(例:ナポレオン戦争)に投入したら、どんな“出力”が得られるか? ——それこそが、SFの醍醐味なのだ。
"
・”ゲーム評論家のクリス・ダーレンによると、「ゲームは『議論』を提示するものではなく、『相互作用のためのシステム』を提示するものだ」”。
 この見解に基づくなら、ゲームは物語にはなれない。物語的なコンテンツについてはあくまで「許容するか、しないか」という選択でしかない。
 このような考え方には、開発者たちの多くがエンジニアリングやプログラミング、システム工学の出身であるという背景がある。
 そして、それが彼らの発想や性格に大きな影響を与えている。
 その結果、ゲームは「内側」からではなく、「外側」から考えられることになる。つまりは、「このシステムにどんな変数を投入すれば、面白い出力が得られるか?」だ。“ジャンルに縛られない創作を志す者にとっては、これは馴染みのない思考法だ。
・小説家でもあるビッセルはゲームと他ジャンルの創作法の違いに思いを馳せる。彼が小説を書くときは、まず物語を「イメージ」や「キャラクター」、「状況」として頭に浮かべる。「変数」から始めるのであって、「システム」からではない。*20
・ゲームデザイナーにとって「うまく機能するか?」という問いは、もっと厳密で、もっと技術的な問題だ。というのも、”機能しないゲームは、文字通り「動かない」。"
・"(ちなみに、ゲームデザイナーのメンタリティにはもうひとつ面白い側面がある。それは——彼らはたとえ有名人であっても、自分のゲームの失敗について正直に話したがるし、その理由さえ説明してくれる。
これまでの人生で、血中アルコール濃度が0.2以下の作家が、自分の失敗について同様の態度を取るのを、私は見たことがない。)
"
・ハイトは語る。しかし、今では、「システム重視の設計思想」は、昔ほど文字通りの意味なものではなくなった。より、感情的な意味あいになってきてる、という。”「というのも、何か新しいことに無計画に挑戦して、大失敗した開発者があまりに多い。それで、みんな失敗が怖くなって、『とにかくシステムを早く定義しよう』と考えるようになった。我々が“ゲームメカニック”とか“ゲームの柱”と呼んでるものは、けっきょくシステムじゃなくて精神的な自縛なんだ。それが我々の“制約”なんだよ。ゲームは何千万ドル単位の投資が必要だ。下手すりゃ、2000万ドルをドブに捨てた張本人と名指しされてキャリアが終わるかもしれない。だから結局、販売実績のあるデザインや既存のゲーム性に頼るしかなくなる。FPS大作が今の市場に溢れているのは、そういうわけさ」
・ビッセルは、最近(2009年)のゲームでは感情や物語がかつてないほど重視されてきているという。ゲームはこれまで映画などからストーリーテリングの技術を盗んできて、いまようやく自分たちなりの物語の語り方を模索し始めたのだろうと。彼らはようやくライティングの重要性を認め始めた。
・だが、ビッセルは自分でそう書きながら「はたしてほんとうに開発者たちは脚本を重視するようになるのだろうか?」と自問する。DICEでストーリーや脚本といった単語を扱う手つきはだれもがぎこちなかった。
"だが、私は思い直した。私はゲーム業界に、あまりに厳しすぎたのかもしれない。この業界は、もともと“エンジニア文化”として始まり、やがて“ビジネス”になり、そして今ようやく——まるで詩に目覚めた金持ちのように*21——芸術を志し始めたのだ。ゲームを愛する自分の一部は、そんな業界を許したいと思う。……でも、芸術を重んじる自分の一部は、簡単には許せないところもある。
・ハイトは「プレイヤーたちはもう陳腐なストーリーに我慢しないだろう」といい、ゲーム業界がかつてないほど難しい挑戦、すなわちゲームでストーリーを語るという挑戦に本腰をいら出したことを示唆する。もっとも、飽きっぽい観客はまた次なる達成を要求するだろうが……。
・DICEのアウォードが発表される。その年の賞を席巻したのは『リトルビッグプラネット』だった。『Fallout 3』『メタルギアソリッド4』『Gears of War 2』『Grand Theft Auto IV』といった大作をうちやぶり、この「愛らしく、野心の控えめな作品」が賞を総なめにしていった。
この『リトルビッグプラネット』の躍進は、これまでの保守的な大作主義を貫いてきたゲーム業界への反動もあり非難のようにもビッセルの目には映った。

・おしまい。2009年から16年経ちました。みなさんは現在の状況についてどうお思いでしょうか。

*1:日本語読める唯一の彼の文章はアンソロジー『死んだら飛べる』に収録されている短編。

*2:本人は脚色にはクレジットされていないが

*3:日本未公開

*4:アルの期待に反して、バイデンにしろトランプにしろ、あきらかに「スーファミ世代」ではなかった。もっとも、現トランプ政権の副大統領JDヴァンスは自伝『ヒルビリーエレジー』によると『マジック・アンド・ザ・ギャザリング』プレイヤーだったそう。

*5:これ以降、マーベル映画を通じて映画産業もそうなってきたようにおもう。

*6:ビッセルの感想は「一瞬、私は本の出版パーティーに迷い込んだかと思った」

*7:起業家。EEDARを含めた数々のゲームマーケティング関連企業を立ち上げて(Linkedinでは「七回創業して、五回EXIT」を謳っている。)は売却し、一時期はAmazon Gamesでも要職を占めた。

*8:『WIRED』誌や『Kotaku』などで編集者を勤める傍ら日本のゲーム関係者に取材した『POWER+UP―米国オタクゲーマーの記したニッポンTVゲーム興隆の軌跡』などを執筆。現在は『TETRIS FOREVER』や『The Making of Karateka』などで知られるゲーム会社Digital Eclipseのエディトリアル・ディレクター

*9:もともとは映画の特殊効果出身で、『ツイスター』でアカデミー賞視覚効果賞ノミネート経験もある。2000年代中盤からゲーム業界に入り、視覚効果のスペシャリストとしてジンガ、EA、マイクロソフトなどを渡り歩いた

*10:2002年にリード・アーティストとしてInfinity Wardに入社して以来、一貫してIWのアート畑で奉職

*11:Amaze Entertainmentでゲーム業界のキャリアを始めたあと、Insomniacを経てSCEサンタモニカでアート・ディレクターとして『God of War』に関わる。その後はRiot、Epicと移っていき『League of Legends』や『Fortnite』といった超人気タイトルのアートディレクターを歴任した。2023年からは『God of War III』や『Jedi Fallen Order』で知られるスティグ・アサムセンの率いる Giant Skull の共同創業者として独立。AAAタイトルを制作中らしい。

*12:Digital Domainのチームの一員として2009年のアカデミー賞で『ベンジャミン・バトン』により視覚効果賞を受賞。その後もDDに属しながら視覚効果のスペシャリストとして数々の映画に関わる。

*13:ビッセルはそうした状況を「カスの民主主義」と辛辣に形容する。

*14:ここで例に挙げられているのは Sierra EntertainmentのKIng’s QuestやLeisure Suit Larry。ちなみに後者は日本ではほとんど知られていないが、ある特定の文脈においてはアメリカのゲーム史を語るうえではずせない一本。

*15:このコーラーの日米のストーリー中心ゲームの分化は興味深い。ポイント・アンド・クリック的な操作はその後の西洋CRPGに(コマンド選択式の日本のRPGに比べると)たしかに影響を与えているように見える。

*16:EA、ATARIなどを経たあと、SCEに入社。その後、Blizzardへ移籍し2010年代の『Warcraftフランチャイズを統括した。2024年からはなんとWizards of the Coastの社長に就任。

*17:ということは、パネリストだったパトリック・マーフィーの同僚

*18:プロデューサーとして

*19:TRPG文化におけるシナリオのライブ感が補助線として引かれている

*20:2020年代以前にも「イメージ」や「キャラクター」から発して作られるジャンルとしてはビジュアルノベルがあったとおもわれるのだが、いうまでもなく、英語圏では発展しなかった。VNもまた「アニメになれない」という制約から生じているところはあるとおもいはするのだけれど

*21:尺の都合上、このブログでは削ったが、記事全編というか本全編を通じてビッセルの悪口と皮肉は冴えまくっていて楽しい部分




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