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【修行中の3日間のこと】

 

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開講式の後、すぐに研修が始まる。
一人一枚、A3の用紙が配られる。
右に日にち、上に部屋が記された表に、鉛筆で番号が書いてある。
その部屋に行って、その番号順にお点前のお稽古をする仕組み。
毎回部屋が変わり、毎回違う人とお稽古をする。

初日の午前のお点前は6番目。
自分の順番以外は、人のお点前を見て、先生の話を聴いてとにかく学ぶ。
先生の指示があれば、お客になったり、「半東」といって、お点前をする人のお手伝いをする係の稽古をしたりする。
お点前をする人を見ていると、茶杓を置く手が震えている。
みんな緊張しているのだ。
私も朝からずっと、手汗が酷かった。
午前中は6番まで順番が回らず、お手前のお稽古はしなかった。
先生がお話しすることは漏らさず聴き留めておこうと思ったけれど、次から次におはなしされる。説明されることがたくさんで、頭の中はすぐにパンク状態になる。

午後は、立礼の部屋で1番目のお点前。
立礼とは、椅子に座ってのお点前。
準備されている棚は点茶盤。
1番目だったので、人のお点前を見て思い出したり覚え直したりができず。
最初の入室の仕方から、挨拶の立ち位置、体の方向転換の仕方まで、一挙手一投足に指導を受ける。
ものすごく時間がかかったし、ものすごくエネルギーを消耗した。
その割に、頭に残っているものはなく、ものすごく気分が落ち込んだ。

1日目終了後、ホテルに帰って一息つく。
エライところに来てしまったという後悔、自分の不甲斐なさ、力量不足を突き付けられ悔しくて悲しくて、めそめそ泣く。
ひとしきり泣いて、泣き止んで、明日に備えてお点前の勉強をする。
しばらくしたら今日のことを思い出してまた泣く。
そういうことを何度か繰り返しながら夜を過ごした。

2日目、目が覚めると、昨晩のしおれきった気持ちはどこへやら。
泣くだけ泣いて気が済んだのだろう、「やるしかないのだから」と前向きな気持ちが湧きおこってくる。
午前は、またまた1番。
初炭のお稽古。
ここでなんと、先生に褒められる!
褒めて伸ばそうとしてくださる先生で、おかげで緊張が解けた気がする。
この緊張が解けたおかげで、普段の自分に近い状態で残りを過ごせたように振り返っている。
午後は、3番目にしてやっと、濃茶平点前ができた。
2日目は、前日に比べて幾分気持ちは軽い。
とはいえ、たくさん指導を受けたし、たくさん直された。
言われたことがたくさん過ぎて、頭がパンパンなのは初日と同じ。
それでも、ホテルまでの帰り道、バスを途中下車して晴明神社に寄る元気があった。

五芒星

晴明像も

晴明神社そばの一条戻り橋

 

一条戻り橋から堀川を見つめ、ここは平安の時代、この世とあの世の境目だったんだなぁと思う。
そして、自分が京都にいることがとても不思議に思えて、夢とうつつの境目のような感覚に陥る。
とはいえ、1日目の落ち込みに比べ、気持ちが外に向かう余裕がちょっと嬉しい2日目だった。

3日目。
午前は2番目のお手前で、茶入荘(ちゃいれかざり)を見てもらう。
お茶のお点前には、ちゃんと理屈があって、どういう時にどうするということが決まっている。「今日はここに置くけれど明日はここに置く」という気まぐれなものは一切ない。どうしてここに置くのか、例外があるとするならばどうしてそうなのかを考えて理解できていなければならない。その場その場のお稽古ではなく、常にほかのお点前と関連付けたり考えたり、気づきのあるお稽古を心掛けるよう指導いただく。
私の茶入荘の後の人達が、茶碗荘、茶杓荘と続けてくれたので、同じかざりものでも違いが判ってとても勉強になった。

午後は、いよいよ最後の研修。
3番目で葉蓋のお点前をする。
葉蓋とは、水が入っている入れ物の蓋に、里芋の葉や梶の葉を用いるお手前で、茶室に凉を呼び込む夏のお点前のこと。
葉蓋の処理の仕方や手折った葉の命について学んだのだけれど、それ以前に、最後の先生は茶杓の持ち方、柄杓の持ち方、お茶の掬い方、着物の着方に厳しい方だった。
じつは、指が太くて短いことがコンプレックスということもあって、お道具の持ち方や握り方に自信がない。
今回の研修中も何度となく注意されたのだけれど、クセになってしまっているようでそう簡単には直らない。
見かねた先生が実際に茶杓を握って見せてくれるのだけれど、まあ指が言うことを聞かない。
自分としては先生と同じように握っているつもりなのだが、その見た目はもうひどいものだった。
じっくりと時間を取ってくださったのはありがたかったのだけれど、時間がかかりすぎて、他の方の最後のお点前の機会を奪ってしまうという事態に。
申し訳なさと、やっぱり不甲斐なさが襲ってきて、気持ちを整える間もなくあわただしく閉講式へと向かう。

閉校式では、お家元より修了証とお言葉をいただく。

開講式で話したように、注意されるということ、直されるということは、正しい道に戻してもらっているということ。
この3日間、一つ一つの試練を乗り越えて、あなたたちは「関」を越えてきた。
右の足で「関」を越え、左の足で「関」を越え、そしてまた右の足で「関」を越える。
一歩一歩が「関」であり、それを一つ一つ超えることで、道が開けてくるのです。
3日前と違うことは、3日間他の人が作り得なかった座り胼胝を、あなた方は自分の足に作ったのです。正しい道に戻されながら「関」を越え、座り続けたこの努力は、これから先消えることなくあなた方の中に残るのです。
3日間本当にお疲れさまでした。

緊張の日々で疲れた体と、不甲斐なさにすっかりしおれてしまった私に、お家元の言葉はとても優しく響く。
素直にありがたく受け止めるその言葉に泣きそうになるのをぐっとこらえていると、私の隣の人が、ぽろぽろと涙をこぼし始めた。
「ああ、この人も明るくにこやかに過ごしていたけれど、本当は私と同じで打ちひしがれた時間を過ごしていたんだなぁ」
と思うと、堪えきれずに涙がこぼれてきた。


長くて短い3日間。
夢のような現実のような3日間。
挑戦し、現実を知り、それでも理想を追い求めようと必死になった3日間。
本当によく頑張った!!
そう思うとやっぱり涙がこぼれてくる。
50歳にもなって、つまらないプライドや自分を守るために必要以上に身に付けた鎧を、意味のないものだとはがされて、できない自分を素直に認めさらけ出し、そしてできるように努力する。
「正しい道に戻される」ということを、身をもって体験してきたのだ。
この3日間を過ごしたからといって、いとも簡単に点前が上達するわけではないけれど、これからのお稽古で意識は確実に変わると思う。
そして、お茶に限らず、我が身を省みながら、一歩一歩「関」を越えて歩んでいけたらいいなという、なんとも清々しい気持ちで修業を終えることができた。





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