職場に、足をひねったことがきっかけで、腱の手術をすることになった人がいる。
2月の下旬に入院し、手術。
2週間ほど経過した後、リハビリのため別病院に転院。
3月下旬に退院し、4月から復帰することになっていた。
退院後、センターに挨拶に来た。
「4月からまたよろしくお願いします」と。
ところが、4月1日、体調を崩したと連絡があり、結局一週間来なかった。
次の月曜日と火曜日には出勤してきたけれど、がらがら声で、水曜日からは、熱がぶり返したとのことで、またまた休みとなった。
それから今日まで、その人は出勤してきていない。
休みの理由は体調不良となっているが、どうも、発熱や風邪症状というものではなく、精神的に落ち込んでいるようで、「出勤しようと思うけれど、行けない」ということだった。
春は、いつも調子が悪くなる。
その人はそう言っているようだけれど、一緒に働いた2年半を振り返ってみても、春に限らず不安定になることが多かったように思う。
私たちは、その人が足の手術で休むことが決まった時から、その人の担当している仕事を数人で分担し、その人の復帰を待っていた。
また、これまでの仕事ぶりから見て、担当している仕事が負担に感じている様子だったので、人事異動でセンター職員が異動になるのに合わせて事務分担を見直し、担当を交代することで準備を進めていた。
4月1日にその人が来てから、事務分担の最終確認をする予定だったけれど、休みが長引いたため、結局そのまま新体制でのスタートとなった。
そういうことも、その人の負担になったようだ。
良かれと思ってした事務分担見直しが、その人にとっては不安材料を増やすだけの結果となったのだ。
落ち込みの原因はほかにもあるようだ。
その人から個別に連絡があったセンター職員には、あれこれと涙ながらにその人自身の不遇を述べたらしい。
ただ、その内容はあまりにも幼く、
例えば、おしゃべりしながら仕事をしたい、だとか、
もう少し構ってほしかった、だとか、
わたしからすれば、「わがまま」の一言で片づけられるようなことばかりだ。
組織に属すること、仕事をするということ、給料をもらうということ、そういうことについて考えたことはあるのだろうか。
そんなことを思ってしまう自分は、人に厳しすぎるのだろうか。
正規の職員は、公務員試験を突破して就いているけれど、我々会計年度職員は、様々なレベルの人がいる。それでも、センターでは、誰もが楽しく前向きに仕事ができるよう雰囲気作りには尽力してきたし、ほかのセンターに比べ、仲良くやれているという自負があった。
だからこそ、これまで、その人ができるだけ自己肯定感を失わずに仕事ができるよう、どれだけ周りの人たちがサポートしてきたのか、そういうことに気付いてもらえなかったという口惜しさを感じずにはいられない。
その人が、あとどれくらい休みを取るかはわからない。
戻ってきたときに、どんなふうに迎え入れて、これからどんなふうに一緒に仕事をしていけばよいのか、しばらく悩みそうだ。
「今まで通り」というのは難しいだろうけれど、できるだけ自然に今まで通りでいることが、その人にも、私たちにも求められていることなのかもしれない。
