実家の母は、74歳。
一人暮らし。
このブログにも、何度か登場している。
このブログに母が登場する時、私は「おかん」と呼んでいる。
今日は、おかんとの約束の話。
今年のはじめ、おかんから、とある提案があった。
それは、
「3の倍数の日に、ラインを送る。もし、3の倍数の日にラインが来なかったら、翌日に電話でもして、安否確認をしてほしい。」
というもの。
仮に死んでいたとしても、迷惑をかけずにすむ経過日数は3日程度ではないか、と、考えたらしい。
なんか大袈裟だなあと思いながらも、こちらは送ってくるラインを確認するだけなので、
「うん、いいよべつに」
っていう感じで軽く引き受けていた。
おかんは3の倍数の日に、ラインを送ってきた。
時々電話をかけてくることもあったし、出来事なんかを短く報告する日もあったけれど、たいては、夜寝る前の「おやすみ」スタンプが多かった。
電話がかかってくれば、話を聴いたし、出来事を報告してきた日には、それに対するコメントをしたり、こちらの出来事を短く報告して、数回やり取りをすることもあった。
おかんのスタンプに対して、私も「おやすみ」スタンプを返すこともあったけれど、たいていは確認して「既読」をつけて終わることがほとんどだった。
そんななか、先日、久しぶりにおかんから電話が入る。
内容は、
「忙しいかもしれんけど、ちゃんとラインを確認してもらわな困る」
というもの。
そこで初めて気がついた。
おかんの3の倍数の日の安否確認ラインが10日間途絶えていた、、、ということに。
平謝りの私に、おかんはこう言った。
「自分はいつ死んでもいいと思っている。思い残すこともないし、やり残したと思うこともない。ただ、誰かに迷惑をかけることだけは避けたい。私が家で死んでることに、あんたが気がつかんかったとなれば、あんたは後悔することになるよ。それに、この部屋が事故物件になったり、両隣り、上下の階の人に迷惑かけることになる。それも望まないこと。だから、ちゃんと安否確認してもらいたい。」
おかんは、50歳の頃からほんの2,3年前まで、ヘルパーの仕事をしていた。
「利用者の家に行ってみたら、死んでいた」という場面に何度もあっている。
そういう場合は、家に入る前からなんとなくいつもと違うから、勘が働くらしい。
そして、そういう場合は、絶対に一人で家には入らない、という経験値も持っている。
そんなおかんが、自分がもし一人で死んで、発見が遅れたらどうなるか、風呂場で死んで、数日経てばどうなるか、自分が死ぬことよりも、死んで娘や周りに迷惑をかけることを心配しているのだ。
10日間も安否確認を放置していたことをすごく反省した。
そして、おかんが、私が想像していた以上に私のことを気にかけてくれていることがわかって、ありがたく思った。
この年になっても、まだまだ私はおかんの「こども」なのだ。
だから、ちゃんと、おかんの想いに答えようと思った。
「安否確認なんて、大袈裟だなあ、まだまだ死なないでしょ」
そう思っていたけれど、人はいつ、どんなふうに、人生を終えるか分からない。
おかんが安心するように、そして、自分が後悔しないようにしよう。
おかんが安心してその日を迎えられるように、というのもなんだか変だけれど、おかんの「老い」を受け入れ、おかんに心配かけず、いつかくるその日に向けて進んでいかなくては。
私も、そういう年齢になったのだ。
そして、今日、12月8日は、父の祥月命日。
おとん、そういうことなんで、よろしくね。
