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【いまさらだけど、好きだったんだ】

昨晩は、台風14号の影響なのか、飯塚でも予想以上に強い風が吹いた。
雨の予報は出ていたものの、こんなに強い風が吹くなんて。
心の準備も家周りの準備もできていなくて、隣町で組み立てた稲の干場が風で倒れていないか心配になるくらいだった。

夜中は、強く吹く風が窓を押し付ける音と、雨が風に煽られて勢いを増して壁や窓にたたきつける音で目が覚める。
「これって、雨戸を閉めといた方がいいレベルの雨風じゃない?」
私と同じように、雨風の音で目を覚ました旦那さんに話しかけるくらいだった。

朝目覚めた時、雨は小降りになっていて、風はすっかり収まっていた。
風で引きちぎられた葉が、あちこちに散らばって、雨で地面にへばりついている。
そんな中、隣町の倉庫へ干している稲の様子を見に行く。

大丈夫、倒れていないし、害獣に荒らされてもいない。
倉庫の軒下に立てた干場に、きれいな稲わらがぶら下がっている様子を見て、一安心。

もち米の様子

もち米も少しずつ熟れ始めた。
雨風にも負けず、倒れていない。


お米作りは、予想外のことばかり。
田植えから稲刈り、籾摺りをするまで、あれこれと振り回される。
雨や風だけでなく、成長が早いだとか遅いだとか。
カメムシやウンカによる病気、ヒエやアゼハシリといった雑草、水路の管理など。

私は、田畑に出ることは厭わない。
むしろ、自然の中に身を置いて生きていくために汗を流すことを好んで動いている。
人は、元来、そうあるべきだし、そのように営んでいくのがもっとも自然なことなんだと思っている。

挙げだしたらキリがないくらい、いろんなことを気を付けながら、お米作りの半年間を過ごす。
主に田んぼ仕事をするのは私たち夫婦だけれど、ああじゃない、こうじゃない、こうすれば、ああすれば、など、外野がいろいろと口を出す。
良かれと思ってだろう。
でも、押し付けられている感は拭えない。
そして、アドバイスが受け入れられなかったとなると、平気で不機嫌をまきちらし、打ち負かそうとしたり、己の正義を押し通そうとしたり。
そんな空気感に溺れそうになる。
旦那さんと、義父母とのやり取りを見聞きするだけでも、苦しくなる。
血のつながりは遠慮がなくなる。


自然が語りかけてくるものではない働きかけ、つまりは、私たち夫婦のやり方や段取りを、外野があれこれと言ってくることに、これまで閉口して過ごしてきた。
同じ「米作り」という作業を、どうしてこうも一緒に楽しめないのか、不思議に思いながら20年間を過ごしてきた。
私が私らしく米作りをできないまま、ついに、今年が最後の米作りの年となってしまったのだ。
そして、最後の最後まで、天気におろおろさせられ、外野のあれこれに振り回されている。
そして、いよいよ最後になって気付く。
天候に左右されることでおろおろするんじゃない。
天候に左右されている人々のやりとりにおろおろさせられているのだ。

もうすぐお米作りが終わる。
辞めると聞いて、安心している自分と、本当にいいのだろうかと疑問に思う自分とが、入れ代わり立ち代わり現れる。
安心している自分は、もう、米作りで描かれる人間模様に対し、煩わしい思いをしなくていいという安心感だったんだ。
本当にいいのだろうかと疑問に思う自分は、自然の中に身を置いて、生きていくために汗を流すことを止めてしまっていいのだろうかという思いだったんだ。

ずっとずっと、どうしたらいいのだろうと考えている。
田植え機が壊れ、コンバインさえもこの調子。
20年目の乾燥機やもみすり機だって、いつか終わりが来る。
ずっと農家をしてきた家が、機械を調達することができないなんて、どういうことだ?
農業の担い手不足の対策として、IT導入による農業の効率化なんかやったって、ますますお金がかかるばっかりだ。
農地も経営も、大規模化すればするほど、お米のありがたみが小さくなっていくような、そんな気がしている。
一粒一粒のお米を大切にできない農業なんて、つまらないもんだ。

お米作りをやめることで、私の一部が失われそうな気持になる。
お米作りが好きなんだ。
だから、またいつか、お米作りをしたい。
今は、そう、思っている。

 




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