2023年にノーベル経済学賞を受賞したゴールディンによる一般向けの書。
ここ100年のグループを5つに分けてアメリカの女性の社会進出の歴史をたどるとともに、それでも今なお残る賃金格差の原因を探っています。
世代についての叙述も面白いですが、ここでは現在の賃金格差の原因となっている「どん欲な仕事」についての部分を中心に紹介したいと思います。
目次は以下の通り。
第1章 キャリアと家庭の両立はなぜ難しいか―新しい「名前のない問題」
第2章 世代を越えてつなぐ「バトン」―100年を5つに分ける
第3章 分岐点に立つ―第1グループ
第4章 キャリアと家庭に橋をかける―第2グループ
第5章 「新しい女性の時代」の予感―第3グループ
第6章 静かな革命―第4グループ
第7章 キャリアと家庭を両立させる―第5グループ
第8章 それでも格差はなくならない―出産による「ペナルティ」
第9章 職業別の格差の原因―弁護士と薬剤師
第10章 仕事の時間と家族の時間
エピローグ 旅の終わり―そしてこれから
簡単に世代の話をすると次のようになります。
第1世代は1878〜1897年に生まれた世代で、この世代の傑出したキャリアをもった女性は多くは独身で、「結婚かキャリアか」という選択を迫られていました。
第2世代は1898〜1923年に生まれた世代で、「仕事のあとに家庭」というキャリアの人が増えました。学校卒業後仕事につく人が増えたのですが、大恐慌の時期に女性が職場から追われたことで彼女たちのキャリアは中断しました(日本だと「虎に翼」のモデルになった三淵嘉子がこの世代になりますね)。
第3世代は1924〜1943年に生まれた世代で、若くして結婚した女性が多いですが、その後に教師や事務職などについた人が多いといいます。
第4世代は1944〜1957年に生まれた世代で、ピルの普及もあって自分で妊娠や出産をコントロールできるようになり、キャリアを積んでから結婚しました。
第5世代は1958年以降に生まれ、1980年頃以降に大学を卒業した世代です。この世代になると「キャリアも家庭も」同時に持つことが追求されるようになりました。
この世代についての記述はエピソードも豊富で面白く読めるのですが、ここでは割愛して現在の賃金格差の問題をとり上げている第8章以降の部分を紹介します。
以前はあからさまな差別もありましたが、現在では仕事を始めたときの男女の賃金格差はなくなりつつあります。
ところが、男女が年齢を重ね、結婚し、子どもを持つと賃金格差は拡大していきます。
これについては、上司が女性の部下に対して偏見を持っている、女性は男性に比べて賃金の交渉をしたがらない、賃金の高い職業につく女性が少ないなどの要因が指摘されています。
特に賃金の高い職業につく女性が少ないという要因はよく言われますが、著者は格差がほぼすべての職業に存在し、しかも高学歴のほうがこの格差が大きいことから、これが男女の賃金格差の主犯ではないと考えます。
女性と男性の年間収入中央値の比率を見ると(207p図8.1)、全労働者でみても大卒の労働者でみても、女性の男性の収入に対する割合は1960〜80年までは6割程度にすぎませんでしたが、90年に7割程度まで改善します。さらに全労働者では2017年には8割を超えているのですが、大卒の労働者で見ると70%ちょっとで頭打ちになっています。
この大卒労働者の所得の差は20代には小さなもので女性の収入は男性に対して90%以上あるのですが、年齢を重ねるにつて差が開いています(210p図8.2参照)。
MBA取得者に限ってみると(212p図8.3参照)、ポイントになるのは子どもの有無です。子どもがいない女性は男性の収入の90%前後を稼ぐのに対して、子どもがいる女性は次第に男性と差が付き70%を割り込む数字にまで落ちていっています。
この賃金の差を生み出していると考えられるのが労働時間の差です。
MBA取得取得者の最初の数年間は男女とも週労働時間の平均が60時間前後です。これが卒業後13年目になると男性は57時間に対して女性が49時間まで減ります。これはパートタイムで働く女性がいるためで、こうした女性はパートタイムで働くために自営業を営んでいます。
また、13年後までにMBAを取得した女性の17%がまったく職についていません。ただし、これは一時的な休職が多く、必ずしも家庭にずっと留まるわけではありません。
子どもを持つ女性の収入が減ることは「チャイルド・ペナルティ」とも呼ばれています。
ただし、これには選択の部分も大きく、夫の年収がMBA取得男性の中央値よりも高い「トップ収入の夫」である場合、女性の雇用の減少が大きくなります。
ただし、子どもがいない場合は一定の就業年数と就業時間を確保しており、子どもの世話のために女性が労働を制限している状況がうかがえます。
ただし、男女の収入の差は労働時間の差だけでは説明できません。子どもを持つ女性については時給でも差がつけられています。
これは職業によっても差があり、職業部門別大卒者の男女所得比率をみると(221p図8.4参照)、エンジニア、科学、健康(医学療法士や管理栄養士など)といった職種では90%を超えていますが、管理、総務、販売では80%前後、金融は75%ちょっと、医学博士・法学博士は75%を割り込んでいます。
この職業ごとの違いとして、他者との関わり、意思決定の頻度、タイムプレッシャー、対人関係の維持と構築などがあげられます。
エンジニアや科学の分野と管理、総務、販売を比べると、後者の方がより他者と関わり人間関係を維持する必要があり、頻繁な意思決定を求められ、すぐに対応しなければならない仕事が多くなります。
また、外科医、金融分野などもつねに仕事に対応できるような人間が求められているということが想像できると思います。このようなつねに仕事への対応が求められるような仕事が本書のいう「どん欲な仕事」です。
こうした職種は、子どもの関係で呼び出される母親には向かない職業なのです。もちろん、男性が子どものために呼び出し可能な職につくこともできますが、夫婦で同じような職についていれば母親が仕事量をセーブしがちになります。
第9章では実際に弁護士と薬剤師という仕事をとり上げてこの問題を検討しています。
女性弁護士の収入の中央値は男性弁護士が1ドルだとする約78セントで、資格職にもかかわらずに大きな差があります。
ここでもやはり労働時間の差が関わっていて、ロースクール卒業後5年目においては男性も女性も長時間労働をしているのですが、15年目となると女性の長時間労働は減ってきます(232p図9.1参照)。
弁護士の仕事はより長時間を費やすほど有利な案件が取れるような構造になっています。ロースクール卒業後15年目において週60時間働く弁護士は週30時間働く弁護士の2倍稼ぐのではなく、2.5倍稼ぐといいます。平均時給がほぼ4分の1増えるのです。
弁護士の世界では事務所の経営に関わるパートナー弁護士になることが収入を増やす道だといわれますが、これには顧客の要望にすぐに応じられるような「オン・コール」の状態でいられることが重要だといいます。
こうなるとパートナー弁護士になりやすいのは時間に融通の効く男性だというわけです。
一方、薬剤師は、以前は自営が多く顧客の要望にいつでも応えなければならない仕事でしたが、現在はその多くがドラッグストアに勤めており、医薬品についても標準化が進み個別の調合も多くの場合必要なくなりました。
この結果、薬剤がパートタイムで働くことのペナルティはほぼなくなりました。現在、女性の薬剤師の収入の中央値は男性の94%になっています。
このように、時間に対してコントロールが効くかというのが男女の賃金格差の大きな要因になっているのです。
第10章では、改めてこの時間の問題が検討されています。
このつねに「オン・コール」で働くやり方に問題があるというのは企業側も認識しており、金融業界でも週末の出社を禁止したり、最低限の休日(月4日)をとるように強制しているところもあります。
会計事務所でも働き方や昇進のあり方を見直して女性のパートナーを増やそうとする動きがあります。
また、医師は「オン・コール」の仕事と思われており、実際に男女の賃金格差も大きいのですが(男女別所得比率は67%)、専門分野によっては違った風景も見えてきます。
例えば、アメリカでは小児科ではパートタイムで働く医師が増えており、女性小児科医だと33%にも及びます。医師が互いに代替できるようなグループ診療の仕組みができあがっているのです。
また、こうしたグループ診療は産科や麻酔科などでも広がっているといいます。
さらに獣医師でもこうした働き方は進んでおり、獣医学部卒業生の8割が女声になっているといいます。まだ、女性獣医師がオーナーになることが少ないために賃金格差は残っていますが、グループで働くことは一つの方向性だと言えるでしょう。
著者は解決策とし、まず、夫婦でよりフレキシブルな仕事につくことをあげ(収入は若干減るかもしれないが夫婦の公平性は高まる)、次に補完的な解決策として、利用しやすい保育補助や学校の課外プログラムなどで親の育児コストを軽減することをあげています。
さらに社会規範を変えて、仕事と家庭のトレードオフの負担が女性に偏らないようにすることをあげています。
ただし、コロナ禍はこの社会規範がまだまだ強いことを示しました。
著者はエピローグでこの問題に触れていますが、コロナで子どもが学校に行くことが難しくなった影響などで母親の労働参加率は大きく下がりました。
一方、リモートワークの普及は柔軟な働き方のコストを下げる可能性もあります。リモートワークの今後については不透明な面もありますが、男女ともにリモートワークが広がれば夫婦間の公平性は高まるでしょう。
このように本書は男女の賃金格差の本質を鋭くついています。
もちろん、日本などではこの「どん欲な仕事」の問題以外にも、上司の偏見などの要因があるのでしょうが、いずれはこの問題に突き当たるのだと思います。
この問題がチームでの労働やリモートワークによって解消されていくのか、それとも日米貿易摩擦のときに「働き過ぎの日本人と競争するのは不公正」との声が出たように「週60時間もオフィスにいるようなやつは不公正だ」みたいになっていくのか、それとも「夫婦というユニットで最大限稼げれば、夫婦間の公平性はそんなに問題ではない」となっていくのかはわかりませんが、本書が男女の格差の過去と現在を鋭く分析していることは間違いないです。