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民俗学者が出てくる映画まとめ(民俗学っぽいマンガとは何か補編)

 

通俗的民俗学イメージ」に沿って創作された作品(ドラマ・漫画・ゲームなど)に登場する民俗学者たちは、妖怪を研究テーマとしている場合が多いが、実際の民俗学で妖怪を専門としている研究者は少ない。にもかかわらず、妖怪を研究したいからと民俗学を志望する学生が多く、現場の教員が頭を悩ませていることは、研究者仲間でよく話題になる。

(伊藤龍平『ネットロア ウェブ時代の「ハナシ」の伝承』青弓社、2016年、66~67頁)

 

民俗学っぽいマンガと民俗学っぽい映画

 

今回は、以下の記事の続き。

 

民俗学っぽいマンガとは何か ——民俗学者が出てくるマンガまとめ - 猫は太陽の夢を見るか:番外地

 

前回の記事を書いたとき、マンガのほかにアニメやゲーム、ドラマには触れつつも、映画についてはほとんど言及しなかった。

なぜかといえば、民俗学者キャラクターが出てくる映画がそもそも少ないというのもあるが、まずネットで映画の情報をまとめるのということ自体がいまさら感があるし、ほかに詳しいサイトやブログがいくらでもあると思ったからだった。

実際、インターネットの世界では映画について語るサイトは無数にあり、SNSは最新映画の感想であふれている。公開館数の少ない映画も昔のマイナー映画も、レビューを探そうと思えばいくらでも出てくる。

……しかし、マンガとアニメとドラマとゲームと小説についてまとめておきながら、映画だけ取り上げないというのは、やはりまとめとして不十分ではないかという思いも残っていた。

 

そしてあらためて検索をかけてみると、「民俗っぽい映画」あるいは「民俗学っぽい映画」という括りでまとめているものはネット上には意外と見当たらない。

2020年に『ミッドサマー』がヒットしたときには、「民俗カルトホラー」を強調するレビューが目立ったが(これはほぼ同時期に『シライサン』『犬鳴村』などの国内ホラー映画が話題になっていたことも関係しているかもしれない)、そういった一過性の現象をのぞくと類似のまとめはほとんどないと言っていい(……ただしこれは日本語環境の場合の話で、たとえば folk horror で検索するとその手の情報はいくらでも出てくる)

 

これは不便だ。

 

マンガと比べて、映画の中で民俗学者はどのような役割を与えられているのだろうか?

マンガの中の民俗学者はしばしば妖怪や呪いについて独自の見解を述べているが、映画ではどうなっているのだろうか?

マンガの中の民俗学者イメージと映画の中のそれとは、重なるところはあるのだろうか?

 

前回の記事からそういう疑問を抱いても、確かめるすべがない。そこで、それらの疑問を少しでも解消するため、今回、乏しい手持ちの知識リソースを頼りに、前回のマンガ記事の補足として「民俗学っぽい映画」について一回まとめておこうと思い、この記事を書くことにしたというわけだ。

 

最初に断っておくと、筆者は映画と民俗学のどちらにもまったく詳しくない。

この記事にも初歩的な事実誤認や勘違いが多々あることだろう。しかし前回の記事と同様に、今回もなるべく多くの情報をまとめることを優先し、あまり作品の内容に深入りはせず、とりあえずタイトルの列挙に重点を置いた。

 

方針としては今回も前回と同じく、「民俗学っぽい雰囲気」や「民俗学っぽい描写」の有無ではなく、

 

映画の中に民俗学者かそれに準ずるキャラクターが出てくるかどうか。

 

その一点を基準に作品を選んでまとめた。

 

今回は前回と違い、あまり全体の考察や由来探しのようなことはしていない。

まずは個人的に選んだ代表的な10作品を挙げ、次に次点の作品を並べていきたい。

 

 

 

 

 

 

なお、この記事はネタバレにはまったく配慮しない方針で書かれています。

その点、どうかご承知おきください。

 

 

 

 

 

 

 

勝手に選ぶ!民俗学者が出てくる映画10選


死国 1999年 東宝
監督 長崎俊一, 脚本 万田邦実/仙頭武則
原作 坂東眞砂子死国

 

田舎の持ち家を処分するため15年ぶりに故郷にやって来た比奈子は、幼馴染で、共に文也という少年に淡い恋心を抱き、不思議な魅力を備えていた莎代里が高校生の時に不慮の事故で亡くなっていた事を聞き、驚く。莎代里の死のショックから立ち直れないでいた文也は再会した比奈子と接近してゆく。そんな折、村の聖地にある地蔵の首がもがれるという事件が起こる。その事件をきっかけに次々と不気味な現象が起こるようになる。

死国|一般社団法人日本映画製作者連盟” http://db.eiren.org/contents/04310165801.html より引用)

 

映画『死国に出てくる民俗学者・小田信夫(演 諏訪太朗は、高知県立高岡民俗資料館に勤務する学芸員

映画前半の登場シーンでは、帽子にメガネ、ヒゲ、シャツにジャケット姿。役場に勤める文也(演 筒井道隆)とともに禁足地の洞窟に調査に入り、文也に黄泉の国について解説する。この場面で小田は文也に「地元の人のほうが詳しい」と発言しており、小田が村の外部から来た人間であることが示唆されている(この発言が表しているのは、生まれた土地で進学就職し地方公務員となった文也と、専門職の学芸員として「よそ」からやって来た小田、という二人の立ち位置の違いでもある)

東京から比奈子(演 夏川結衣)が帰ってくる一方で、文也は死んだ幼馴染の日浦莎代里(演 栗山千明)のことが気にかかっていた。文也から日浦家について何か知らないかとたずねられた小田は、以前に日浦という人物が書いた四国の古代史関係の報告があったが結局出版されなかったという話をする。そして、その古代史関係の報告をしていた人物こそが莎代里の父親である日浦康鷹(演 大杉漣だった。文也は役場の資料棚から当時の民俗学の学会誌を見つけ、そこに康鷹が執筆途中だったらしい『四国の古代史』の刊行予告があるのを発見する。

ストーリーの進行にともなって村ではさまざまな不可解な現象が相次ぐ。後日、真相を解明するために小田のいる民俗資料館を訪れた比奈子と文也。小田は二人に四国八十八か所を逆に回る「逆打ち」の儀式のことを説明し、仙頭という修験者(演 佐藤允)を紹介する。しかし、莎代里の母の手によって儀式はすでに完成しようとしていた……。

この映画での小田の役回りは、怪奇現象について解説し、霊能者を紹介することだ。

ただ、小田は比奈子たちに修験者を紹介するものの、小田自身がどこまで呪いや祟りを信じていたのかはわからない。それは修験者を紹介するのを一度は躊躇っていた描写からもうかがえる。作中では小田の論文「土佐の民族と淡路島」が掲載されている『民俗史研究』という地元の学会誌がアップで映されており、小田の仕事の一端がわかるようになっている。

この映画での民俗学者の役割は確かにオカルト的現象の解説者だ。しかし、小田は単にオカルトに傾倒した異端の学者ではなく、業界の事情に通じ、あくまで専門家の立場からわかる範囲で助言をする研究者として描かれている。

余談だが、小田役の諏訪太朗は多くの特撮やホラー、サスペンスに出演する中でドラマ『彼岸島』(2013年)でも民俗学者を演じている。別作品で複数回民俗学者役を演じている数少ない役者である。

 

 

 



八月のかりゆし 2003年 ギャガ
監督 高橋巖, 脚本 高木弓芽

 

17歳のテル(松田龍平)は、どこにでもいる普通の高校生。ただひとつ違うのは、ユタ(霊媒師)を母親に持ち、民俗学者で遊び人の父親が幼い頃に行方不明になったこと。そんなある日、母が他界する。親戚の謝花家を頼って足を踏み入れた沖縄で、テルは従妹のマレニ(末永遥)に出会う。マレニは不思議な雰囲気を持った14歳の女の子。チルおばあの指導のもと、ユタになるために修行中だが、この世のものでないものが見えてしまうため、本当はユタになりたくない。家の側にはガジュマルの樹があって、そこにキジムナー(ガジュマルの樹に住む妖精)がいるという。テルは心霊現象をまるで信じていないが、なぜかマレニとすぐに仲良しになる。〔後略〕
(”八月のかりゆし|日本の映画情報を検索 日本映画情報システム” https://www.japanese-cinema-db.jp/Details?id=1019 より引用)

 

映画『八月のかりゆし』の主人公テル(演 松田龍平)の父親、柳口タダシ(演 嶋田久作は放浪癖のある民俗学者。学者だが女遊びが激しく、家族すらその所在を知らないというかなり破滅的な人物だ。『島に生きる マレビトの存在証明』という著書があるなど研究者として実績があるらしいことはほのめかされるものの、家族を放って行方知れずになっており、研究の拠点がどこにあるのかもよくわからない。

民俗学者の父親。調査研究に没頭してろくに家に帰ってこない非常識人。そしてどうやらキジムナーやマレビトなどの「妖怪」や「異界」に関係する研究をしているらしい……。

この映画で描かれる民俗学者のイメージは、いわゆるフィクションに典型的な通俗的民俗学イメージをなぞっている。「柳口」という名字は、言うまでもなく柳田国男折口信夫をもじって命名されたものだろう。

映画本編は沖縄が舞台だが、作中では柳口は始終行方不明で、終盤で映る郵便の住所から現在は岩手県遠野市にいるらしいことが判明する。

沖縄から遠野へ。

これは、

「沖縄=マレビト=折口信夫」「遠野=遠野物語柳田国男

……という要素の組み合わせによるものと容易に連想できる。

また、映画の中ではイギリスの海軍将校バジル・ホールが著した『大琉球島航海記』という実在の著作が、柳口が沖縄に興味を持ったきっかけとして登場する。

架空の本ではなく実際に出版されている著作が明示されている。

……が、柳口本人がほとんど登場しないために、その著作から彼がどういった影響を受け、民俗学者としてどういう仕事をしていたのかなどの詳細はよくわからない。

息子のテルはろくに家に帰ってこない奔放な父親に反感を持っているが、映画の中で父子が直接対面する機会はついに訪れない。

父親が登場するのは、映画の最後の回想シーンだけだ。

だが実は、映画ではこの民俗学者の父親の登場こそが物語全体のオチになっている。

それまで散々話題に上がっていながら出てこなかった父親。その父親が映画の最後の最後になってゆらりと影のように現れ、しかも演じているのがあの嶋田久作なのだ。登場シーンがある種のサプライズ的な仕掛けになっているのである。

映画の最後のシーン。それは、まだテルの母親が生きていた頃の光景だ。

生前の妻を前にして、すべてを知っているかのように静かにたたずむ嶋田久作。夫婦の穏やかな情景を映して物語は幕を閉じる。

しかし、本編で語られる身勝手な父親のエピソードと、最後の仲睦まじいように見える夫婦の場面は、あまりかみ合っているとは思えず、少々困惑が残る。

他に、木の精霊キジムナー役が三線を引く斉藤和義だったり、元首相の村山富市が特別出演していたりと、要所要所のサプライズ配役がこの映画の印象をよくわからないものにしている。

 

 

 



単騎、千里を走る。 2005年 東宝
監督 張芸謀/降旗康男, 脚本 鄒静之

 

 ある日、漁師の高田(高倉健)は、東京で民俗学を研究している息子・健一(中井貴一)が病で倒れたと聞き、上京することになる。しかし長年の確執もあり、見舞った高田に対して息子は会おうとしない。息子の命がもう長くないことを知り、やり切れぬ想いを抱く高田。そんな高田に健一の妻・理恵(寺島しのぶ)が、高田の心情を汲み、研究家としての健一の仕事振りを紹介したテレビ番組のビデオテープをそっと渡す。そこには、健一が中国の奥地・李村の民俗舞踊を研究・紹介する姿が映し出されていた。〔後略〕
(”単騎、千里を走る。 - 映画・映像|東宝WEB SITE” https://www.toho.co.jp/movie/lineup/tanki/story.html より引用)

 

映画『単騎、千里を走る。もまた父と息子の関係を描いた作品だ。高田(演 高倉健)の息子、健一(演 中井貴一は、東京大学東方芸術研究所に所属する研究者。中国の仮面文化を研究しており、十数編の論文がある。長年に渡って雲南省の仮面劇を現地で調査、記録していた。映画の中では病室のカーテン越しにベッドで寝ている様子が少し映るものの、直接的な登場シーンはない(なお、東宝のホームページにある作品紹介では「東京で民俗学を研究している息子・健一」とあるが*1、映画の中では、健一の専門が「民俗学」だとは明言されていない)。病床の身だったが、父親が中国へ行っている間に死亡してしまう。

この映画は父親が息子の旅路をたどる物語であり、いわば作中の民俗学者のフィールドワークを、見る側が追体験する物語でもある。かつての旅路の過程をじっくり描いているところこそがこの映画の見どころとなっている。

高倉健演じる無口で不器用な父親は多くを語らない。しかも、現地の住民とは通訳を介してしか話せないために、コミュニケーション全般がなかなか円滑に進まない。

空と大地だけが広がる景色。風が画面越しに伝わってくるような圧倒的リアル感。

映画は人と人との交流の大切さを、ゆっくりと丁寧に描いている。

……だがその一方で、ガイドもほとんど足を踏み入れないような中国の秘境へ調査に行くという描写が、はたして現実の日本の民俗学者と比較してどれくらい妥当なのか……などと詮索し始めると急に現実味が揺らぐような気がしてくる。映画で描かれる「秘境の村にフィールドワークに行く」という設定が、そもそもフィクションにおけるステレオタイプ民俗学者のイメージそのものだからだ。

また、健一は中国での調査生活が長く、父親との確執も放置したままだったらしい。つまり研究者として優秀な反面、あまり家庭を顧みるタイプではなかったということで、これもステレオタイプな学者イメージを踏襲していると言えるだろう。

 

 

 



奇談 2005年 ザナドゥ
監督 脚本 小松隆志
原作 諸星大二郎「生命の木」

 

1972年。民俗学を専攻している大学院生・佐伯里美(藤澤恵麻)は最近、巨大な穴と幼い少年が現れる奇妙な夢を見るようになっていた。小学一年生の夏休み、東北の隠れキリシタンの里として知られる渡戸村に住む親戚の家に預けられていた里美は、一緒に遊んでいた少年と共に神隠しに遭い、その前後の記憶がなかった。当時の記憶の断片にも思えるその不思議な夢に誘われるように、幼い頃の失われた記憶を求めて、里美は渡戸村へと向かった。〔中略〕村の教会に立ち寄った里美は、村に伝わる聖書異伝『世界開始の科の御伝え』を調べるためにやってきていた考古学者・稗田礼二郎阿部寛)に出会う。〔後略〕
(”奇談 キダン|日本の映画情報を検索 日本映画情報システム” https://www.japanese-cinema-db.jp/Details?id=1352 より引用)

 

映画『奇談』は、民俗学の大学院生・佐伯里美(演 藤澤恵麻が主人公。

幼少時の欠落した夏の記憶と不思議な夢に悩まされていた佐伯は、友人に相談したり当時の記録を調べたりする過程で専門家に意見を求めようと試みる。

そして、この映画で佐伯が最初にたずねるのは、順番から言えば、民俗学者でも考古学者でもなく、心理学者なのだ。

佐伯を出迎えるのは、臨床心理学が専門の芹沢義満(演 堀内正美)。相談に訪れた佐伯に対し、芹沢は「自己防衛本能が働いたのか、あなた自身もその夏のことに蓋をして忘れたつもりだった」と分析する。芹沢は「人生には思い出さないほうがいいこともあるんですよ……」と意味深に忠告するが、佐伯は真実を探ろうと動き出す。

次に登場する三戸部孝蔵(演 土屋嘉男)は、佐伯も所属する文芸学部民俗学研究室の教授。スーツに白衣を着た中年の男性で、デスクでお茶を啜る姿はいかにも学者然としている。

佐伯から相談を受けた三戸部は、作中時系列で十年前──つまり昭和三十七年頃に渡戸村へフィールドワークに行ったことがあると打ち明ける。三戸部によれば、渡戸村には「はなれ」という謎の集落があるのだという。

「それと、できれば「はなれ」がいまどうなっているか見てきてほしいんだ。ダムに沈んでしまう前にね」

「村は「はなれ」のことを隠したがってる」

三戸部から「はなれ」の現状を確認してきてほしいと頼まれた佐伯は、単身、渡戸村へと向かう。

村への道中までの佐伯は三戸部の論文を読み込み、現地の役場の職員に事情を聴くなど研究者らしい感じで描かれるのだが、村に到着してからは一転、時折村の石仏などを写真に収めているのを除くと、研究者としての佐伯の姿は薄くなってしまう。以降、物語の主体は阿部寛演じる考古学者・稗田礼二郎のほうに移っていく。

稗田礼二郎。短髪に黒縁眼鏡、黒スーツを着た長身の男性。「地球には我々の生態系とは別の進化を遂げた闇の生態系があり妖怪は実在する」という学説を発表し学会を追放された異端の考古学者(……と、稗田は自嘲気味に自己紹介するが、初対面の佐伯が「あの『ヒルコの里』の稗田礼二郎先生ですか?」とたずねる程度には名の知れた人物であるらしい)。職業としては考古学者だが、渡戸村を訪れたのは在野の民俗学者の著作の中に村に関する記述を見つけたためだという。また、教会の神父→村の古老→寺の住職などの現地の人々に話を聞き、山を歩いて調査をするなど、その行動も考古学者というよりも民俗学者的に描かれている。

村の教会で、稗田は村の隠蔽体質を告発する。

「なぜか渡戸村ではこのことを外にもらさないようにずっと監視の目を光らせてきたようですね」

「この本は限定五十部の自費出版だったから、「世界開始の科の御伝え」と「はなれ」のことが記載されてしまった。このことを調べに来たんですよ」

ここで思い出してほしいのは、佐伯の指導教員の三戸部教授のことだ。稗田礼二郎は過去の民俗学者の著作からようやく「はなれ」の存在にたどり着いたと語った。しかし、途中で頓挫したとはいえ、稗田に先駆けて十年も前に自力で「はなれ」を調査し論文を書き上げていた三戸部も、だいぶ異端の学者の領域に片足を踏み入れているんじゃないだろうか……。

では、民俗学の研究者である三戸部や研究室の他の院生たちは普段何の研究をしているのか。

その内容は具体的にははっきりしないが、映画では、三戸部や佐伯含む他の研究室のメンバーは全員白衣を着用して作業をしていた。院生たちは何かの古文書らしき書物をタイプライターで文字起こししていたり、ヘッドホンを着けて録音した音声をテープ起こしをしている様子が描写される。研究室には古そうな資料や木彫りの仏像や壺などが積まれており、院生たちはその中で黙々と作業をしていた。

またよく見ると背景の研究室の黒板に、

「十一月十六日(木) 十三時~大講堂にて「東北地方の風俗と宗教」森下教授講演会」

「十六時~ 早川教授 A教室にてゼミ(試写会)」

「課題提出期限 十二月一日」

「隠居の居住制の考察」

……といったが書き込みがあり、作中時間が昭和四十七年の十一月頃だとわかるとともに、研究室の活動がわずかだが垣間見える。

『奇談』はとにかく学者が多く登場する映画である。映画のラストでは三人の「じゅあん」たちが人々を導き昇天する。映画に登場する心理学者・民俗学者・考古学者の三人の学者たちも、悩みを抱える佐伯にそれぞれの場面でそれぞれにふさわしい助言を授けることで、この物語を導いているのだ。

 

 

 



エクスクロス 魔境伝説 2007年 東映
監督 深作健太, 脚本 大石哲也
原作 上甲宣之「そのケータイはXXで」

 

大学のサークル仲間の水野しより(松下奈緒)と火請愛子(鈴木亜美)は、人里離れた温泉地の阿鹿里村を訪れた。それは、恋人の朝宮圭一(池内博之)の浮気現場を目撃したしおりの傷心旅行だった。しきりに携帯電話へ連絡して復縁を迫る圭一だが、しおりは無視を決め込んでいた。到着した阿鹿里村には、奇妙な村人ばかりがいた。不安になるしおりに追い討ちをかけるように、宿の押入れで見つけた携帯電話からは「今すぐ逃げろ! 足を切り落とされるぞ!!」との警告が聞こえてくる。そのアドバイスは、妹の静を阿鹿里村で失った物部昭と名乗る男からのものだった。村人たちの怪しい気配を感じたしおりは、物部の指示に従って宿から逃走する。同じ頃、愛子もゴスロリ・ファションの謎の女レイカ小沢真珠)から襲われていた。〔後略〕
(”XX エクスクロス 魔境伝説|日本の映画情報を検索 日本映画情報システム” https://www.japanese-cinema-db.jp/Details?id=20600 より引用)

 

映画『エクスクロス 魔境伝説』に登場する物部昭 (演 岩尾望, 声 小山力也は、城南大学に勤務する民俗学の講師。一般には秘匿されているはずの阿鹿里村の地理や風習について詳しい知識を持つ。連れ去られた妹・静を助けるために連絡を取ろうとしていたが、しより(松下奈緒)が静の携帯電話を拾ったことで彼女に村から逃げるようにアドバイスをすることになる。

「早くそこから逃げろ! 足を切り落とされるぞ!」

「きみが俺の話を信じるか、奴らに足を切られるか、選択は二つに一つだ」

本編中、阿鹿里村に関する情報はほぼすべて物部の口から語られる。

「もともと阿鹿里は木こりたちの村だった。男たちが山から山へ木を切りに出かけている間、女房が村から逃げ出したりしないよう、男たちは女たちの左足を切った。それがひどい風習の始まりだった」

「時が経つと村人は旅の女を捕まえて山へ捧げる生き神として祀るようになった。生き神にされた女たちは左足を切られて、山の祠に閉じ込められた。そしてその風習は今も密かに続いている」

「村人はみんな足を引きずっていただろう。奴らは子供が生まれるとすぐ、左足の腱を切るんだ。仲間の証、延いては村から逃さないために……」

「信じたくない気持ちはわかる。だがきみも見てきたはずだ。村のあちこちに飾られた案山子たちを。あれは飾りなんかじゃない、死んだ女たちをミイラにして村の守り神として祀ってるんだ!」

「気をつけろ! 儀式はもう始まっている!」

物部の台詞はどれも切迫感に満ちている。

ただし、物部自身がどのようにして阿鹿里村の詳細を知ったのかということや、具体的に民俗学の何を専門としているのかということは明かされない。

途中、大学の教員の中に物部の名前が見つからなかったという理由で、物部はその正体を疑われるが、のちにそれが物部が常勤の教員ではなく講師だったためと明らかになる。素性のよくわからない相手。先の見えない暗闇の中の逃走劇。物部との会話が携帯電話越しにのみ交わされるなどの演出も含め、人を最後まで信じることが出来るかということが、この映画の重要なテーマになっている。

終盤まで電話越しの声のみでなかなか姿を見せない物部だが、しよりたちが危機に瀕している場面で颯爽と車を運転して登場。派手なカーアクションで村の儀式に突っ込んでくるクライマックスはこの映画最大の見どころ。車での登場後も物部は黒いキャップを目深にかぶり、ラストギリギリまで素顔が明かされないが、それも意味のある演出のひとつとなっている。

 

 

 



のぞきめ 2016年 KADOKAWA/プレシディオ
監督 三木康一郎, 脚本 鈴木謙一
原作 三津田信三「のぞきめ」

 

ADとしてテレビ局で働く三嶋彩乃(板野友美)は、腹がよじれ、口から泥を吐き出した異様な死に様の青年の怪死事件を取材する。青年の恋人は「“のぞきめ”の仕業だ!」と狂ったように顔を歪める。彼らは大学のサークルで山奥の合宿に行って以来、ずっと何かに“覗かれている”気がしていたのだ。そして関係者も次々と“のぞきめ”の悲劇に見舞われ、その恐怖はついに彩乃の身にも降りかかる……。
(”のぞきめ|日本の映画情報を検索 日本映画情報システム” https://www.japanese-cinema-db.jp/Details?id=46647 より引用)

 

映画『のぞきめ』に登場する四十澤想一(演 吉田鋼太郎,玉城裕規(過去))は、在野の民俗学者だ。著書『山村の民間伝承』の「『六部殺し』から見る村落共同体の規範と差別意識」の章の中に「梳裂山地の侶磊村には〈のぞきめ〉と呼ばれる化け物の伝承がある」という記述を残していた。その記述を頼りに自宅を訪ねてきた三嶋彩乃(演 板野友美)と津田信二(演 白石隼也)に「のぞきめ」について五十年前の自身の体験を語る。

回想に出てくる若い頃の四十澤は、登山者ふうの帽子をかぶり大きなリュックサックを背負っている。さらに首からカメラを下げ、尻ポケットには手帳を突っ込み、シャツに上着を着込んだ重装備の旅人スタイルだ。フィールドワークのために村を訪れ、出くわした村人に突然、「この村にのぞきめという化け物が出ると聞いてやって来ました」と言うなど、やや言動に不用意なところがある若者として描かれている。

「のぞきめにとり憑かれた者は、まず誰かに見られているという錯覚にとらわれる」

「そのうち、四六時中不気味な目に覗かれるようになる。襖や障子の隙間、天井の隅、道の角、藪の中、いたるところから……」

「覗くだけだよ。妖怪や幽霊の類は、姿を見せるだけで意味がある」

「人々に恐怖心を植え付けて、むやみな森林伐採を防ぐためだ」

「侶磊のように林業を唯一の生業とする集落には、よくある、お伽話だよ」

現在の四十澤は沿岸部の邸宅で隠居のような生活をしている。家の中には大きな絵画が飾られ、家事のために人を雇っているなど、かなり裕福な生活をしているようだ。つねにサングラスをつけ、ストールをまとい、ステッキを手放さない。

当初はのぞきめのことをあくまで「お伽話」と語った四十澤だったが、しかし実は、のぞきめの祟りから逃れるためにそのサングラスの下は両目とも黒く潰され、盲目となっているのだった。

「のぞきめは実在する。あれは大昔、あの場所で無残に殺された六部の少女の怨霊だ」

「あれと目を合わせれば呪われる。ならば、視界を失ってしまえばいい。そう考えたんだが、一度覗かれれば、のぞきめの恐怖から逃れることはできない。目が見えなくても、それは同じことだ……」

とにかく、吉田鋼太郎の怪演が光ってあまりある。他の映画の民俗学者キャラクターと比べても、「こんな学者がいてたまるか」という胡散臭さのレベルでは群を抜いているだろう。

とくに映画の中で四十澤が映る最後の場面。彩乃を見送ったのち部屋に戻ろうとする四十澤の前に再びのぞきめの少女が現れるのだが、盲目のはずの四十澤はのぞきめと対峙し、ひとり不気味な笑みを浮かべるのだ。その笑みの不気味さだけでも、「民俗学者」=「あやしくて胡散臭い」というイメージを与えるには十分な印象を残している。

 

 

 


貞子vs伽椰子 2016年 KADOKAWA
監督 脚本 白石晃士

 

ある冬の日、リサイクルショップで軽い気持ちで手にしたビデオデッキを再生した女子大生・有里(山本美月)と親友・夏美(佐津川愛美)。そこには、観るもおぞましい映像があった。携帯電話に気を取られ、ろくに目にしていなかった有里。一方、映像を観てしまった夏美はその時から奇妙な現象に襲われるようになる。そんな中、夏美を救うため有里は「呪いの動画」を追いかけている大学の教授・森繁(甲本雅裕)から紹介された霊媒師・常盤(安藤政信)に相談する。〔中略〕一方、数日前に家族で引っ越してきたばかりの女子高生・鈴香(玉城ティナ)は、向いの空き家が気になっていた。入ったら行方不明になるという噂のある家。無人のはずなのに、時折、何かの気配がする。近所の少年・祐太の失踪事件が起きた頃、鈴花は、向かいの家に祐太の後姿を見つけ、家に足を踏み入れてしまったのを機に、彼女の身と家族に不可解な出来事が起き始める。〔後略〕
(”貞子vs伽椰子|一般社団法人日本映画製作者連盟” http://db.eiren.org/contents/04010265701.html より引用)

 

映画『貞子vs伽椰子』森繁新一(演 甲本雅裕は、都市伝説の研究者。成安文化大学文化人類学部の教授。無精髭にパーマの男性で、大学では白シャツにサスペンダーを着けた姿をしている。研究室には「物理現象としての心霊 オックスリー実験の真偽を巡って」や「依代とは何か」などと書かれたポスターが張られているほか、木彫りの仮面や神棚らしきものまで並んでいる。民俗学というより超心理学寄りのイメージが強調されている人物である。しかし、講義のスクリーンには「民俗学・説話伝承史資料」というキャプションが表示されており、少なくとも民俗学が専門なことは確かなようだ。

かなりのオカルトマニアで、貞子に憧れて本物の呪いのビデオを探していることを講義でも公言していた。その貞子へ向けられた愛は強く、『「呪いのビデオ」を追う』という本を自費で出版するほど。

「呪いのビデオ」の呪いを回避するために霊能者を紹介し、自身も除霊に参加するが、儀式の最中、霊にとり憑かれた霊能者と相打ちになって死亡する。

最期の言葉は、「待ってくれー! まだ……まだ、貞子を見てなああぁい……!」

森繁教授の特徴的なところは、都市伝説の説明や呪いのビデオに対抗する方法として「ミーム」や「メンタルウイルス」を例に挙げて語っている点だ。

講義中の森繫教授の台詞をいくつか抜き出してみる。

「ちょっと代表的な都市伝説を挙げてみようか。口裂け女トイレの花子さん。赤マント。ベッドの男。足を踏み入れたら死ぬ家。呪いのビデオ。どの都市伝説も皆聞いたことがあるだろう」

「じゃあね、これらを体験した本人から聞いたことがある人。……いないよね。どうして。それは、作り話だから。昔話と同じ、人から人への伝達で形成される、ミームと言われる文化遺伝子なんだよ」

「ただしね、この呪いのビデオ。これだけは他と違う。僕の心をつかんで離さない」

この、映画冒頭で大学教授が身近な都市伝説を例に、それらが作り話だと学生たちに講義するという始まり方は、『キャンディマン』(1992年)『ルール』(1998年)などの都市伝説を題材とする先行作品とまったく同じ展開だ。都市伝説なんて作り話だと語った大学教授がその後、都市伝説にかかわって死亡するところも共通している。

「確かに君たちの話は、呪いのビデオの都市伝説に当てはまる。もしこれが本物だとしたら、ものすごい発見だ」

「おそらく、この都市伝説に触れた者たちのミームがマインドウイルスと化し、集合無意識の具現化が起きたんだ」

「僕の考えでは、死ぬ直前なら我々の内部プログラムのミームを書き換えれば……」

この映画の中で森繁教授が語る「都市伝説=ミーム」論は、フィクションに出てくる民俗学のイメージとはあまり重ならないようにも思える。映画に登場する民俗学者ならば、もっと古い伝承とか隠された秘境の村とかについて語ったほうがいいんじゃないか……などとつい思ってしまうが、ちょっと調べてみると、インターネット・ミームの研究というのは、現実の民俗学──とくにアメリ民俗学ではすでに蓄積のある研究対象であるらしい*2 *3。最近も『フォークロアソーシャルメディア』という論集が刊行されたばかりだ。

とすると、都市伝説がミームとなって拡散するという話は、都市伝説の専門家である民俗学者・森繁教授の口から出る説明としては(もちろん「集合無意識」などの論理に創作内の飛躍はあるものの)、結果的にそれほど違和感のある言葉ではない……のかもしれない?

 

 

 

 


DESTINY 鎌倉ものがたり 2017年 東宝
監督 脚本 山崎貴
原作 西岸良平鎌倉ものがたり

 

鎌倉。ここには、人間ばかりでなく、幽霊や物の怪、魔物に妖怪、神様、仏様、死神、貧乏神までが住んでいた。魔界や黄泉の国の間で、生者と死者の思いが交錯する都。この地に暮らすミステリー作家、一色正和(堺雅人)の元に、若い女性、亜紀子(高畑充希)が嫁いでくる。しかし、亜紀子は、あちこちに人ならざる者がいるような、おかしな気配を感じていた。正和と亜紀子が道を歩いていると、その前を何かが通り過ぎる。それは、ムジナか河童か……? 驚く亜紀子に正和は、“鎌倉は何千年も昔から妖気が溜りに溜まっていろいろな怪奇現象が起こるけれどもここでは普通のこと、すぐに慣れる”と言うのだが……。〔後略〕
(”DESTINY 鎌倉ものがたり|日本の映画情報を検索 日本映画情報システム” https://www.japanese-cinema-db.jp/Details?id=47194 より引用)

 

映画『DESTINY 鎌倉ものがたりでは、主人公の小説家・一色正和(演 堺雅人)の父親である一色宏太郎(演 三浦友和は、民俗学者の大学教授だ。

息子の正和は幼い頃、父親が調査研究で不在の際に母親が小説家の甲滝五四朗と密会しているのを目撃し、以降、母親が甲滝と不倫をしていたのだと思い込んでしまう。

しかし、甲滝五四朗の正体は宏太郎本人だった。

宏太郎は父親(正和の祖父)からの「学者になれ」という圧力に対抗できずに研究者となったものの、夢を諦めきれず隠れて幻想小説家・甲滝五四朗として活動していたのだ。ペンネーム「甲滝五四朗(こうたきいつしろう)」は本名「一色宏太郎(いつしきこうたろう)」のアナグラム。小説家となるときはメガネを外しつけヒゲに和服で変装し(普段はメガネと背広)、自宅近所の別宅で執筆をしていた。正和の母親は執筆作業に励む夫に会いに行っていただけだったのだ。

しかし宏太郎が事実を隠したまま他界したため、以降、正和は夫婦関係というものに複雑な思いを抱えていくことになる。

映画前半では正和の抱えるわだかまりが夫婦喧嘩の原因となっている。

のち、妻を救うため黄泉の国を訪れた正和は父親と再会、真相を明かされる。実は、宏太郎の死も、早世した妻を呼び戻そうとして幽体離脱し、そのまま現世に帰ることができなくなってしまった……という事情があったのだった。

映画では原作のさまざまなエピソードが組み合わされているが、自分の両親を誤解していた正和がその秘密を知り夫婦のあり方を考え直すまでがストーリーの主軸となっている。

また、一色家の納戸には正和の趣味の鉄道模型が保管されているが、他に民俗学者だった祖父と父が収集した骨董品類も多く収められている。人魚のミイラらしきものや鬼退治を描いた画軸(この絵の中で鬼を退治しているのがおそらく正和の前世の姿)、アフリカ系っぽい置物などが確認できる。

収集品以外に宏太郎が民俗学者として具体的に何をしていたのかは描かれないが(というか学者の仕事は渋々やっていた感じすらある)、映画に多数登場する妖怪たちとともに、ここでは民俗学者とオカルト趣味のイメージが強く結びつけられている。

また、宏太郎が小説家業のカモフラージュに民俗学者としての調査研究を口実としていた描写は、「民俗学者はフィールドワークで数日くらい家を空けていてもおかしくない」というイメージをもはや自明のものとしてストーリーに組み込むことで成立しているものでもある。

 

 

 

 


劇場版 屍囚獄 起ノ篇 / 劇場版 屍囚獄 結ノ篇 2017年 「劇場版 屍囚獄」製作委員会
監督 脚本 城定秀夫
原作 室井まさね「屍囚獄」

 

山奥の県境付近に位置する、人口わずか43人の八坂村。この廃村寸前の小さな集落へと通じる、唯一の道を走る一台のワゴン車。比良坂大学の教授・葦原とその助手・香坂、そして美琴たち4人の女子大生は、ゼミ合宿のためにこの村を訪れていた。到着するなり、美琴たちは村長の天野や村の男たちから熱烈な歓迎を受けるが、この一帯にはびこる違和感に不安を覚えていた。そう、この村には女が全くいなかったのだ。葦原の真の目的は、この閉鎖的な村に起こっている現象を調査することだった。そして、村の協力を得る条件は、若い女性を連れて行くというものだった…。
(”屍囚獄(ししゅうごく)- アルバトロスフィルム” https://www.albatros-film.com/movie/corpse-prison/ より引用)

 

映画『劇場版 屍囚獄 起ノ篇 / 結ノ篇』葦原(演 稲葉凌一)は、比良坂大学の民俗学教授。原作コミックではハンチング帽とメガネにポロシャツ姿の男性だが、映画ではメガネと帽子はなく、口元とあごにヒゲをたくわえ、服装は黒のネックウォーマーにジャケットという姿になっていた(ただし夜間に書き物をしているときはメガネをしている。また、フィールドワーク時はジャンパーを着ていた)

映画は、葦原がゼミの女子学生たちを連れて山奥の八坂村を訪れる場面から始まる。

八坂村は今まで外部からの調査を一切断ってきたというが、葦原は村長の天野と事前に交渉し、「若い女性を連れていくこと」を条件に村の調査を認められていた。

映画前半では、熱心に村の風習を記録する葦原の姿が描かれる。葦原は村の儀式「足切りの儀」に女子学生たちを参加させ、自身はそれをビデオカメラで撮影(ここのシーンだけ画面が葦原のカメラ視点のドキュメンタリー風になる)、外部の女性を村の嫁とする歓迎の儀式だという村長の説明を聞いて「異界婚姻譚だ」と解釈する。

しかし、この葦原教授、実は助手の香坂(演 福咲れん)と不倫関係にあることが早々に明らかになる。ほかにも村の神社の本殿に無断で侵入し古文書を持ち出すなど、原作と比べても倫理観に欠ける行動が目立つ。

また、持ち帰った書物を読み解いていた葦原は、八坂村の隠された恐ろしい風習を知ってしまう。八坂村では古くより村の外から来た女性を捕らえては足を切った上で逃げられないようにし、監禁して無理やり子供を産ませてきたというのだ。その事実を学生に説明しているところを村長に聞かれてしまい、危機を悟った葦原は学生たちを逃がそうと村長と揉み合いになる。葦原の意を汲んだ香坂が他の学生を連れて逃げ出そうとするところで前編(起ノ篇)は終了。

後編(結ノ篇)では、学生たちを逃がそうとした葦原が村長に捕まり縛られているシーンから始まる。村長に痛めつけられた様子の葦原は、村長に対し自らの信念を熱く語る。

「私は神など信じていない。だからこそ民俗学に興味を持った」

「人の心にある神とは何なのか、それを知りたかった」

「神がこの村を作ったんじゃない、この村が神を作りだしたんだ……穢れた神を」

「あなたが呪いを断ちきらなければならない」

しかし、激昂した村長に猟銃で撃ち殺される。死体は物置小屋に放置された。

女子学生を騙して村に連れてくる、無断で神社から古文書を持ち去る、妻子のある身でありながら教え子と不倫をしている……など、死亡フラグは十分に揃えているので、ホラー映画の登場人物としては順当な死という印象(ついでに言うと、この映画の世界では神は実在するので葦原が最期に熱弁した信念はあっけなく裏切られることになる)

なお、原作の葦原教授は、学生を誤って車で跳ねた上に証拠隠滅を図り逃亡しようとしたところを村人に発見され殺されている。対して映画版では、自ら学生の身代わりとなり決め台詞のような言葉まで残して死んでおり、キャラ的な見せ場は原作よりも増えている。

女性の足を切り落として村から出られないようにするという設定は「エクスクロス 魔境伝説」(2007年)でもあったが、「エクスクロス」が全90分程度だったのに対し、こちらは前後編合わせて2時間半近い尺がある。にもかかわらず民俗的背景を解説する描写は大きく省かれており、全体的に設定を持て余している感は否めない。難点の目立ついわゆる低予算映画ながら、因習に満ちた最悪の村がまるごと炎に焼かれるラストシーンはそれなりに迫力がある。

 

 

 


10
来る 2018年 東宝
監督 中島哲也, 脚本 中島哲也/岩井秀人/門間宣裕
原作 澤村伊智「ぼぎわんが、来る」

 

香奈(黒木華)との結婚式を終え、幸せな新婚生活を送る田原秀樹(妻夫木聡)〔中略〕 イクメンパパとして〔娘の〕知紗を溺愛する秀樹の周囲で、超常現象としか言いようのない怪異な出来事が相次いで起こり始める。何かに狙われているのではないかと恐れた秀樹は、オカルトライターの野崎(岡田准一)と、霊媒師の血をひくキャバ嬢・真琴(小松菜奈)とともに調査を開始。〔中略〕民族学者・津田(青木崇高)によると、その“何か”とは、田原家の故郷の民族伝承に由来する化け物ではないかという。そんななか、真琴の姉で、国内最強の霊媒師・琴子(松たか子)の呼びかけで、全国から猛者たちが次々と田原家に集結。かつてない規模の“祓いの儀式”が始まろうとしていた……。
(”来る|日本の映画情報を検索 日本映画情報システム” https://www.japanese-cinema-db.jp/Details?id=47572 より引用)

 

映画『来る』に登場する民俗学者・津田大吾(演 青木崇高は、慶成大学人文学部の若き准教授(原作では御茶の水のS大学)。田原秀樹(演 妻夫木聡)の旧友であり、初登場の結婚式のパーティーのシーンでは、秀樹から高校時代からの大親友と紹介されていた。服装は基本的にラフでシャツにハーフパンツ、パーマに無精髭。メガネはかけているときとかけていないときがある。軽めのファッションに合わせるかのように、関西弁で軽快に話す。

不可解な現象に悩まされている秀樹から化け物の対処法を聞かれるが、「目玉のオヤジかゲゲゲの鬼太郎にでも頼め」と言い返す。一応は妖怪「元興寺」の話を紹介し、人は都合の悪いことをみんな妖怪のせいにしてきたのだという話をするも、「民俗学者の発言としては不適切だ」とも言い加えている。

化け物の対処法を探している秀樹にライターの野崎(演 岡田准一)を紹介するなど、映画前半の津田は、秀樹に対し一見して親身で友好的な態度で接しているように見える。が、実は同時に秀樹の妻の香奈(演 黒木華)とは不倫関係にあったことが後半で暴かれる。魔除けと称し田原家の仏壇に「伏峰大社守護」と書かれた札を置いていたが、それも普通の札に細工をした魔導府で、逆に部屋に魔を呼び込むように仕向けるためのもの。すべての災厄は、津田によって仕組まれたことだったのだ。

秀樹の死後、研究室を訪ねてきたライターの野崎に、「実は秀樹の大切なものを奪うのが趣味だった」と異常な執心にとらわれた本性を明かす。

しかし、そのときすでに津田本人も化け物の呪いに蝕まれており、香奈との不倫の最中にも背中に複数の大きな爪痕のような傷が浮かび上がっていた。十二月二十四日、クリスマスイブの朝のニュースで大学の研究室で変死していたことが報じられる。死因は不明とされたが、遺体には複数の傷が残っていたという。享年三十四歳。死後もなお電話とテレビを介してあの世から語りかけてくる執着心の深さは、まさに狂気の域に達していると言えよう。

研究者としての津田は、都内の私大に広い個人研究室を持つなど、職場の環境は悪くなかったようだ。研究室には多くの蔵書とともに南方系のものらしき置物などが所狭しと並べられていた。

が、登場シーンの多さに比して、津田本人が民俗学の中で何を専門としていたのかは最後まで明らかにならない。原作と比べても、映画では民俗学的な専門知識を語る部分は省かれており、学者というよりも異様で不気味な男という印象が強い。

事件に巻き込まれて死ぬという点では、他のホラー映画の民俗学者キャラクターとも共通しているが、民俗学者自身が黒幕となるパターンは映画では他に例を見ない。たとえば、不倫の末に死亡する民俗学者という意味では『屍囚獄』の葦原と同じだが、序盤で自ら語っていた研究者の矜持をかなぐり捨てオカルトに走る姿は葦原とは正反対である。そういった意味で、映画の民俗学者キャラクターの描かれ方としては斬新なイメージを提示していると言えるかもしれない。

 

 

 

 

 

さて、ここで少し前回の記事を振り返ってみたい。

前回の記事ではマンガ作品に登場する民俗学キャラクターを分類・紹介するために、便宜的に作品をいくつかの要素に分けて並べた。

 

民俗学者は旅先で怪奇に遭遇する」

民俗学者はオカルティスト」

民俗学者は家にいない」

民俗学者は陰惨に死ぬ」

「少年少女は民俗学を学びたい」

「先生は民俗学に詳しい」

民俗学者はモデルになる」……。

 

これらの要素はここで挙げた映画の多くにも当てはまる。

 

死国の小田信夫は、霊能者を紹介するオカルトの仲介者とも言える存在。

『八月のかりゆし』の柳口タダシは、柳田国男折口信夫の要素を合わせ持ち家にほとんど帰らない奔放な父親。

単騎、千里を走る。の高田健一は、中国奥地の現地調査のために家庭の事情を放置し父親との確執を深めた。

『奇談』の佐伯里美と三戸部孝蔵、そして稗田礼二郎は、旅先で怪奇に遭遇する学者のお手本のような役回り。

『エクスクロス 魔境伝説』の物部昭は、旅先での陰惨な死を回避するために奮闘する。

『のぞきめ』の四十澤想一は、旅先で遭遇した呪いをその身に受けるオカルティスト。

『貞子vs伽椰子』の森繁新一は、貞子を愛してやまないオカルトフリークで最後は除霊に失敗して死ぬ。

DESTINY 鎌倉ものがたりの一色宏太郎は、幽体離脱に失敗して死去したオカルトの実践者。

『劇場版 屍囚獄 起ノ篇 / 結ノ篇』の葦原は、旅先で村人に襲われ陰惨に死ぬ。

『来る』の津田大吾は、自ら呼び込んだ呪いによって身を滅ぼしたオカルティスト。

 

どうだろうか。映画に出てくる民俗学者たちの多くは旅先で怪奇的事件に遭遇し、オカルトを信じ、家を空けがちで、最期は陰惨に死ぬ。

おおむね、そういう傾向が浮かび上がってくる。

これは偶然だろうか?

 

 

もちろん偶然である。

 

 

このような恣意的な要素の抽出にあまり意味があるとは思えない。

いくらなんでもサンプルが少なすぎるし、これらの要素が民俗学者キャラクター特有のものなのかどうかもわからない。映画の中で事件が起これば、少なくない作品で非現実的で超自然的な現象が絡み、だいたいの登場人物たちは何かしら家庭に問題を抱えており、そして多くの場合、最終的に誰かが死ぬのだ。それは、別に民俗学者に限った特徴ではない。

……でも、本音を言うと、せっかくここまで書いてきたので、多少は意味があるとも思いたい。

しかし雑な考察を述べるよりも、もとよりこの記事の本旨は情報をまとめることにある。

上に挙げた10作品はあくまで代表例だ。

民俗学者が出てくる民俗学っぽい映画は、ほかにもあるのである。

 

 

 

(まだまだある! 民俗学者が出てくる映画)

帝都物語 1988年 東宝
監督 実相寺昭雄, 脚本 林海象
原作 荒俣宏帝都物語

映画『帝都物語には、実在の学者や著名人がたくさん登場するが、そのなかで、考現学者で民俗学者今和次郎(演 いとうせいこうが出ている。原作小説では東京市中での今和次郎加藤保憲との魔術的追走劇が描かれ、柳田国男に言及する箇所もあるが(「大震災篇」)、映画での登場は和次郎が銀座で考現学採集のスケッチをしているシーンのみにとどまっている(このスケッチは絵コンテを担当した樋口真嗣が手がけたものとのこと*4

 


立喰師列伝 2006年  Production I.G
監督 脚本 押井守
原作 押井守立喰師列伝

  •  

映画『立喰師列伝は、この映画自体が架空の民俗学者・犬飼喜一の架空の著書『不連続線上の系譜』の記述に基づくという設定だ。しかし、と言いながらも、映画本編に犬飼本人はほぼ登場しない。映画の中での犬飼の扱いは、「自称民俗学者」「無銭で蕎麦食い」「自称民俗学者袋叩き」「「食」に関する行き違い」などの新聞記事の断片でしかわからない。しかしこの映画本編すべてが民俗学者・犬飼喜一の著書の映像化というふうに捉えると、この映画は「民俗学っぽい映画」どころかひとりの民俗学者の研究そのものを表した映画とも言えるかもしれない。……が、それはもちろん詭弁で、実質的には監督で原作者の押井守の長い長い自分語りを代弁する映画である。作品の設定は突飛ながら、オカルト的民俗学描写に陥らず、ありそうでなさそうな、いやないだろうという絶妙なリアリティラインで民俗学を描いた怪作だ。

 


河童のクゥと夏休み 2007年 シンエイ動画
監督 脚本 原恵一
原作 木暮正夫「かっぱ大さわぎ」「かっぱびっくり旅」

映画『河童のクゥと夏休みに登場する民俗学者・清水スミオ(声 羽佐間道夫は、復活した河童の子供クゥの父親を斬り殺した武士の子孫。清水の家には先祖が残した「河童の腕」が河童懲罰譚とともに家宝として伝わっており、それを根拠に河童は実在したという説を唱え続けてきた。清水はテレビ番組に出演してクゥらと直接対面するが、持参した河童の腕をクゥに奪われてしまい、この出来事をきっかけに物語は大きく動いていくことになる。

映画では、河童実在派の清水に対して、河童懐疑派の川上(声 大川透)という専門家も登場している。川上は国立水棲動物研究所副所長で水棲動物が専門。河童研究の分野でも有名で、河童に関する著書も多数あるという。ワイドショーではコメンテーターとして意見を求められ、最初はクゥの存在に懐疑的だったが、ビデオ撮影されたクゥの映像を見て驚きの声をあげていた。

 


テケテケ / テケテケ2 2009年 アートポート
監督 白石晃士
脚本 秋本健樹

映画『テケテケ / テケテケ2』には、加古川大学の行方教授(演 螢雪次朗助手の武田慎(演 阿部進之介の二人が登場する。行方教授は、テケテケについてたずねられ、地元に伝わる噂と過去の事件について話すなど、都市伝説について語ってくれる大学教授ではあるのだが、過去の殺人事件について「ちょっとめずらしいことがあると、みんな面白おかしく尾ひれをつけたがる」「こんなこと調べてもしょうがないんじゃない?」と発言するなど、都市伝説やオカルトへの興味は薄いようだ。

助手の武田にしてもそれは同じで、長身で口下手な武田は、一作目の「テケテケ」ではほとんど出番がないが、「テケテケ2」では元の大学を離れて事件の現場である名古屋に転勤してきており、自身もテケテケによる被害の拡大を食い止めるために奔走する。しかしその後の武田は学者キャラ的にはあまり有能とは言えない。都市伝説について調べて「都市伝説っていうのは噂が現実になり現実が噂になってさまざまに変化しながら広がっていくもんなんだ」と、その性質について語っているものの、怪異への対処方法について本で読んだ知識を試して失敗するなど、都市伝説そのものにはあまり詳しくない様子もうかがえる。

行方教授と武田は都市伝説やオカルトに関する興味や知識に薄く、またその専門もとくに語られない。そのため、都市伝説を題材とするフィクションに登場する学者キャラクターではあるが、作中の描写からだけでは彼らが民俗学者だとは言い切れない。ただし、監督の白石晃士『幽霊ゾンビ』(2007年)『戦慄怪奇ファイル コワすぎ! FILE-01【口裂け女捕獲作戦】』(2012年)『貞子vs伽椰子』(2016年)などのほかの作品でも作中に民俗学者を登場させている。『テケテケ』もこれらの作品と同じ系譜に属していることは間違いないだろう。

 

 

シライサン 2020年 松竹
監督 脚本 安達寛高

  • 飯豊まりえ

映画『シライサン』では、溝呂木弦という民俗学者の存在が語られる。溝呂木は地方の古い民話や伝承の収集を行っていたが、作中時間で二十五年前に死亡。亡くなる直前、かつてとある山間にあったという「目隠村」について調査していた。その研究の過程のどこかでシライサンに関する民話を発見、それを近所の少年に教えてしまったことが、その後に呪いを拡散させる引き金となってしまう。映画の中で映る溝呂木の著書のページには「目隠村の呪禁紋」の図や「目隠し村に伝わる風習では、死者の手を合掌させ、穴を開けて鈴をつける。死者が起きた時、自由を奪い、音で知らせる為だという」などの記述が残されていた。溝呂木にはほかに『民間伝承蘇生論』、『奇習と民族信仰』、『民間伝承における死生観』、『たつのさとのわらべばなし』など多数の著書があり、登場人物たちは溝呂木の著書を手がかりに怪異へ対処しようとする……。

ここまで具体的な情報を持ち、かつ怪異発生の発端にかかわる重要人物でありながら、尺の都合なのか何なのか、溝呂木が出てくるのは映画の中では名前のみで、回想シーンすら与えられていない。『シライサン』は民俗学者が(間接的には)出てくるが、民俗学者が(直接的には)出てこない映画なのだ。

というのも、この映画における怪異「シライサン」は映画の中で登場人物による言及があるように、現代のSNSにおける人々の承認欲求を擬人化したキャラクターであり、民俗要素はそれっぽさを演出するためのものという側面が強い。

ゆえに、民俗要素を象徴する溝呂木もまた名前やエピソードが参照される情報のひとつに過ぎないということなのだろう。

とは言え、溝呂木が村を調査している場面とまでは言わずとも、せめて過去にシライサンの話を語っている映像くらいはあってもよかったのではと思うのは求めすぎか。

なお、この映画には、怪異の被害者となる大学生の父親役で、またもや諏訪太朗が出演している。

 

 

 

コーカサスの女虜、もしくはシューリクの新しい冒険 Кавказская пленница, или Новые приключения Шурика 1967年
監督 レオニード・ガイダイ, 脚本 ヤーコフ・コスチュコフスキー/モーリス・スロボツコイ/レオニード・ガイダイ

  •  

映画『コーカサスの女虜、もしくはシューリクの新しい冒険』主人公シューリク(演 アレクサンドル・デミャネンコ)は、民俗学を研究している金髪にメガネの青年。この映画は、同じレオニード・ガイダイ監督の『作戦コード<ウィー>とシューリクのその他の冒険』(1965年)のシリーズ作品に当たる。

民間伝承を調査しにきた青年シューリクが、酒が弱いのに現地の住民から酒を飲まされまくり、悪役から「これはこういう風習なんだよ!」「なるほど!」といいように騙されまくる。そういう風習だからと言いくるめられたシューリクは、ついにはヒロインの誘拐に協力してしまう(映画の中での「誘拐婚」は悪の地方長官が考えた偽の風習ということになっているが、現実の誘拐婚は東欧や中央アジアの一部にいまだ残る風習である*5

古い伝承や風習を調査している民俗学者が偽の風習を吹き込まれて騙される、という滑稽な描き方はほかの映画の民俗学者キャラクターの描写ではあまり見られない。半世紀以上前の作品ながら、おそらく世界でもっとも陽気で馬鹿っぽく民俗学者を描いた映画のひとつだろう。

 

 

キャンディマン Candyman 1992年 トライスター ピクチャーズ

監督 脚本 バーナード・ローズ
原作 クライヴ・バーカー「禁じられた場所」

映画『キャンディマン』主人公ヘレン・ライル(演 ヴァージニア・マドセンは、イリノイ大学の大学院生。同じ院生のバーナデット・"バーニー"・ウォルシュ(演 ケイシー・レモンズ)とともに都市伝説について研究している(原作小説では社会学記号論が専門だが映画の中では詳細には出てこない)

映画の冒頭では、ヘレンの夫で大学教授のトレヴァー・ライル(演 ザンダー・バークレーの都市伝説の講義の場面がある。トレヴァーが「下水道の白い巨大ワニ」の話を学生に振ると、マイアミの話だという意見とニューヨークの話だという意見が出る。トレヴァーは、同じ内容なのにどうしてこんなにも場所がかけ離れているのかと問いかけ、「事実はこうだ。下水道にワニはいない。キャンプファイアーでの楽しい作り話だ。このような話を”現代口承伝説”(modern oral folklore)という。都市社会の恐怖が無意識に表れたものだ」と説明する。この都市伝説の講義は、ヘレンの台詞では「urban resend’s lecture」とあるのだが、字幕では「口承伝説の講義」と訳されている。映画が日本公開されたのは1993年。まだ「都市伝説」という訳語が広く一般化していなかったであろう当時の翻訳事情がうかがえる。

この映画に登場する研究者たちは社会学が専門で民俗学者ではないが、都市伝説にまつわるオカルト事件に翻弄される研究者たちの描き方は、以降のホラー映画に少なからず影響を与えていると思われる。

 

 

ルール Urban Legend 1998年 コロンビア ピクチャーズ
監督 ジェイミー・ブランクス, 脚本 シルヴィオ・ホータ

映画『ルール』に登場するウィリアム・ウェクスラー(演 ロバート・イングランドは、ペンドルトン大学で都市伝説の講義を担当している大学教授。講義に使用するためと称して都市伝説に登場するロープや斧などを大学の研究室の隠し部屋に所蔵している。そして、二十五年前に起きた殺人事件の唯一の生き残りでもあったことから、現在起こっている都市伝説になぞらえられた連続殺人事件の犯人に疑われる。しかしこれはミスリードで、のちに無惨にも車のトランクの中から死体で発見される。

ウェクスラー教授を演じたロバート・イングランドは、映画『エルム街の殺人』(1984年)のフレディ役などの怪奇的な役で有名であり、配役も込みでいかにも殺人犯であるかのようにミスリードを狙っていると思われる(しかし「研究室にロープや斧を隠し持っている時点で犯人でなくてもだいぶヤバい奴では?」という気もする)。ウェクスラー教授はとくに民俗学者とも社会学者とも呼ばれていないようだが、映画の中の怪人的なオカルト研究者を語る上では欠かせない存在と言えるだろう。

 

 

ミッドサマー Midsommar 2019年 ノルディスク・フィルム
監督 脚本 アリ・アスター

  • フローレンス・ピュー

映画『ミッドサマー』では、主人公ダニー・アーダー(演 フローレンス・ピュー)は心理学を専攻しているが、その恋人クリスチャン・ヒューズ(演 ジャック・レイナー)文化人類学の学生だ。院生のジョシュ(演 ウィリアム・ジャクソン・ハーパー )とクリスチャンは同じ研究室に所属しているらしく、クリスチャンがジョシュの論文のテーマを盗用しようとしたことから二人は対立することになる。

倫理観以外の部分では一見すると博学っぽく有能そうな面を見せるジョシュだが、それ以上に準備不足でうかつな行動が目立ち、見てはいけないと言われていた村の古文書を無断で盗み見るという、ホラー映画で絶対死ぬムーブをかまして期待を裏切らずに死ぬ。この映画では予想される死亡フラグを予想通りきれいに回収していく展開が見どころだが、犠牲となった学生たちの残された家族はもちろんのこと、学生が休みの間に一斉に失踪した大学の教職員とその中にいたであろう人類学ゼミの教授の、その後の混乱と心労は察するに余りある。

 

 

 

 


(まだ見てない! 個人的に近いうちに見たい、民俗学者が出てくる映画)

 

獣の戯れ 1964年

三島由紀夫の同名小説が原作の映画。

あらすじによると物語のラストで在野の民俗学者が出てくるらしい。

 

 

 

スタフ王の野蛮な狩り 1979年

  •  

ソ連映画民俗学の研究をしている大学生が主人公。

日本ではソフト化されていないが、日本語字幕なしの動画版がYouTubeで公開されている。

 

 

 

ガメラ巨大生物審議会 1999年

  • 蛍雪次郎

映画『ガメラ3 邪神〈イリス〉覚醒』の公開に先行して発売されたオリジナルビデオ作品。

民俗学者小松和彦が巨大生物審議会の有識者の一人として本人役で出演している。

 

 

 

銀の男 六本木伝説 / 銀の男 青森純情篇 2002年

民俗学研究者の女性がホストに聞き取り調査をするという体裁でストーリーが語られる。

麿赤児民俗学の権威を演じている。

 

 

 

幽霊ゾンビ 2007年

ホラー映画。異端の民俗学者がタクシーに轢かれ幽霊となって現れる。

監督は『貞子vs伽椰子』と同じ白石晃士

 

 

 

サーダカー 2007年

  • 桃原遥

ホラー映画。峰岸徹民俗学者の役で出演。

 

 

 

闇に囁くもの 2011年

  •  

ホラー映画。ラヴクラフトの同名小説の映像化。

 

 

 

みんなで一緒に暮らしたら 2011年

フランス・ドイツ合作映画。民俗学を研究するドイツ人学生が登場する。

 

 

 

口裂け女 リターンズ 2012年

ホラー映画。民俗学を研究する大学院生が主人公。

 

 

 

3人のアンヌ 2012年

韓国映画。物語の舞台の案内人のひとりとして民俗学者の女性が登場する。

 

 

 

Go Down Death 2013年

アメリカ映画。架空の民俗学者ジョナサン・マロリー・サイナスが書いたという民話の世界を描く。

 

 

 

青鬼 THE ANIMATION 2017年

アニメ映画。高校の民俗学研究部員たちが主人公。

 

 

 

アラーニェの虫籠 2018年

アニメ映画。民俗学者の青年が解説役として登場する。

 

 

 

クシナ 2018年

人間の美しさを証明しようとする人類学者が男子禁制の村を訪れる。

出てくるのは民俗学者ではなく人類学者のようだが*6、あらすじと予告編映像から受ける印象はかなり民俗学っぽい。

 

 

 

恐怖人形 2019年

ホラー映画。民俗学者かどうかはわからないが、呪いを研究する老教授が出てくるらしい。

 

 

 

シャーリィ 2020年

  • Elizabeth Moss

シャーリィの夫で、神話や民俗学も専門だったという実在した批評家スタンリー・エドガー・ハイマンが登場する。

 

 

 

いとみち 2021年

豊川悦司が主人公の父親の民俗学者を演じている。

 

 

 

 

あなたの民俗学者イメージはどこから?

さて、とりあえず、把握できた範囲の情報をまとめてみた。……見てない作品のほうが多いじゃん、という指摘はその通りで返す言葉もないが、いまはどうかご容赦願いたい。まとめているうちにいつのまにか増えてしまったのだ。

 

しかしタイトルを並べてみるとわかるように、民俗学者がメインで出てくる映画の数は、マンガや小説と比べると全体では圧倒的に少ない。民俗学者キャラクターが主役クラスの映画となるとその数は本当にわずかだ。さらにその中で誰もが知るヒット作となれば、タイトルはおのずと限定される。

とすると、たとえば「映画に出てくるような民俗学者」のイメージを想像する場合、そのイメージは、不特定多数の作品からではなく、実はかなり限定的な範囲からつくられているということになるのではないだろうか……?

 

だが一方で、漠然としたイメージというものは、そこまできっちりと限定できるものではないこともまた事実だ。

たとえば、Wikipediaの「ゴジラ (架空の怪獣)」のページには「民俗学者の伊佐山嘉利は、ゴジラは太平洋戦争で犠牲になった人々の怨念の集合体だと主張する」とあるが(2021年11月現在)*7、少なくとも映画『ゴジラモスラキングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001年)の本編では伊佐山が「民俗学者」だとは言及されておらず、公式設定かどうなのかイマイチはっきりしない。

映画『ミッドサマー』(2019年)は、日本語公式サイトでは「家族を不慮の事故で失ったダニーは、大学で民俗学を研究する恋人や友人と共に」とあるが*8、公式パンフレットでは「男友達──人類学と民間伝承に興味を持つ」とあり*9、専攻が民俗学なのか人類学なのか微妙に一貫しない。

また、映画『キャラクター』(2021年)では、菅田将暉演じる主人公の漫画家が描く作中作の漫画の登場人物の一人に「犯罪歴史家」が登場するが、長崎尚志によるノベライズ版*10では該当の人物の肩書きは「民俗学者」となっており設定にブレが生じている。

  • 新山 千春

このように、フィクションでなにかしら古い伝承や歴史について語っているが肩書きがはっきりしない人物は、大雑把に「民俗学者」と看なされがちなのだ*11

そもそも、しばしば「民俗学者っぽい」キャラクターの代表格のように挙げられる『妖怪ハンター』の稗田礼二郎からして、考古学者であって民俗学者ではない。

 

通俗的イメージの元となるソースはひとつではない。しかし、そこにフィクションの影響があるかもしれないとしても、必ずしも具体的な作品が特定できるとも限らない。

 

民俗学っぽい」フィクションと聞いたとき、あなたは何を想像するだろうか。そこに解説役や探偵役に相当するあやしい学者的な人物は登場しているだろうか。あなたはその人物を「民俗学者だ」と思って記憶してはいないだろうか。

しかし、少しばかり立ち止まって考えてみてほしい。あなたが想像する「民俗学者っぽい」キャラクターも、よくよく確認してみれば実は民俗学者ではないかもしれないのだ。

 

ここまで読んで、どうして民俗学や人類学がこんなにもオカルト的なイメージと結びつけられやすくなってしまったのか? ……という、歴史的経緯について知りたくなったという人は、吉田司雄 編著『オカルトの惑星 1980年代、もう一つの世界地図』(青弓社、2009年)ASIOS 編著『昭和・平成オカルト研究読本』(サイゾー、2019年)などの本に詳しいので、興味があればぜひそちらを参照してみるとよいかもしれない。

 

 

 

今回も長くなってしまった。

 

最初に述べたように、このまとめは不完全である。ここに挙げられたもの以外にも、民俗学者キャラクターや民俗学者っぽいキャラクターが出てくる映画作品はたくさんあるだろう。とくに90年代Jホラーブーム以前の映画に登場する「民俗学者っぽい」キャラクターが登場する映画については、現状ほとんど把握できていない。

 

この記事は、前回の「民俗学っぽいマンガ」記事の補足として書かれている。

そして、前回の記事は、「ホラーとかオカルト系のマンガにたいてい民俗学者っぽいキャラが出てくるのってなんで?」という疑問に端を発していた。

 

ここから先に考えられるであろう、映画の中の民俗学描写の意味や、現実の民俗学とフィクションの民俗学の関係などについては、ぜひとも映画や民俗学に詳しい知識を持つ誰かが、別の機会に別のかたちで、よりクリアに語ってくれるだろうことを期待して、今回は筆を置きたいと思う。

 

 

 

 

 

*1:単騎、千里を走る。 - 映画・映像|東宝WEB SITE” https://www.toho.co.jp/movie/lineup/tanki/story.html

*2: “Your Meme is Internet Folklore - Annenberg Media” https://www.uscannenbergmedia.com/2016/05/12/your-meme-is-internet-folklore/

*3: ほかに民俗学におけるインターネット・ミームの説明として、島村恭則『みんなの民俗学 ヴァナキュラーってなんだ?』(平凡社新書平凡社、2020年)では、アマビエを例にインターネットの「ミーム・サイクル」の仕組みについて述べられている(238〜240頁)。

*4: "今和次郎 採集講義 関連映画上映会 | 青森県立美術館

http://www.aomori-museum.jp/ja/schedule/info/event/movie/506

*5:“アラ・カチュー - Wikipedia” 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC

*6:人類学者もまた、映画の中ではホラーやオカルトと関連づけられやすい存在のようだ。詳しくは以下の論考を参照のこと。 Weston, Gavin, Jamie F. Lawson, Mwenza Blell, and John Hayton, “Anthropologists in Films: ‘The Horror! The Horror!’,” American Anthropologist 117(2) (2015), pp.316–328.

*7: "ゴジラ (架空の怪獣) - Wikipedia"

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%82%B8%E3%83%A9_(%E6%9E%B6%E7%A9%BA%E3%81%AE%E6%80%AA%E7%8D%A3)

*8: "映画『ミッドサマー』公式サイト 絶賛公開中" 

https://www.phantom-film.com/midsommar/

*9:『ミッドサマー』公式パンフレット、ファントム・フィルム、2020年、12頁

*10:長崎尚志『キャラクター』小学館文庫、小学館、2021年

*11:逆に原作の民俗学者要素が映画版では採用されなかった『サイレン ~FORBIDDEN SIREN~』(2006年)、『ゆめのかよいじ』(2013年)、『零 〜ゼロ〜 女の子だけがかかる呪い』(2014年)のような例もある。




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