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番翁のインターネット遍歴

インターネットと私

番翁はよく「インターネットに詳しい」みたいな顔をしていることがある。なんなら周囲からもそう思われているフシがある。たしかにTwitterにへばりついてはいるし、インターネット・ミームも学科の友人の平均以上には知っている(し、それを使って会話している)とは思う。ミームに自信ニキ的なポジションで振る舞うとウケがいいというのもあって、悪く言えばそう言う立場に甘んじて振る舞ってきた。

とはいえ、番翁が人よりも長くインターネットに触れてきたのかというと、別にそんなことはない。電話回線でインターネットにつないでいた時代を知らないのは年齢的に仕方がないとしても、テキストサイト全盛期すら生まれる前の出来事だし、掲示板文化も知識としてしか知らない。ニコニコ動画を初めて見たのも2017年よりは後のことだったと思う。だいたい、プロフィールを見ればわかるけれど、Twitterのアカウント開設も2019年8月のことだ。すでにアイコンは丸かったし、ふぁぼはとっくにいいねに変わっていたし、その1ヶ月後には奴botは更新を止めてしまった。

この際はっきりさせておきたい。番翁はインターネットにどっぷり浸かってきた全身インターネットオタクなどではなく、後天的にインターネットの情報だけを摂取してきたエセ=インターネット人間でしかない。知識はあるかもしれないけれど、それは生きた知識では全くなく、たんなる雑学のようなもので、体系的でもなんでもない。キリ番報告をしたこともないし、2ちゃんねるでレスバをしたこともないし、「おまいら泣く準備はいいか?」とコメントを流したこともない。

そうなってくると、自然、「どうしてこうなってしまったのか?」という疑問が湧いてくる。そうした疑問に答えるために、番翁がどういうインターネットをやってきたのか、一度確認しておこう。

はじめてのインターネット

はじめてインターネットという概念に触れたのがいつかははっきりと覚えていない。小学校低学年だったか、家族旅行で泊まったどこかのホテルで偶然仲良くなったオーストラリア在住の日本人とやり取りをしよう、みたいな話を父親がしていて、実家にあったデスクトップ(たしかPower Mac G4だったと思う)で「メール」を送っていたのが、番翁の中にある最古のインターネットの記憶である。学校にはパソコン室があって、小5だかのときにワープロソフトとか表計算ソフトとか、スライド作成をしたり、教育用のソフトかなんかで簡単なホームページを作ってみようみたいな授業があった。Yahooきっずにもお世話になった。2010年代前半のことだから、世間的にはインターネットは珍しいものではなかっただろうし、たぶん同年代のなかには2ちゃんねるとかニコニコ動画とか見ている人も少なくなかっただろう。

中学に入学して、スマートフォンというのを獲得した。忘れもしない、iPhone6である。高1の夏に長野県・別所温泉駅の石段に落として画面がバキバキに粉砕されるまで、4年弱にわたって番翁のインターネットライフを支えてくれた。主体的なインターネットとの関わりは中学生活のはじまりと共に開始された。

番翁には、この時点ではあまり趣味とか好みとか、そういったものはなかったように思う。日本史は好きだったけれど、詳しいというほどでもなく、戦国武将が好きな、ごくごく普通の小学生だった。ひとつ挙げるとすれば、父親の影響でガンダムを見ていたことくらいだろう。小学校高学年ごろから、1stにはじまり宇宙世紀モノはだいたい見ていたし、00とかSEEDとかも見ていた*1。だから、スマホを与えられて、ごく自然なインターネットの入り口もガンダムだった。当時はユニコーンOVAが終わったくらいだったから、Youtubeで関連動画を見漁り、2chまとめサイトガンダムまとめ速報とか、そういうのばかり見ていた。

東方Projectのオタク

いまの番翁の趣味が形成される、そのすべてのきっかけは、これは実はかなりはっきりしている。

中学2年生の夏休みに、アメリカにホームステイに行った。このホームステイは、日本人が何人かグループになって行くもので、そこで同じ中学の1個上の先輩と仲良くなった。別に共通の趣味とかがあったわけではないが、ふと、「東方M-1ぐらんぷりって面白いから絶対見た方がいい」と言われた。別にそのときは「ほ〜ん」くらいの気分で、あんまり気にも留めなかったのだが、帰国して、夏休みが終わり、2学期が始まり、中間テストがやってきたところでこの先輩の言葉をふと思い出した。思い出してしまった。勉強の合間に、Youtubeにあがっていた東方M-1ぐらんぷりに目を通し、すいません、アレはどう考えても違法アップロードだったと思います、ごめんなさい、見事にハマってしまいました。これのおかげで全てが始まり、これのせいで全てが終わり、こんなことになってしまった。図解するとこんな感じである。

番翁の趣味遍歴

大学入学後にハマったオモコロはともかくとして、それ以外の大体の趣味は根っこをたどると東方に行き着く。ホームステイに行っていなければ、おそらくもっと違う人格形成をされていただろう。まぁ、それはそれで、その番翁は楽しい人生を送っていたとは思うけれど、今の番翁のことはとても好きだから、あの先輩のコメントと、中間考査のときの自分には感謝しかない。

ちなみに、東方も原作をプレイしたのはたしか中3の終わりの方だったと思う。永琳が好きだったから永夜抄にしたような記憶がある。あんまりゲームが上手なタチではないから、Lunaticとかは全然クリアできないんだけど、Extraまではなんとかやりきった。そういう感慨深さもあったから、東方でいちばん好きなBGMは「エクステンドアッシュ 〜蓬莱人」*2となっている。

結局原作をプレイしたのは永夜抄妖々夢風神録だけで、高2くらいになると原作からは離れていってしまった。なにぶんマイ・ノートパソコンがMac Bookというのもあり、Wineをいれてなんとか稼働させていたんだけれど、アップデートか何かで完全に動かなくなってしまって諦めた。その後はもう、たまに流れてくる二次創作を見たりしていただけであったが、大学に入ってから、何かの拍子にYoutubeで自動再生された「偶像に世界を委ねて 〜Idoratrize World」に感動したのも懐かしい話だ。中高時代に確かに東方のBGMで感動していた、あのときの自分がふと憑依したみたいな気持ちになって、10分くらいものすごい表情をしながらベッドで悶えていたような気がする。一回聴いて同じ感動が伝わるとは思わないけれど、例えるなら、7年の歳月がそのまま質量となった丸太に思いっきりぶん殴られたみたいな、そういう衝撃だった。

オタクの広がり

さて東方Projectのオタクになった番翁は、つづいて神社仏閣のオタクにもなった。東方という作品のモチーフが神社とかお寺、古代史ということもあって、細かい順番は覚えていないけれど、縄文史の本をいくつか読んでみたり、聖地巡礼のような形で神社への参拝を目的に京都に行くようなことが増えていった。ここからはかなり早い。一宮巡礼をしたくなって、滋賀とか愛知とか、岡山とかに行きたいから青春18きっぷを使いたくなって、鉄道はオタクというほどではないが好きだったから色々調べているうちにどんどん好きになって、神社に限らず18きっぷで日帰りできる範囲の路線を色々乗り通すようになった。縄文史の興味は徐々に年代が下がっていって、平安初期くらいまでの古代史に興味を持つようになり、図書館に通ってはそれっぽい本を見栄を張って借りては読み、借りては読みを繰り返した。それと並行して、中3のときに、当時*3仲のよかった友人の影響でけものフレンズを視聴し、広島で開催されていたポップアップに日帰りで行ったり、相模湖プレジャーフォレストのコラボに2泊3日で行ったり、思えばかなりオタクを満喫していた中高生活である。

さいころから家族旅行が好きで、たぶんそもそも親和性が高かったというのもあるんだろうけれど、「旅行」というものをはっきりと好きだと感じたのもこのころだったかなと思う。ひとりでの旅行は日帰りまでしか許可されていなかったが、いつかひとりで東北に行きたい、いつかひとりで九州に行きたい、とかそういうことはずっと考えていた。

はじめてのツイッター

番翁とインターネットの付き合いを語る上で欠かせないのは、なによりTwitterである。アカウントのプロフィールにも記載されている通り、このアカウントの開設は2019年8月、高2のことである。東方のオタクとかけもフレのオタクをしていたし、なんなら同級生にもそこそこツイッタラーがいたことを考慮するとこれはかなり遅いように思われるかもしれないが、なんのことはない、番翁は中1のときに親に言われた言いつけ、「他のSNSはやらないでね*4」を律儀に守っていたのである。結果的に言えばこれは双方大ファインプレー、中2とかでTwitterを始めていたらたぶんとんでもない大炎上をしてめちゃめちゃに痛い目に遭っていたと思うから、言いつけた親も、律儀に守った番翁も、どちらもめちゃめちゃに偉い。ありがとうと言わせてほしい。

ではなぜ、高2になった番翁が、"いまさら"Twitterを始めたのか?それは、ひとえにレゴの作品を公開して、レゴラーの方々と交流したかったから、である。今では面影も全く残っていないけれど、番翁 @mononobenoitabi は当初レゴ垢であった。唯一の名残は、番翁のアイコン、これは仲良くしていただいたレゴラーの先輩にいただいたもので、好きだからずっと使わせていただいている。昔は(確か大学入学すぐぐらいまで?)固定ツイートをレゴの作品にしていたが、大学1年の秋くらいになってレゴのモチベが消滅してしまい、そうした風習もなくなってしまった。ありがたいことに、今でも当時からお付き合いのあるレゴラーの方々がFFとして関わらせていただくこともあり、これは本当に感謝しかない。ありがとうございます。

ちなみに、中1からレゴ同好会に所属していながら、ついぞ高2の夏まで作品設計をしてこなかった番翁が自分で何か作ってみようと思い至ったわけは、6月のJBFでトレイン卓を見て感動したからであった。詳しく話すと長いから省略するけれど、あのとき何かやらないとな〜と漠然と思っていた自分に火がついたような感じだった気がする。周りが科学オリンピックとかなんとかで実績(?)を積んでいる様子を傍目でボーッと見続けるのは、なかなか苦しかった。この話はあんまりインターネットと関係ないので、ここらへんで終わり。詳しく聞きたかったら飲み屋にでも誘ってください。

受験期 〜Twitter全盛期

高2でTwitterを始めた番翁は、高3になっていよいよTwitterの更新頻度を上げていった。当時のFFはレゴ2割、同級生5割、受験関連3割くらいだったと思う。コロナ禍真っ只中で自宅にこもってがちだったということもあり、いや、多分コロナ禍がなくてもあんまり変わらなかったかもしれないけれど、とにかくツイートが著しく多かった。

調べたら2020年11月に2万ツイート、2025/12/06時点で34700ツイートであることを考えると、もちろん複数垢を運用しているから単純計算はできないにせよ、半分以上のツイートを開設2年以内にやっていることになる。

あとこの引用で思い出したが、高3期の一大ムーブメントは575指摘だった。試しにfrom:mononobenoitabi 575で検索をかけてみればよい。それはもう、山ほど指摘ツイートが出てくる。なんであんなに流行ったんだろう。番翁だけではなく、高校同期も巻き込んでめちゃめちゃ指摘が飛び交っていた。大学に入って徐々にその熱は冷めていったから、今はもう575指摘もスムーズにできないけれど、当時は鬼のような速さで575を指摘いたし、指摘できないと恥ずかしいみたいなところまで至っていた。今でも覚えているのは、字余りのツイートに対して音数に忠実に576と指摘リプをするか、575の派生であることを重視してあくまで575と指摘リプをするかで若干揉めたことがある*5。ほんとうに意味がわからないかもしれないけれど、ほんとうに楽しかった。

番翁というアカウントを語る上で外せない出来事もこの時期に起こった。忘れもしない、2021年1月16日、共通テスト2日目のことである。

しちゃったンすよね、万バズ。試験開始前にこのツイートをして、多少面白いが伸びて20いいねぐらいだろうなと思って、スマホの電源を切り、共通テストを倒し、帰る段になってスマホの電源を入れたら6万だか7万だかいいねがついていて、これはもう非常にたまげた。5年近くたってまだ引きずってるのかと言われるかもしれないが、これぐらい引きずらせてほしい。素直に嬉しかったし、今では12万までいいねが減っているけど当時は最大15.1万までいいねついてたんだしとか、もっとこう言いたいことはある。許してほしい。いまだにこのツイートを引きずってTwitterライフを過ごしている。過去の万バズに規定されて生きている。そういう人生。

受験はモニョっと倒して、倒す前からなにかブログじみたものを書いてやろうという気概はあったから、このブログを開設して、とりあえず2本記事を書いた。

mononobenome.hatenablog.com

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当時はこれを面白いと思って書いていたし、いまでも当時の味を感じて郷愁じみた良さを見出せる。

大学生の番翁

大学に入学してからの番翁は、かなりモチョっとした生活をしていたと思う。レゴの熱も一時期ほどはなく、旅行は多少していたけれどそこまで熱中するでもなく、番翁というアカウントもそこまで面白みがないように見える。明確な転機は2つあった。両方2021年秋のことで、ひとつめは、地理部入部。そしてもうひとつは、オモコロに出会ったこと。

地理部には新歓期に何回か顔を出したっきりで、特にその後関わりはなかったのだが、レゴモチベの低下と入れ替わるように地理部の巡検への参加が増えていった。その後はもう、部長にもなったし、先輩・同期の影響で旅行にのめりこむようになり、離島の魅力に気づいたというのは今更説明するまでもない。インターネットという観点でいえば、当時の(今も?)地理部はコロナ禍〜直後という時勢もありTwitterが盛んであった。番翁も御多分に洩れずこのアカウントたちの一となって精力的にTwitterに取り組んだ。もしかすると、いわゆる"オタク的Twitter"(そんなものがwell-definedかどうかは別にして)に触れたのはこのころが初めてだったかもしれない。

オモコロとの出会いは、TLに流れてきたこの動画だった。

youtu.be

誰のリツイートだったか、あるいは検索だったか、そこまではもう覚えていないが、とにかくこの動画でハマってしまった。旅行は日常的にできるものではないし、東方の熱がかなり冷めていた番翁には「ちょうどよかった」のかもしれない。2019/05に始まったオモコロチャンネルだから、開始直後から追っていたというわけではないし、記事媒体のオモコロも正直ほとんど読んでいなかった記憶がある。なんなら高校生のときには、恐山とかARuFaに対してなんだこいつらくらいの、お世辞にもいいとはいえない感情をもっていたから、そういう意味では何が起こるかわからないものである。

大学に入ってからは記憶も濃いから、書こうと思えばどこまででも書けてしまう。ただ番翁のインターネットを形作っているベースの部分、由来、由緒についてはおおむね書き切れた気がするから、とりあえず一旦ここで筆を置かせてもらう。厳密には最近ハマったコンテンツがあるが、それについては別の記事に仕上げるということで。

*1:今では考えられないことだけれど、実家最寄りのTSUTAYAに行っていた

*2:永夜抄Extra道中BGM

*3:今でも

*4:さすがに原文ママではないけれど、なにかこういうようなことを言われた記憶がある

*5:番翁は後者だった。音数は瑣末で、本態はあくまで575という形式だろうと、そうしきりに主張していた




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