以下の内容はhttps://momo2448.hatenablog.com/entry/2025/03/16/152310より取得しました。


栗原康著書 (超人ナイチンゲール) その3

 ようやくブログ その3を書こうとしています。

この本を読み終わったとき・・・・思い浮かんだのは、

コロナ禍の頃 新聞で読んだ記事を思い出したのです。それは、

中国の作家 方方(ファン ファン)女史が言われた 

【文明国家の基準は 弱者に対する態度である】と。

 

  はじまりのクリミア戦争

これからは フローレンスのことをナイチンゲールと呼ばせてもらいます。と作者は

書かれています。

ナイチンゲールがロンドンのハーレ街で、看護の仕事に取り組み始めた頃

1853年7月 ロシアがオスマン帝国に向けて進軍開始。

あっという間に黒海の西側地域を占領してしまった。

今でいう モルドバルーマニアあたり。

これをうけて10月 オスマン帝国がロシアに宣戦布告。

ロシアの勢いは止まらない。危機感をつのらせたイギリスは、オスマン帝国を支援。

1854年3月 フランスと共にロシアに宣戦布告した。

主戦場になったのは クリミア半島

クリミア戦争は近代戦の始まりといわれている。

この戦争から通信技術が向上し、電報を打てば、わずか数時間で情報をロンドンに送る

ことができるようになった。

アルマ河付近でロシア軍と激突 激戦の末、からくも勝利をおさめるのだが、その後の

イギリス兵の状況が悲惨。

軍と政府はなにをやっているのか? なんの準備もせずに、戦争にのぞんだというのか。

一連の新聞報道を受けて

イギリスでは猛烈な政府批判が巻き起こる。

新聞でヤバイといわれているのが医療。

 

ナイチンゲールは居ても立っても居られなくなった。

小人数でもいい。 私が看護団を率いてクリミアへ行くのだ。

自費で行く。直ぐに行動に移す。

支援者を募り 看護師の精鋭をあつめる。

看護師としての経験と実力を兼ね備えた人を束ねる力をもった女性。ナイチンゲール

私的にではなく、政府公認の看護団として クリミアへ行ってほしいと言われ・・・

看護団の総監督に就任。

政府の代表は三つのことを約束する。

1 看護師の全権をナイチンゲールに委ねる。

2 必要な物資があれば、いくらでも政府に請求できる。

3 軍医の全面的な協力を得ることができる。

これは 看護の歴史を塗り替えるチャンス。

看護師の地位は劇的に改善されるでしょう。

これって ナイチンゲールの志そのもの~~

 

   身も蓋もない事をいえば・・・

   戦死者が出るのは戦争のせいだ。究極的には戦争を止めなければ、戦死者はいな

   くならない。もし愛国心が戦争を後押しするならば、それを高揚させる英雄の

   役割なんて まっぴらごめんだ。

 

志願者が集まって 大変かと 思っていたが、そうでもなかった。

結局 集まったのは40人に満たない38人。うち病院で経験のある人は14人

のこりの24人は尼さん 10人がカトリックで 14人は国教会派。

ナイチンゲールにとって看護の腕さえあれば宗派など関係ない。

これだけの人数を賄うのに、懐事情は政府から1000ポンド 今の日本円で1500

万円。足りなければ自費で何とかしようと思っていたナイチンゲール

結局 クリミア戦争終結まで自費だけでも7000ポンドは使ったという。(驚き!)

タイムズが基金を募っていて、タイズム基金を創設。この時点で9000ポンド集まっていた。

準備完了!!

 

あと懸念事項があるとすれば

母と姉だろうか

反対されたら~~ しかし心配無用だった。

ナイチンゲールが看護団の総監督に就任したことを知ると・・・

うちのフロー(フローレンス)が超有名人になった。誇らしい。

 やっぱり 母と姉は 世間体の人だ。

 

ナイチンゲールは全員に制服を用意する。

グレーの上着に 白いたすき そこに赤字で「スクタリ病院」と縫われている。

同じ 制服を着ることで、看護団の一体化を図ったようだ。

宗派の違いも 身分の違いも 関係ない。と。

そうはいっても~~~差別は染み付いたもの。

フランスで一時 滞在したとき~~

病院からきた 看護師たちが差別されていたのだ。彼女達は下層階級の出身。

夕食をとるにも フランス料理なんて食べたことがない。マナーも分からない。

そんな程度の低い連中とは、一緒にいられないといって、上流階級の尼さんたちが

同じテーブルにつくのを拒否したのだ。

  なにが隣人愛だよーとナイチンゲール

ここでナイチンゲールは貧しい娘たちと一緒に食事をしたり、食事のマナーまで

面倒を見る。

簡単な通訳もかってでた。

物資の調達を済ませ

コンスタンチノープルに上陸すると、バカデカイ兵舎病院がみえる。まるで巨大な要塞

しかし 徐々に青ざめていく看護師たち きれいに見えたのは 外見だけ。

中は荒れ果て、さながら廃墟。とにかく汚い。

広さだけがとりえなのに 一画が砲弾をあびてズタボロ。使えない。

 

おもてむきは歓迎されたナイチンゲール一行。

英国大使や軍医たちが笑顔でむかえる。 だけどうわべだけ。

国から看護団が派遣されてきたということは、自分たちが無能呼ばわりされているよう

なもの 内心悔しくて、たまらない。

そして、心の底では馬鹿にしていたのだ。

どうせ お嬢様がたの物見遊山だろう。すぐに帰国するだろう・・・と。

 

いじめか!!

すぐに 形に現れる。3人の軍医が泊まっていたところに40人近くで暮らせというの

だ。どこも汚くて 埃だらけ 掃除をしようにも 水もバケツもない。

なんにもない 寝具も 食料も 料理器具も 早く帰れと言われているようなものだ。

自分達は期待されていないのだとわかって みんなガッカリします。

しかし ナイチンゲールは はじめから そんなもんだろうと思っていたらしい。

 

ろうそくが不足しているというので 真っ暗の中で睡眠をとる。

そんな中 床に転がって寝たのである。ノミとシラミがうじゃうじゃしている。

傷病兵もこんな中で過ごしているのか~~

 みんな 不安がる中 ナイチンゲール

 これから全部変えてやる。と。

 

ナイチンゲールの思想からしたら

目の前の人を救わなければならないんじゃないか。 目標のことなんて考えない。

今 ここで仲間たちと看護するのに どうしたら いいのかだけを徹底的に考える。

いっさいの妥協はゆるさない。

ナイチンゲールは冷静に考える。なぜこの兵舎病院は死者数が多いのか?

ひたすら状況把握につとめた。

原因は三つである。

1 食事がまずい。栄養が取れていない。

2 物資不足。 官僚制の弊害

3 不衛生。とにかくくさい。

イギリス軍には 医療部隊がない。

医療についても、調理についても 何の知識もない 雑用だけをこなす。

雑役兵が病人の世話を任されていたのだ。

 

ここから本領発揮のナイチンゲール

ここ コンスタンティノープルは たいていのものは手に入る。

現地で調達すれば事足りる。

軍はそうはいかない、なにを買うにも上からの

許可が必要だ。

ナイチンゲールは冷静に指示を出す。

雑役兵にブラシをわたし床をみがいてください。

なにはともあれ 掃除。

つぎは衣類の洗濯。

冷水ではシラミはとれないのでボイラーを購入。殺菌洗浄。

兵舎病院がだんだん清潔になっていく。

実質的にナイチンゲールは物資調達。

 

   女王への進言 官僚への怒り

ナイチンゲールへの兵士たちの信頼は絶大なものになっていく。

イギリスの女王 ヴィクトリアが新聞報道でナイチンゲールの活躍を聞き、

「何かできることはないか」と

すぐに女王に進言した。兵士たちが負傷したり 病気になると減俸 それはひどい

減俸は少なくしてほしい。

それと 亡くなった兵士たちが 異国に埋められたままでは 報われないことを伝えた。

ナイチンゲールの進言はすぐにかなえられた。

 

   ここからが本当の伝説

これだけ病院を清潔にして、換気もしているのに、ひとは死んでいく。

原因は壊血病 歯がボロボロ つめが剝がれる あきらかにビタミン不足

これだけ みんな栄養が足りなくて、苦しんでいるのに 書類の不備を理由として、

船いっぱいに積まれたキャベツが放棄されているのだ。

イギリス本国から紅茶、ライムが送られ 備蓄しているのに配られない。

理由は常備品として支給してよいとの命令がないからだ!と。

 

     ハンマーをもった天使

 

必要な補給品が目と鼻の先の倉庫にあるのに

その場には誰一人、自分の責任で緊急の必要に応じ

しきたりを破って行動する気概のあるものはいなかった。

それを あえてやった人はナイチンゲールだった。

彼女は必要なものが倉庫にあることを確認すると

何人かの屈強な男を連れて

女王陛下の倉庫に押し入り強奪した。

 

【女王陛下の倉庫に押し入り、強奪した】

この話は 兵士だけではない、

貧しき人々の心をわしづかみにした。

ナイチンゲールは民衆のヒーローになった。

暴れて奪って、ばら撒け。

ハンマーをもった天使はこう言った。

 

 なにも考えずに戦地に送りこまれ、なにも考えずに汚い病院で寝ていたら、

その内感染症で死んでしまう。自然じゃない。人の組織が人を殺しているのだ。

医療スタッフにも相談できて、政治的な知識もあって、国にいるときから戦争に反対

できたらどうだろう。違う結果になっていたはずだ。

 

   うれしくて悔しい終戦

そんな兵士たちが帰還。

話題は 俺たちのナイチンゲール。どれだけお世話になったのか。

俺たち貧しい兵士たちを人間扱いしなかった軍の上官たちと比べて、彼女がいかに

やさしく手を差し伸べてくれたことか。

街頭でも、カフェでも、バーでも、ビアハウスでも、百姓小屋でも、ナイチンゲール

物語が語り継がれた。

 

    救民法リニューアル

貧困は病気みたいに言われているけれど、そんなの、その人の事情なんて何一つ考慮

せずに、働かないことを怠情とみなしている。

ナイチンゲールいわく。病気は自然の回復過程なのだ。自ら然り。

目の前に飢えて苦しんでいる人がいれば、おのずと手を差し伸べてしまう。

相手が善なのか悪なのか。たすけてあげたら得をするのか、損をするのか、

そんなことはどうでもいい。

ただ救うのだ。

生の無償性。

それが真の救貧だ。

 

しばらく 表舞台に出てこなかったナイチンゲール

再び登場するのは、60代後半

1886年のこと。すでに看護の地位があがり、イギリス各地に看護学校も設立されて

いた。しかし、学校によってレベルはマチマチだ。

なにが言いたかったのか。

そりゃあ 知識については試験の点数ではかれる。だが看護にとって大事なのは、

憑依としてのケアなのだ。

苦しんでいる相手を見たら、

国家の命令なんてどうでもいい。

自分の身がどうなろうとかまわない。

相手のおもいすら関係ない。

あなた以上のあなたになりきって、なんだってしてしまうのだ。

むろん これをやるのはすごく難しい。

 

 

   ナイチンゲールの遺言

ずっと体調がわるくて、もうダメかと思っていたナイチンゲール

長生きをかさねていく。

81歳で視力を失ったものの、80代の半ばまでは意識もハッキリしていた。

ナイチンゲール詣でにやってきた人たちと元気におしゃべりしていた、

やさしいおばあちゃんだったみたいです。

日本からは、1899年に津田梅子がたずねている。

女性の自立。その先駆者に会いたいと思ったのだろう。

ナイチンゲールは、日本のことを目をキラッキラさせながら聞いていたらしい。

かわいい 好奇心いっぱいだったんですね。

 

さて 1907年には政府からメリット勲位を授与。名誉勲章です。

女性初の栄誉なのだが、もしナイチンゲールの意識がハッキリしていたら拒否していた

ことだろう。

私は国家のために、働いたのではありませんと。

ましてやカネのため、名誉のために働いたのではない。

神に仕えただけなのだ。無私の心。

しかしもう、そんなことをいう力は残されていなかった。記憶もなくなって

ついに亡くなったのは、1910年8月13日のこと。90歳。

静かに静かに息をひきとった。ねむったまま昇天したという。

ちなみに、政府は国葬にして、歴代の王や女王が眠るウエストミンスター寺院に

ほうむろうとしたのだが、これだけは まえまえから遺言状を書いて拒否。

さすが ナイチンゲール

両親とおなじイースト・ウエロー村のはずれにある

教会墓地に埋めてもらったそうです。

そこにこめられたメッセージはただひとつ。

国家にケアを奪われるな。

ナイチンゲールの遺言です。

 

 なるべく 短くと思いながら, ここは書き残したいと思っていたら~~

こんなに長ーくなりました。

ゆったりとした時に読んでもらえればとおもいます。

 

 

 

 




以上の内容はhttps://momo2448.hatenablog.com/entry/2025/03/16/152310より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14