その2は ながーいブログです。 読んでみて下さい。
広大な家 もう城のレベルである。
屋敷は森に囲まれ、正面には広大な芝生が広がっている。

人民のなかへ
1840年といえば、イギリスが記録的な飢饉にみまわれた時だ。
食えなくて バタバタ倒れていく貧民たち。 やがて体力もなくなって病で苦しむ。
飢え、渇き、叫び。
そんな光景をまのあたりにして、さすがのカネもちも放っておけない。
救民しょう。
お母さんのファニーが娘たちの教育になればと、フローとパースも連れていく。
温かいスープと銀貨を持って。
農民小屋のドアーを開けると・・・貧しき人々が目の前に・・・。
わたしの心は人々の苦しみを想うと真っ暗になり
それが四六時中、私につき纏って離れない。
ふと思ったのだ。
わが天命はこの惨めな人々のなかにある。
人民のなかへ
わたしは看護師になる
またやりたくもない社交をやらされる。おもしろくもないのに笑顔をたもち、
無駄話をして一日をすごす。
深夜、睡眠時間をけずって読書にふける。
フローは神のおぼしめしに気づいてしまう。
親のこと、将来のこと。頭で思い描いてきた自分はすべてかなぐり捨てた。
1844年 春、24歳。
その時はいつも不意にやってくる。
わたしは看護師になる。なりたい、じゃない。なる、なのだ。天職である。
フロー、決意をかためる
1844年6月、好機到来。
サミュエル・グリドリー・ハウ博士が、妻のジュリア・ウォード・ハウを連れて
泊まりにきたのだ。
ハウ博士はハーバード大学の医学部で学んだ外科医。
ギリシャ独立戦争に共鳴して、戦闘に加わったというぶっ飛んだ人だ。
帰国後は、パーキンス盲学校を立上げて初代校長になった。
視覚や聴覚に障がいをもっていても、自分で生活できるように支援していたのだ。
のちに ヘレンケラーも、この学校を出ている。
このハウ博士、ジュリアとともに奴隷廃止論者。
特にジュリアは詩人として超有名人。
リバリック賛歌の作詞者として知られている。
ちなみに、日本では「まあるい緑の山手線、まんなかとうるは中央線」でおなじみの
あのメロディーである。
そんな夫妻の来訪にフローはワクワク、ドキドキ。
しかも 看護師になると決めた直後である。
夕食後、フローはハウ博士に声をかけた。ご相談があるのですが、
(明日 朝食前にふたりでおはなしをすることはできないでしょうか。いいよ。
翌朝、フローが部屋をたずねる。
そして、おもいつめた顔でこういうのだ。
先生、イギリスの若い女性がカトリックの修道女みたいに、病院の仕事に一生を捧げる
ことをどう思いますか。
ハウ博士は
きっとイギリスでは前例のないことでしょう。だけど、私はあえて言います。
進みなさい。それが天職だと思うなら、心のひらめきにしたがって行動するのです。
ありがとう 先生。
フローは決意をかためた。
でもハウ博士以外は、ほかの誰にも心のうちを話さなかった。
絶対 反対されて、その芽を摘まれてしまうからだ。
それくらい イギリス上流階級では女性が労働するなんてあり得ないことだった。
フローは周りから心を閉ざし どうすれば看護師になれるか
ひとりで計画を練った。
家族には黙って、知り合いの病院で医療の手ほどきを受けていた。
もっと 本格的に勉強がしたいと両親にフローは必死になって訴えた。
(お父さん お母さん 私を三ヶ月 病院で働かせて下さい。看護の勉強を
したいのです。)
お母さんは わなわなと震え 怒り爆発。
お姉さんはパニックをおこしわめき始めた。
助けて お父さん。
場の空気に耐え切れなくなったお父さん。
ロンドンに逃げてしまったのだ。 神足のウィリアム。父ちゃん!
しかし なぜお母さんはここまで拒否反応をしめしたのか さきほども言ったが
上流階級の娘が働くなんてありえないというのもあったのだろう。
だけど、それだけではない。あきらかに看護師を毛嫌いしている。
なぜこんなに反対されても、フローは看護師になりたかったのか。
神に命じられたからだ。その神に身をささげることと看護師になることがイコール
だったからだ。
それなら、看護とはなにか。のちにフローは『看護覚え書』の補論でこう書いている。
わが愛する姉妹よ、
教育の仕事はおそらく例外であろうが、
この世の中に看護ほど無味乾燥どころかその正反対のもの
すなわち、自分自身は決して感じたことのない他人の感情の
ただ中へ自己を投入する能力を、
これほど必要とする仕事はほかに存在しないのである。
フローはふたたびディアコネス学園を訪問。今度は三か月間フリードナー夫妻から
みっちりと特訓をうける。
足の切断など手術の立ち合いもつとめていた。
夫婦いわく。彼女ほど抜群の成績で、学ぶべきすべてを完璧に習得した人はいません。
ディアコネス学園での修業を終えたフローは
紙の知識ばかりでなく、実技経験もつんで看護師としての力量をしっかり身につけた
フロー 早くこの力をいかしたい。
だが 母がゆるさない。
いまだに看護師への職業差別がぬぐい切れないのだ。
ああ どうして30歳を超えた大人が自分の人生を自分で歩むことができないのか。
私が女だからダメなのか
それをよしとする家族って何だ。 社会って何だ。
フローはその怒りをすべて吐露する。
一本の小説を書き上げた。
『カサンドラ』だ
この因習に満ちた社会は
男性が女性のためにつくったもの。
そして女性もこれを受け入れてきた。
この社会では女性はなにも所有してはならず、
猫かぶりの道化芝居を演じなくてはいけない。
そして女性には情熱などないと噓をつく。
自分にも噓をついているのだから
娘たちにもほかに言いようがない。
男性は結婚によってすべてを得る。
「妻という」協力者も手に入れる
でも女性が「結婚によって」得るものは
何もない。
あたらしい人類救済は女性解放であるはずだ。
『カサンドラ』の執筆を終えて、元気 バリバリのフロー。
優れた病院や修道院を訪ねて、あるべき看護制度について考える。
ひたすら 病院制度を調べる。
修道会「シスター・オブ・チャリティー」がすごいことが分かった。
フランスではそこで看護の訓練を受けた修道女たちが 各地に派遣されている。
32歳のフローに転機がおとずれる。
「婦人家庭教師のための療養所」の責任者にならないかと誘われたのだ。
この話を聞いた
母のファニーと姉のパースは猛反対。パースはまたヒステリーの発作。
だけど もうかまってはいられない。
この家を出て、ロンドンで自立。
女性が自立するには
年間500ポンドと自分ひとりの部屋があればいい
金銭面での支援がほしい。
すると お父さんのウイリアムがかわいい娘に毎年500ポンドくれると約束。
500ポンドというと現在の日本円で750万円くらい。
療養所で働いてもフローに給料はでない。無報酬なのだ。
看護管理者としての才覚
看護師を患者の世話に集中させたいのに 雑務におわれてヘトヘト
とにかく食事を一階、二階 へ昇り降りして運ぶこと~~
そこでフローが知恵を出し 一階と二階を上下する リフトを作る。
(今でいう 配膳エレベーター)
患者対応では入院患者一人ひとりにベルをつけ 必要な時に看護師を呼べるようにした
(ナースコールである)
なんかすごい看護士がいると話題になり、有名医師、ボーマン博士からもお声が
かかる。
こんどクロロホルム麻酔をつかって、癌の手術をやるんだけど、助手をつとめてくれないかと。当時の最新医療。
もちろんオッケー。手術も成功。
ボーマン博士から、うちの看護師長になってくれませんかと誘われた。
お願いしますと返事をしようと思っていた矢先のこと~~
1854年 イギリスでコレラ大流行。
下水設備のない貧民街で感染爆発。
世話をしていた看護師も感染してバタバタたおれて死んでいく。
パンデミックだ。
フローは昼夜をとわず 患者たちの世話をしていた。
どれだけの人を看取ったことだろう。
どうせ、何もできないのだ。だったら何でもやってやる。
成功も失敗もなんにもない 恥じも外聞もなんにもない。
無希望・・・上等
理由なしに あたえよ。
あたえるが ゆえに あたえる。
はたらくが ゆえに はたらくのだ。
看護するのに わけなどいらない。
次回 その3は はじまりのクリミヤ戦争。
ハンマーをもった 天使。