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失敗からしか学ばないから失敗を見守るしかない

んだなとあらためて思いなおしています。

 

人間は賢いので

 

言えばわかる

 

言わないとわからない

 

ですし

 

でも

 

わかる、わからない

 

は千差万別で

 

共通認識がある範囲で、

しかも100%同じ感覚はありえない。

 

大体

とか

なんとなく

しかわからない

1%でもわかったような感覚があれば

わからなくてもわかった

ということなんだろうと。

 

だから、なんか違うな〜っていうの

追求しちゃいけないんだなと。

 

それは思いやりなのかなって思っていたし

思いやりって言われている気がするけど

 

思いやりというよりも

 

現実、真実、

 

違う、わからないのがベースで

 

1%でもわかれば理解の前進、

歩み寄りがスタートして

すばらしい👏

 

ってことなんじゃないかと。

 

平行線とスタートするのとでは

確かに、近づけられていることが

他人が共にいるということができるってこと

ですものね。

 

それがなければ共にいられないか

わからせようと押し付けるか

でしょうか。

 

1%でわかったつもりになる側は歩み寄れた❣️

って思っている現状ってことで

そこを99%わかっていないと

伝えようとしたところで

現状は現状で変わらない。

 

またチャンスがある時に同じか違うアプローチで

補完して

その内に理解が深まって同じ認識を作っていくしか

なくて

わかっていない

と言ってもわからない現状は他人には変えられない

です。

自覚によってしか変えられないし

どこで何によって気づくか自覚するかも

わからないので、

自分も周りも理解の成長を待つしかない。

 

そのキッカケとなるショッキングな出来事が

失敗

だとすると

 

失敗をさせて

その失敗の影響を事前に知っていたとしても

自分が巻き込まれるの覚悟で

失敗させないと解決に進まないもの

ということになります。

 

となると、仕事は成功する為にフォローするのでは

なく、失敗してもらわないと、成長してもらえない

ってこと。

 

どうしてこんなことを書いているかと言うと

伝えた時に「わかりました」と返事はあるけど

事実が伴わないことが多々あり

何度、注意したり、フォローしたり、

時間をかけて説明をしたり、

正しい指示をしても、その通りにならない

ということが多くて

疑問に思っていました。

 

ちなみに人によってすぐに伝わる人もいますし

同じ人でも伝わる時と伝わっていない時もあります。

伝わらないことが多い人もいます。

 

伝わらない人や伝わらない場合はどういうことか

考えると、

経験の差

なんだと思います。

知らないことはわからない

ということです。

 

そして、わかりたいと思わない、

わかろうとしないと

本当のところはわからないまま。

 

わかりたいレベルで止まるので

 

周りの人のわかってほしいレベルに程遠い、

わかってないなってレベルのままで

本人は「わかりました」となる。

 

失敗してもわからない、

ということもあるので

わかってもらうことを諦める

ことも大事かなと思いますが

 

仕事だとなぜか

(みんな同じように)できるようにする

みたいなのもあって

 

現実を認めようよ

 

って思うことが多々あります。

 

理解や成長には時間がかかるので

目に見えた成果として(自他共に)求められるのは

非現実的。

そこも他人や社会的には「(1%)わかりました」

で進むのが共同体の現実なんでしょう。

 

子育てもそうでしょうか。

わかった?うん!→そうならない

→何度も言う

みたいな。

 

家族にもだし

 

どんな人間関係にも言えるのかもしれないです。

 

大人数の会社で働いているとミスの波及も大きくなり

回収が大変なので、すごくフォローをするのですが、

 

フォローされていると

失敗しなかったり、自分事にならなかったりして

フォローをし続けることになり

当事者が変化しにくくなり

フォロワーの労力が大幅に奪われて

フォロワーの成長も奪われて

フォロワーがしんどくなるなと思います。

 

だから、育たない、育てないんだろうなと。

 

その分、自分を育てる方が、楽ってことかと。

 

そう(楽)してきた人は自分の都合のいいこと以外は

考えることが少ないので、

いっしょに働きやすいなとは感じなくて、

就職氷河期の間にそういう傾向が多くなったのかも

しれないと思ったのでした。

楽してきたというか、他の人と、って考える環境に

なく、そうなるしかなかったという感じでしょうか。

そして、その環境下で育ったまた別の世代が

誕生していきます。

 

環境毎、世代毎、いいとこと悪いとこがありますね。

 

就職氷河期末期世代としては、

大枠で後と先の世代の皺寄せを感じるものだけど、

末期ということで、

大変さもありながらもさすがに変わらないと

っていう世代だったのかなと20年を経て思います。

それは流れを先の世代が汲んでアフターな今の感じに

なったかと。

40年前、ベビーブームの終焉、

親たちが親になった頃までは日本経済全体として

上がっていて人生設計も比較的立てやすかった。

30年前はバブル崩壊で、その流れで突き落とされた

人たちもいて、mogさんの家もそれまで思っていた

通りにはいかなくなっていたけど、親たちは貧しい

家庭で育って、目の前にあることを粛々とやって、

生活してきたからか、

不景気にも変わらずそう生活し、今に至る。

mogさんは中の下なお家だと思うけど、

中学校ではお家で働かされて学校に行くのが

難しいクラスメイトもいたし、

それは就職氷河期とか関係なく今もそうだろうし

それよりはいい状況で携帯電話とか持ててたり

しても感覚的に同じような貧しさはどこかにまだ

あるのだろうとは思う。

就職が簡単か難しいかとかそれだけで大変とか

悪いとかそうも言えないというか

時代の寛容さによって問題にも寛容だったことも

あるわけで、

不器用でもちょっと貧しくても何にしても

その時をどう生きるか

それだけなんだと思う。

たまたま楽だったり大変だったり

どれも組み合わせで

どうしようもなく大変になってしまったり

自覚なくイージーモードだったり。

大変だけど、なんとか最後まで生きる人もいれば…。

 

失敗しても順調にいっても

究極を言えば

生きていれば

どっちでもいいってことなのかも?

 

いい人も悪い人もないのかも?

 

お互いに生き続けられれば。

 

「いい人でありたい」とは聞くし

聞こえもいいけど

結局は大義名分や社交辞令

いい人に見られれば自分がいい人と思えれば

本当にいいかどうかは別なのが現実で。

 

自分が納得し、他人の納得を待つ、

納得するまでの間も納得している(予定)と

みなして。

だから、失敗は黙って見守って、

本当に納得したら、前からそうだったとみなして。

本人は前から「わかっている」

他の人がわかるのを待ってくれていると

思っていないから

「わかっていない、わかっていなかった」ことを

伝えても、そう思うことはないのだから。

 

思う(言う)こと=実現、と夢を信じて

待つしかないのかも。

 

できる、と思わないと一歩を踏み出さず、

失敗も成功もしないですし。

 

人は思い込み(レッテル)という

期待(イマジネーション)を実現し

 

実現するためには

理想を語り信じることが大切なんでしょう。




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