最近、音源を購入するにあたって、カセットテープやCD、レコードで買うことが再び増えた。
このブログ的には「いまさら?」という感じかもしれないけど。
modernclothes24music.hatenablog.com
私はわりとCDで音楽を買う人だったけど、一時期しばらく、MP3データで買うことが多かった。また、前のようにCDを買っても、PCにMP3で取り込んで、その後中古屋に売る、というパターンにもなっていた。
そうして音源データをMP3プレイヤーに入れ、聞く。そういう生活。MP3プレイヤー(SDカード拡張)は、いつの間にか5台になっていた。そんな日々が数年、いや10年?になっていた。
※ちなみにサブスク音楽配信は、Youtubeプレミアムの課金特典のYoutube Musicをちょっと使うくらい。Youtube(Music)は、チル系・メロウ系の音源や、Lo-Fi HiphopやSovietWaveやチップチューンといったののMIXを作業用BGMとして垂れ流している感じ。あとは各国のランキングをちょこっとチェックするくらい。
今もMP3プレイヤーは使っているし、音楽データ販売にはお世話になっている(特にBandcamp)。サブスクだって便利だと思う。
その一方で………最近は、カセットやCDやレコードを買っている。
もともと、私はフィジカル媒体にこだわるタイプのリスナーであったことです。音源はモノで買って、歌詞カードを見ながらきちんと聞きたい、そう考えるタイプの。
ただ、2009年の冬に関西圏からシマーネ農業王国に移り住んで、レコード屋に通うことが無くなってしまった。2009年から2025年の今に至るまで山奥に住んでいるもので、レコ屋やブックオフに行くだけでも大変。それにそんなに出物もない。関西に居た頃に通い詰めていたレコード屋さんに年1~2回くらい通販で注文をしていた。そんな感じで、関西圏に居た頃よりレコードを手に入れるのは大変になりました。そりゃあ通販サイトはありますが、やっぱり手に取ってじっくり選びたいんですよレコ屋で。
そのうちだんだん、MP3で音楽を聴く楽さに慣れていくようになります。そしてYoutube、サブスクです。やろうと思えばいくらでも世界中・あらゆる時代の音楽を聴くことが出来るようになりました。手軽に。
でも近年、またCDを買うようになった。理由はいくつかあると思う。
例えば、MP3音源データがいつPCクラッシュで無くなるか知れたものではない、といううっすらとした疑いの心がどこかにある。MP3データで音源を管理していると、なんかうっすらと、うん。
また、音源にまつわる「お手軽」さ、っていうのに正直少々飽きてきた。前のようにCDを手に取り、歌詞カードをじっくり読んでミュージシャンの正式な情報をチェックする。CDプレイヤーにかけ、SNSとかと隔絶された状況で、のんびり音楽を聴きたい。
最近はCDをいちいちMP3データとして取り込んでいない、という盤もある。CDプレイヤー(私の場合実際はポータブルDVDプレイヤー)に入れて、あとはのんびり音楽。
「データクラッシュ忌避」と「お手軽さの飽き」の、さらに奥底に流れている心情として、「自分の音楽体験のペースを保っておきたい」というのがあると考えている。
何かに追われるようにして音楽を聴きたくない。世間の流行とか、若者文化へのアンテナとか……世情とか、音楽シーンとか、ミュージシャンの挑発的な言動とか、当てこすり的な令和音楽批評とか……。SNSとか……。今の音楽シーンが不健全だ、なんて言うつもりはないけど、私はなんか、引きこもりたくなったんです。
「そういう隠遁は、MP3データやサブスクでも出来るんじゃないですか? テクノロジーサービスとの付き合い方次第ですよ」
…というのは確かにそうなんだけど、令和のSNS神経戦争から少し引いて、自分のペースで音楽を聴きたい、って言ってる人間に対して、かように物言うあなたのサディスティックな精神の風味が気に入らない、というのが私の感想である。
それはともかくとして、今私は再びフィジカル……カセットやCD、レコードで音楽を聴くような生活を、少し愛おしんでもいる。CDは通販サイトを使っても、すぐには手に入らない。MP3データ販売→ポチ→DL、この速度に比べて全然である。でも、それくらいちょっと焦がれる時間があっても良いのではないか、と年寄り発言をしてみる。
また、レコード屋やブックオフ、最近はここシマーネ農業王国でも少しずつ品ぞろえが良くなってきた。まぁそれはCDを軒並み中古屋に売ってしまうという背景もあるんだろうけど。そして中古屋に売っていたのは私でもあるのだから人のことはいえない。まして、あんだけCD売っておいて今更またCD買うの?っていう心地もほんのちょっと、わずかに心の中にある。
でも、私は今のこういうカセットやCDを買って、ゆっくりしたペースで音楽を聴くのが楽しい。手元にこうしてCDやカセットを並べて愛でちゃったりしてね。

カセットテープの良いところとして、「自分でオリジナルのカセットを作れる」クリエイティヴさというのがある。クリエイティヴ、っていうのも恥ずかしいけどねw
私はPCに保存しているMP3データを、オーディオインターフェイスを通してラジカセの外部入力に差し、オリジナルカセットを作っています。今はカセットのデータをMP3データにする、っていうのは良く聞きますしコンバータもある。しかしそのまったく逆のMP3の「カセット化」を趣味にしている音楽マニアは、そう多くはないと思う。
このカセット作りもまた楽しいのである。やっぱり私はモノが好きなのだ、と思う。そしてカセットにしたらもうデータクラッシュのように「逃げて」いくことはないだろうな、という確信が持てる。ありがたい。いやテープの方が破損のことを考えたらクラッシュ率高くない?っていうツッコミもあるかもだけど、いいじゃないですか、ここでの問題はたんなる「心地」の話なんですから。
ともかく私は、音楽を体験するペースやスタイルを、自分の手に取り戻したい。
以前、私の音楽趣味がチル系やメロウ感へのシフトをしている、という記事を書いて、仲良くさせて頂いている音楽ブログ「Nothing is difficult to those who have the will.」のカナリヤさんに、私の音楽趣味、ペース、スタイルの「変化」を見てとって頂きました。
何かの忌避感から端を発し、音楽生活の変化が起こっている。
そのご指摘を受けた時、実は「そうかな?」と思っていたのですが。チルやメロウが滅茶苦茶好きになったのは、あくまで自分の音楽趣味の「拡大」ではないだろうか、と。
しかし、だんだんこのカナリヤさんのご指摘に、私は「そうかもしれない」と思うようになってきました。特に、最近このようにカセットやCDで聞くという、いわば「時代に逆行する」聞き方を自分からするようになると。
何かを忌避していて、音楽生活の変化を求めている。
現在、こうしてチルやメロウ感のある音楽を聴くようになり、カセットやCDを買って聞く。自分のペースを守るために……。私は上で「SNS神経戦争の令和時代」を忌避感の対象としていた。ちょっと過敏かもしれないけど……でも、警戒していて損はないとも思っている。
もしかしたら、そうやって防衛していないと自分(のペース)が押し流されてしまう、という忌避感、恐怖感があるのだろうか……?
これは確かにそうだ。こうやってCDを聴く生活を言語化してみようと思ったのは、レトロ趣味やノスタルジーが主ではない。今のおだやかで隠遁した音楽生活のペースを愛おしく思っているのは、安堵から来ている。あのまま音楽を脅迫的に消費し続けているような世界線から、わずかに脱却出来た安堵から---そう思えなくも、ない。
ただでさえ、私の新仕事・新生活環境で、「防衛していないと自分の大切なものが押し流されてしまう」とおそれているのだ。新しくなって一年たってもそう思う。
声が聞こえる。
そんなにそれ、大切なものなの? CDをわざわざ買ったり、自分なりのペースを保って音楽を聴くことが。世間と隔絶したところで静かに音楽聞いたり模型を作ったりするようなことが。単に意固地になってるだけでは? もっと楽になってもいいんじゃない?
答ふ。
違うんだよ。そっちの言うこの場合の「楽」さっていうのは、私にとって何か違うんだよ。私は、自分が考える「人間らしい生活」っていうのを大事にしたいんだよ。ある種の豊かさを大事にしたいんだ。それはマイノリティかもしれない。でもマイノリティであるかどうかも実はどうでもよくて。かように私は結構、世間ってものを気にしているのかもしれない。創作でも、音楽でも。それでも、私自身の中で守りたいものがある。スピッツも新曲で言っている。
幸せの意味にたどり着きたいんだ
密かにともるこの可愛い灯を護ろうスピッツ「灯を護る」
いやいや、こういう弁解じみたことを書きたかったわけじゃないんだけど。私も修行が足りない。
参考記事
hayasinonakanozou.hatenablog.com
この秋から、楽しく読み続けているブログ。ここ数年の筆者elein氏は「自分にとって大切なものは、あえて物媒体で手に入れて、自分のペースで鑑賞してみたい」というこころみをされている。ブログ「生存記録」は中年化問題についても多くの記事を重ねていらっしゃる。
シロクマ氏は「オタク中年化問題」を長年考察されている。私が今回音楽「体験のペース」と言い出したのは、私自身にとって「ペース感」、あるいはペース感の世間とのズレを意識することが顕在化してきたというのがある。まあ……確かに、これはオタク中年化問題の一端なのでしょう。
最近はphaさんのエッセイを読むことが多い。それにしても「パーティーが終わって、中年が始まる」はこの半年から一年ばかり良く読んだ。最近はそこから「やる気のない読書日記」「蟹ブ店番日記」も読む。
しかしとりわけ中年問題において、日常から日記を書くのはとても大事だと思う。生活のわずかな差分を喜んでみること。というのも……(続
プロゲーマー・ウメハラ(梅原大吾)氏の配信。成長が感じられない、好きなことがイヤになってくる……というのは、
「その道の中級以上になってくると、毎日の成長は超鈍足の牛歩になる。【だからこそ】日々の小さな(小さすぎる)成長の差分をちゃんと喜ぼう」
という内容。「小さな差分(気づき)をいちいちメモする」というのはウメハラ氏の著書にも書いてあった。
なんだろうな。ペース感がどうとか書きましたが、やはりこれは中年の「飽き」の話なんでしょう。そこからCDやカセットという物媒体を使ってわずかでも飽きから脱出出来た現在が少し嬉しい、というのは確かにあるんだろうなぁ~。
「慈しみ」があふれている文章です。CDは、「なんか、うれしい」。そう、それで良いんです。
私(残響)のお気に入り音源メモ(cosence使用)。
長らく放置状態でしたが、最近再稼働させました。
modernclothes24music.hatenablog.com
中年化問題の話、最近はこのあたりから