以下の内容はhttps://modernclothes24music.hatenablog.com/entry/2024/06/29/214739より取得しました。


映画「数分間のエールを」自分の作品が誰にも届かなかった時の感情

Hurray!について

私は以前から映像制作チーム「Hurray!」のファンでしたので、初映画作品の当作「数分間のエールを」を観ないわけにはいかないのでした。

yell-movie2024.com

この日記ブログでHurray!については2年前にちょっと書きました。その時はヨルシカの「老人と海」Inspiredムービーのことでした。

modernclothes24music.hatenablog.com

Hurray!の作るMV(ミュージックビデオ)の特色は主に、

  • 登場人物も舞台もエフェクトもグルングルン動く空間的3DCG表現
  • シンプルながらポップな絵柄
  • 差し込まれるエモーショナルな言葉の力、作家性

といったものです。加えてヨルシカ「ただ君に晴れ」「藍二乗」といった実写MVでのお仕事も含めて、Hurray!のキャリアは2010年〜2020年代の映像表現…もっと露骨な言い方をすると「エモ路線MV」の旗手(トップランナー)と評して良いと思います。あんま良くない表現でファンとしてイヤんなりますが、とりあえずわかりやすさで…(すいません)。

www.youtube.com

www.youtube.com

もうちょっとHurray!オタクトークをすると、この映像チームは、ぽぷりか氏(監督)、おはじき氏(副監督)、まごつき氏(キャラデザ)という、同じ美大出身の三人によるものです。
チーム名の由来は、応援の言葉…あの掛け声「フレー!フレー!」からきています。

自分の作っているもの自体に驚きを見出し、自分が属するHurray!というチームの友情とクリエイティヴに胸を張りたい!そして誰かの存在や創作物にエールを送りたい……、

↑これはHurray!の公式サイトのコンセプト欄を概略としてまとめたものですが、これ、ほとんど「数分間のエールを」の内容ですよね。

hurray.fun

tablet.wacom.co.jp

そんなこんなで、スタッフロールの末尾にぽぷりか、おはじき、まごつき御三方のお名前が列挙された時、非常にこう、じーんとしたオタク心でありました。

 

作品感想、あるいは自分の作品が届かなかった時の感情

 

映画を見て、帰宅して思ったことを書きます。あらすじについては公式サイトで確認してください。いつものようにネタバレありまくりです。

中盤あたりで、彼方くんが作ったMVは織重せんせに「ごめんなさい」と却下されます。この失敗の理由は、彼方くんの解釈ミスでもあり、彼方くんと織重せんせがロクにMV制作上のコミュニケーションを取らなかったから、とは言えます。

ただ、私はこの映画を観ていて、そこは「おかしい」とは思わなかったのです。作品が世に出た以上、彼方くんのような解釈ミスというか、一部のみを切り取った解釈っていうのも、あって当然だと思います。どういう解釈であっても自由。

ただし作曲者には、自分を表現する上でMV(世界表現)を選ぶ権利があるし、むしろここで安易にほだされて「OKです」をいう方がよほど欺瞞です。織重せんせの絞り出すような「ごめんなさい」は、私は誠実なものと思いました。

そもそもMV制作上のコミュニケーションにしたって、今回の彼方くんと織重せんせはチームを組んでいるわけではないですから。織重せんせは自分の意志で曲を作って歌った。彼方くんは勝手にMVを作り、織重せんせの為になろうと思った。相互のコミュニケーションをもとにした創作(共作)ではなく、彼方くんは織重せんせにただぶつけただけのようなもの。その一方向性は織重せんせもだいたい同じで、

だから初めから、一般的な意味でのコミュニケーションはやっていないわけです。やっているとしたら、ある種の勝負というか、強烈な表現欲のぶつけあい。そのように私は思いました。そしてそれは全然悪いことではないのです。むしろ燃え上がる創作の熱。私はその創作の熱は素晴らしいものだと思う。

 

今回私がこの文章で書こうとしているのは、「ああ…届かなかったな…」という感情についてです。

織重せんせは曲を書き、ライヴをし、曲を書き、ライヴをし、100曲書き、ライヴをし、この世の大勢の人には届かなかった。

彼方くんも、MVを作ったけれども、爆発的にヒットすることもなく、織重せんせに最初に見せたMVは見事なまでに届かなかった。

そしてトノ。ずっとずっと絵を描き続けたトノ。本当に絵が好きで、努力を重ね続け、それでも限界を見てしまったトノ。だから織重せんせのことがわかってしまったトノ。それが分からない彼方くんに苛立つトノ。そうであっても彼方くんが気にかかってしょうがないトノ。夏の空に沸き立つ入道雲のように果てしない方向へ走っていける眩しさを持った彼方くんのことを憧憬の瞳で笑みすら浮かべて見つめてしまうトノ!…っと、トノのことがちょっと多すぎやせんかw

 

まぁしかし。作品、表現って、届かない時ぁほんと、届かないもんです。ものを作って、それだけで満足出来ていりゃあそれで良かったはずなんですけどね。ちょっと、欲が出てしまう。これだけ頑張ったんだからー、とか。自分の愛するこの作品世界を、よかったら誰かも愛してくれないかなー、とか。そういう弱い心が出てしまう。

もし、「届いてほしい」という欲を前提として、多くの人に良い評価を得たいと思うのならば、弱い心の愚痴を言っている暇なく、作品のレベルアップに勤しむのみなんです。それしか本当にやることはない。これだけ頑張ったんだからー。そんなことは皆はどうだっていい。
まぁ、我々の頑張ったエピソードが「艱難辛苦ストーリー」に化けるとしたら、その作品がヒットした後、答え合わせ的にインタビューされてようやく化けるんだから、やっぱり作品のレベルアップしか道はない。今の私たちにインタビューなんて誰もしない。

自分の愛するこの作品世界を誰かも愛してー。それこそ作品世界の強度以外に頼るものなんてないのだから、やっぱり作品のレベルアップしか道はないです。
もし、私たちが頑張って作った作品に対し、友人が「頑張ったで賞」を引きつり笑いでむりやりプレゼントしてくれる、っていう状況、やっぱり辛いですよ。私の作品世界に付き合わせちゃったな…ごめんな…時間を無駄にさせちゃったし、余計に神経使わせちゃったな…っていう。あれ、誰も悪くないから辛いですよ。まぁもちろん一番悪いのはつまらない作品を作ってしまった私なんだが。そしてこれに対する答えも、やはり作品のレベルアップしか道はないんです。

 

うわー辛い話であります。彼方くんが、織重せんせが、トノが、夜空の星に向かって「届いてほしい」と願いながら創作活動をするのって、そんな辛い道のりなのか。創作ってそんな辛いものなのか。

…ちょっと考えにミスがあるんですよ。「届いてほしい」って、何?って話です。

 

誰かに見てほしい。読んでほしい。聞いてほしい。よかったら、喜んでほしい。よく言われることですし、私も未だにちょこっとは思います。
ただ、それが創作の「100%の前提」なのかな、っていうと、それはどうかな。まず自分の創作物が、自分を納得させてから…って、「今の私は」思います。納得、というか、自分自身に対するエールというか…自分が作った創作物や、創作している過程自体が、自分を励まし癒やし勇気づけるように、っていう。そこをまず味わっておきたい。

 

私の場合、以前そこで少しこじらせちゃったというか。「誰かにヒットするだけの強度・熱をもった作品でないといかんのじゃー!」式の考えを、前に持っていたんですよ。

でもそこを100%の前提にしちゃうと、話が一気にハードモードになるんです。これは結構怖い考えですよ。創作物が「届く」かどうかは、創作物のレベルだけではなく、受け取る相手のその時のコンディションもありますからね。どうなるかはわからない。

そもそも自分のコンプレックスを、作品を通じて誰かに「届かせる」ことにより癒やしてもらおうなんて、悪手もいいとこです。ちょっとそれは怖い発想に足を踏み入れかけている。

じゃあ…どうすればいいんだよ、って。

 

自分の費やした時間や努力。自分が作り上げた世界。それは自分にとって愛しいものです。とってもね。でも他人にとってはそうじゃない。ただそれだけの話。それだけの話が、どうにもこのように寂しくこじれてしまうのは何ででしょう。「届かなかった」という思いが、理屈ではこのようにわかっていても、それでも夜空の星のようにどこか寂しげなのは何ででしょう。

誰かに届いてほしい、と欲を持つことがそんなに悪いはずはなかったのに。それを自分の中で、100%の前提ではなく、4〜5%くらいの「ほの灯り」であったら良かったんですけど。でもいつしか100%の前提の業火になっちゃった。そうしてしまった私が悪い。

じゃあどうすれば、って思う。

もし誰かに届いてほしい、と思うのであれば、「こんな私を認めてくださぁい」ではなく、「私の世界を褒めてくださぁい」でもなく。自分自身がまず落ち着いた上で、誰かを応援するかのような。そんな自然なエールでようやく届くのかな、と、映画を見終わって今、思うのでした。

 

先に、自分自身に対するエール、と書きました。創作物であり、創作した時間そのものであり。そういう創作生活そのものが、自分自身に対するエールになればいい、と。
そのようにして健全になった心から、余裕があれば誰かへのエールを作れれば良い。今、作れなかったら作れなくてもいい。作れる時に作れれば良い。

というか、これも先に書いたことですが、「評価されたかったら、作品のレベルアップしか道はない」って話、これもよく考えたらちょっとミスってるな。まず落ち着け、負の怨念放ちがちな今の自分をまず落ち着かせろ、っていう話だと思う。

序文で書いた、Hurray!の公式ページのチームコンセプトの概略まとめをもう一度。

 

−−−自分の作っているもの自体に驚きを見出し、自分が属するHurray!というチームの友情とクリエイティヴに胸を張りたい!そして誰かの存在や創作物にエールを送りたい。

 

…これだよなぁ。まぁ原文は公式サイトを見ていただきたいんですが、「自分自身の創作に驚きたい、胸を張りたい」っていう健全さから、全ての創作は生まれてほしい…と思います。ルサンチマン&コンプレックスの暗い炎爆発じゃなくてさ。

そして自分の創作がそんな風に健全に力強くあれるのだったら、誰かの創作にだってエールを送れるはずですし、たぶんそういう順番でないとおかしくなる。初めから「誰かにウケよう!」とのみ考えて(100%の前提)、ものを作ったりレベルアップしようとするからおかしくなるんであって。

そもそも自分がこれまで見て聞いて読んできた創作物&クリエイターだって、自分を攻撃しようとしているわけじゃないですからね。ついつい嫉妬しちゃいがちなこれら創作物ですが、これらだって上の理屈でいったら、彼ら彼女らの健やかさがあって初めて成長のループに入り、やがてヒットしたわけですし。世の中にある創作物は、ライバルのような顔して、結構エールだったんですよ。

 

まぁ、わかっちゃいるけどね!w 
わかっちゃいるけど、創作やってて、暗い炎の嫉妬やらルサンチマンやらコンプレックスやら、「どうして届かないんだ」って思いがちなのが人間ですよ。そのあたりの業というか、暗い側面。そこをこの映画は、美しい画面とともに、しっかり描いています。

あー、本気になれる、っていうことは悪いことじゃないんだよなぁ。その本気の勢いが、時になぜかこじれてしまう。すれ違ってしまう。なんでなんだろう。

それでも、時に盲目的だの狂信的だのと言われても、どうにも止まれない勢いでもって創作をしてしまう時が人にはあります。そこはこの映画は完全に肯定している! どうにもならない創作熱、あのバチバチした紫電が脳内に散って、体全体が「作る」のみで動かされている瞬間!

だから、そこで「誰かに評価されるために…」とか「自分のルサンチマンを癒やしてくれるために…」とかって言ってるのではなく、その創作の瞬間をバチバチにやっていってほしい! そのメッセージは確かに受けとりました。

そこで、ラストの「未明」MVをガツンと作中で展開することについて。

私は、これがあってこそのこの作品だと思いました。
時に私達は創作の日々でミスる。対象をミスる。表現をミスる。創作生活のスケジュールをミスる。レベルが追いつかなかった。デバッグ的な工程でヤバいミスがあった。いろんなミスがあります。
コミュニケーション不全については考えたくない!(いや、考えます…)
そればかりか、創作生活をいつまで続けていられるかわからない。創作の傍らの仕事がうまくいかなかったとか、日常でいろいろあったとか、親の介護とか、たまたま病気にかかってしまったとか、いろいろ…。さらには、自分自身の才能だとか、情熱が消えたとか、惰性になりつつあるとか…。実際、筆を折った人。もうこの世に居ない人も、いる。

それでも「創作の日々」は本物だった。その勢いは本物だったし、今も本物です。創作において、最上位に置くべきはその熱情ですし、その熱情がやがて闇ではなく、健全な光、光のある生活にやがてなることを祈るばかりです。祈るばかり、というのがちょっと頼りないですが、でももっと創作を続けたいでしょう、やっぱり。

やれることはいっぱいある。いっぱいやろう、創作を。

 

最後に…この作品の風景は徹頭徹尾「夏」だったな、と思います。序文でHurray!の作風を「2020年代のエモ路線」と書きました。この路線、今や定番となりつつありますからね。それは事実だ。でも、この路線を先頭切って高品質なMV作り続けてきたHurray!だからこその総決算的映像表現だと思いました。自転車、青空、雲、教室、海、夕焼け…。その美しさと、創作の屈託と。ビジュアルと作品のメッセージ性が一体となっている。そんな作品です。

でも、映像の美しさだけではないんです。正直この映画を見るまでは、Hurray!のグルングルン動く3DCGアニメ表現「だけ」の面白さだったら、ちょっと残念だなぁ、ファンくらいしか楽しめないのでは、と勝手に気をもんでいたのです。

いやいや、まったくHurray!ファンたり得ませんでしたね私は。結局私が映画を見て、帰宅後書いているのがこの文章ですよ。映像だけではない。内容も、創作の屈託だけではない。考えさせられる…という手垢のついた表現で語りたくもない。

そうですね、創作する人たちへのエール。ものを作ることの屈託から逃げない作品でした。そういう意味ではいろんな意味で「甘さのない」作品だったかもしれません。でも、こういう作品では余計な添加物的甘みってものは不要でしょう。

ただ、創作の日々の熱さを。そういう日々を送る人々に対してのエールを。そしてエールを受け取った私達は、各々の創作の日々に活かしていくのが筋でしょう。ありがとうございました。

youtu.be




以上の内容はhttps://modernclothes24music.hatenablog.com/entry/2024/06/29/214739より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14