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インターネットにときめき続けたい

「Xは終わった」という声を聞くようになってからしばらく経った気がする。Xがお金を稼げる場所になってしまってから、インプレッション稼ぎのポストが増えて、誇張された表現や何かの裏側の暴露や注目される人や物に対する批判や中傷が目立つようになってきたという。「あれすごい燃えてたよね」という会話も増えて規模の差はあれど炎上は日常茶飯事になりつつある。当初私はみんなの言う「Xの終わり」に気づいていなかった。というのも私は昔から変わらず自分がフォローした人のポストが流れてくる「フォロー」タブばかりを見ていたからだ。Twitter時代からそのように使うSNSだった訳だし、自分が信頼できる人と企業等の公式アカウントだけで構成されたタイムラインで、不意に不快な思いをすることはほとんどない。不快な思いをしてしまうことがあるならば、自分のフォローの選択が間違っていたとフォローの見直しをすれば良いと思っていた。だから私はXが終わったとはまだ思っていなかった。私がフォローしている人たちのポストは変わらず平和だったし、但しフォローしている人のポスト全てが流れて来なくなってしまったことは残念だなくらいに思っていた。そんな風に昔ながらのTwitter的な使い方から大きくずれない方法で使用していたので、「Xは終わった」という言葉を聞くようになって少しの衝撃があった。しかしそう言う友人たちに詳しく聞いてみると、みんな「おすすめ」タブの方を見ているのだと言う。そうだったのか、とまた少し衝撃を受ける。「おすすめ」タブは確かに今何が話題になっているのかを知る情報収集にはもって来いだが、自分で選びとっていないだけあって自分に合わないポストも多い。そして自分に合わないポストを一つ怖いもの見たさでクリックしてしまうと、瞬く間にアルゴリズムが入れ替わりそれに関連したポストが増えてしまう。そしてそのアルゴリズムによってみんながその話題をしているように思えて「燃えている」と錯覚してしまうこともある。「あれすごい燃えてたよね」は一部の村でしか知られていない火事だったかもしれないが、その火種がまるであらゆる村にもあるかのように自分には見えてしまうのである。いや、それ私の村では燃えてない、と思うこともたまにある。お金稼ぎの場として機能する前は、SNSを使って承認欲求を満たすことに対する揶揄が多かったイメージだが、承認欲求を満たす場として使われることと金銭的欲求を満たす場として使われることを天秤にかけると、後者の方が悪質的なものを生み出していると判断されてしまうことはとても興味深い。そんなXの在り方に嫌気がさしてあまり使わないようにアプリを削除したり他のSNSへ移動する友人も増えた。私はまだアプリの削除も他のSNSへの移動もしていないが、以前に比べるとXを見る時間は格段に減ったと思う。

インターネットが好きだった。高校生の時にブログに出会い、その当時芸能人が書いているブログを読み漁って芸能人が日常を発信してくれることに感動を覚えた。その後一般人の面白いブログを書く人たちに出会って、会ったこともない性別も年齢も住んでいるところもまるで自分とは違う人たちの日常や思考を覗くことがこんなに楽しいものだったなんてと更に興奮をし、自分でもブログを書き始めた。高校卒業間際にmixiに出会った。そこには高校の先輩たちが沢山いて、もう住む世界が異なりどんな生活をしているかも分からなかった大学生の先輩たちが日記を連ねていて、こうやってまた人と人は繋がれるんだと嬉しかった。大学に入学する前に、大学のコミュニティに入って先行して友だちを作ったりした。自分が大学に進んでからも高校の同級生たちがどのように過ごしているのかを日記から垣間見ることができた。高校時代ブログを書いていたのは自分くらいだったのに、mixiに登録している友人たちが定期的に日記を書いて披露してくれることが夢のようだった。アイドルにハマってからはmixiでオタク仲間とも沢山知り合えた。全体公開されている日記から検索をかけて面白い日記を書いている人に自分からメッセージを送って現場で会ったりもした。その当時インターネットの人に会うなんて、とまだ危ないこととされている雰囲気もあったが、その当時知り合った友人たちとは今も交友関係が続いている。大学3年生の時にTwitterに出会った。これまでブログ・日記を毎日のように書いてきた身からすると当初140文字は少々物足りない気がしたが、あっという間にそれにも慣れて四六時中タイムラインを眺めるTwitter廃人と化した。その当時は旧ジャニーズのオタクも100人くらいしか観測できなかったので、ほぼ全員をフォローしていた。今ほど追う情報も多くなかったので、少ない燃料から沢山の自家発電をしているオタクが観測できて、オタク同士での化学反応が起きたりして楽しかった。そこで初めてレポ文化を知り、自分が入っていないライブのMCで話されていたこと等も、こうして有志の力によって知ることができるのかとオタクの共有精神に大感謝したりした。こうして私の高校時代〜社会人になるまでのたった数年間でも、インターネットやSNSの流行りの移り変わりは激しく、場所が変わることで情報発信の表現方法や価値観がアップデートされたり、見えてる世界や付き合う人が変わったりしてきたが、X(旧Twitter)にはもう10年以上いる。もちろんTwitterからXになるという大きな変化があったり、機能のアップデートはあるけれど、「限られた文字数で行うテキストコミュニケーション」という基盤は大きく変わっていない。何ならこのフォーマットを模した他のSNSが乱立してしまうほど、このフォーマットは盤石なのかもしれない(実際に私たちは10年以上ここに居続けている訳だし)が、いよいよユーザーが飽きて来てしまっているという感覚も否めない。

昔のようにもっと健やかにハッピーにインターネットにときめいていたい。パーソナルなことを書くとすぐに特定されてしまったり、多様性の世の中であらゆる方面に気遣ったお気持ち表明をしなければならなかったり、という難しさは出てきているものの、楽しいことや自分の経験やそれによって生まれた感情をシェアすることで、発信する側と受け取る側の双方が豊かになることを私はまだ諦めたくないなと思う。とりとめもない話だけれど、最近ずっと感じていたインターネットの話。




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