以下の内容はhttps://mjwr9620.hatenablog.jp/entry/2023/11/03/174407より取得しました。


『ALWAYS 三丁目の夕日』が始まらずに戦後版『永遠の0』が始まる山崎貴監督『ゴジラ−1.0』ネタバレ感想

【映画パンフレット】 ゴジラ-1.0 GODZILLA -1.0 監督:山崎貴 出演:神木隆之介、浜辺美波、山田裕貴、青木崇高、吉岡秀隆、安藤サクラ、佐々木蔵之介 マイナス ONE

山崎貴監督『ゴジラ−1.0』を観た。

 

  • 終戦直後の日本が舞台のゴジラ

シン・ゴジラ

本作は2016年公開の庵野秀明総監督『シン・ゴジラ』以来7年ぶりの国産ゴジラ。『ゴジラ』シリーズは2000年代初頭辺りに公開された「ミレニアム」シリーズが興行不振に陥り、2004年公開の『ゴジラ FINAL WARS』で一度歴史に幕を閉じたが、2014年にハリウッドで『GODZILLA ゴジラ』として復活。そのヒットを受けて制作された『シン・ゴジラ』は興行的・批評的成功を収め「国産ゴジラ復活!」と盛り上がりを見せる一方で次の国産ゴジラのハードルを大きく上げることとなった。それもそのはず『シン・ゴジラ』は1954年公開初代『ゴジラ』を現代日本に置き換える「現代ゴジラの決定版」のような作品で、今回のような7年程度のスパンで同じアプローチをした場合どうしても『シン・ゴジラ』との直接的な比較は避けられず、後出しである以上後発の作品は限りなく不利になってしまう。一方でこれまでの『ゴジラ』シリーズの流れを汲んで怪獣プロレスを展開した場合、大予算で制作されたハリウッド版『GODZILLA』シリーズのスケールにはどうしても劣る。そのためどっちのアプローチを取るにしても近年の作品と肩を並べる作品を作るのは相当ハードルが高いように思えた。

MC
山崎監督は、戦後すぐの時代設定にされたのはなぜなのでしょう?
山崎監督
一つには、「『ゴジラ』は核の脅威、戦争の影が怪獣の姿をしているもの」だというのがあったので、その時代でやりたいというのがありました。3.11(東日本大震災)もベースになるかなと思うんですが、「シン・ゴジラ」があまりにそこをうまくやってしまったので、対抗するなら昭和のこの時代にするべきじゃないかと思いました。
 「ゴジラ-1.0」完成報告会見 | TOPICS詳細 | 東宝株式会社

しかし山崎貴監督は「舞台を初代ゴジラの前の時代の終戦直後の日本にする」というこれまでの『ゴジラ』シリーズになかった新機軸を提示。「現代ゴジラの決定版」である『シン・ゴジラ』と異なるアプローチで直接的な比較を避け、独自性を出すことで期待感を高めた。そのため本作は『シン・ゴジラ』直後の国産ゴジラ映画として、このアプローチを生み出しただけでも評価に値するのでないか、と思う。

 

※『シン・ゴジラ』と『ゴジラ−1.0』は「現代日本」と「終戦直後の日本」と時代設定は大きく異なるが、「初代ゴジラを現代の視点で描いたら」というアプローチは実は同じ

 

シン・ゴジラ

  • 長谷川博己
Amazon

 

 

  • 『ALWAYS 三丁目の夕日』が始まりそうも…

ALWAYS 三丁目の夕日

そんな『ゴジラ−1.0』。前作『シン・ゴジラ』は「第1形態」という観客が全く想定していなかったビジュアルで登場することで強い衝撃を与えたが、今回も予告編の銀座上陸段階よりも小さいのが逆に不気味さを醸し出しながら、アクロバティックに暴れ回る初登場シーンで結構ギョッとさせられて、一気に作品に引き込まれた。戦争が終わって復興している日本の様子、特に浜辺美波演じるヒロインが「銀座で働くの」とオシャレをしている様子の画面のルックは『ALWAYS 三丁目の夕日』っぽくて、このまま「あの世界が始まってくれるのでは」と錯覚させられる。しかし本作ではここにゴジラが襲撃。ただシリアスな音楽がバックだった予告編の印象とは異なり『ゴジラ』のお馴染みのテーマソングがかかっているのとリポーターの実況のテンションの高さもあって、「ゼロからマイナスへ」という「絶望感」よりは「よっ!待てました!」の「歌舞伎感」の方が強い、かなりライド(アトラクション)的な演出。そのため電車のシーンには「まだ後ろの車両繋がってるみたいだけど、浜辺美波以外の乗客は全員そのまま滑り落ちたのかな…」とツッコミながらも「愉快、愉快」と苦笑い込みでニコニコ観ていた。ただそれもゴジラが熱線を吐くまで。ゴジラが熱線を吐いた後の「取り返しのつかない感じ」はそれまでの演出とのギャップもあって、かなり絶望的な気持ちにさせられて「あぁっ…、この映画を大きなスクリーンで観れて良かったな…」と心の底から思えた。一方で「劇中の絶望的なシーン」を「観客を楽しませる方向な演出」をするチグハグさには残念さもあった。後半に「戦争と違って絶対命を落とす訳ではないんですよね!」「なら戦争に比べれば全然マシだ!」みたいのも、同じく戦後復興を描いた『海賊とよばれた男』の「戦争で全てを失った男たちが再び一致団結して一つの目標に向かっていく姿」をトレースしているのだろうが、ゴジラによって多大な被害が出た直後なのもあって緊張感に欠ける軽いノリのように映ってしまった。そのため「絶望感」の演出という視点では圧倒的に『シン・ゴジラ』の方に軍配が上がるように感じた。戦争に憧れる青年に対してゴジラ討伐に参加をさせない理由として「小僧、戦争に行ってないことは幸せなんだぞ」とやたらシリアスなシーンを用意したかと思えば、それもその青年がピンチの際に駆け付けるための前振りになっているのも「何だかなあ」という感じ。また「軍隊も武器もない戦後日本でゴジラにどう立ち向かうのか」という触れ込みに対して「政府と交渉して船4隻が使えるようになった」とセリフで説明されるのも拍子抜け。「ソ連を刺激しないように戦闘行為を避けるアメリカ」など何処かご都合主義で緊張感に欠ける展開が続く。

 

※ゴジラが熱線を吐く際の尻尾の先っぽから徐々に青い光が頭の方に上がっていく演出はギャレス・エドワーズ監督版の『GODZILLA』っぽさもあった

 

※銀座以降の熱線のシーンはゴジラの口が大きく開いた時の「自らの死を悟らなければならい」感じの間が好き

 

※銀座でゴジラが熱線を吐く際にエキストラの中に橋爪功さんっぽい人がいたが見間違いだろうか…

 

ALWAYS 三丁目の夕日

  • 吉岡秀隆
Amazon

 

 

  • 『永遠の0』へのアンサー?

永遠の0

本作は山崎貴監督的には『永遠の0』『アルキメデスの大戦』に次ぐ戦争映画の位置付けでもあるという。そして本作の神木隆之介演じる主人公は「天才的なパイロット技術」を持っている「特攻兵」だったが「機体が故障した」と嘘をついて、特攻を免れた元兵士という設定だが、これは山崎貴監督の過去作『永遠の0』の主人公の設定を連想させる。『永遠の0』は山崎貴監督最大のヒット作品である一方で「特攻美化」との批判も相次いだ作品。

「永遠の0」の時に「戦争賛美」とか「好戦的」と評する方もいたが、どうしてそう取られるのか僕には分からなかった。今回も「永遠の0」もベタベタの反戦映画だと思っています。

エンターテインメントで〝反戦〟打ち出す 「アルキメデスの大戦」の山崎貴監督:時事ドットコム

山崎貴監督はそうした批判に対して『アルキメデスの大戦』公開時のインタビューで反論していたが、今回『永遠の0』を連想させる設定の主人公で「命を賭けてゴジラを倒す物語」ではなく「生きるためにゴジラを倒す物語」にしたのは、そうした『永遠の0』への批判に対して明確に自分の答えを提示したい、的な気持ちもあったのではないかと思う。現にパンフレットでは「人命を軽視した戦中日本のアンチテーゼとして"生"に執着する物語にしよう」との記述があった。戦争で生き残ってしまったことに苦しむ主人公がラストの特攻で命を落とすのではなく「機体からの脱出」、つまりは生きて戻ることが前提となっていたのはその表れだろう。

卑怯者と言われても家族のために生きて帰りたい、卑怯者でもいいんだ、という気持ちと、一方で大切な教え子たちが次々と特攻で亡くなっていく。自分の大切なものが、真逆の方向に引き割かれていく宮部は、もう狂気に逃げ込むしかないんです。

岡田准一、迫真の演技に過去のトラウマ蘇る!? DVD発売「永遠の0」山崎貴監督インタビュー(1) | WEBザテレビジョン

また山崎貴監督は『永遠の0』の主人公が特攻に向かった理由について「卑怯者でもいいから生きて帰りたい」と「次々と教え子が特攻で死んでいくこと」の狭間で「狂気に逃げ込んだ」と説明していたが、その意味でも今回の主人公と重なる。ただ本作では「戦後を卑怯者でもいいから生き続けたい」と「自分だけ生き残っているのは許されない」の狭間で「ゴジラに特攻」という「狂気」に向かいながらも、最終的には「狂気から脱出」した。これは「狂気から抜け出せなかった戦中日本」と「狂気から抜け出せた戦後日本」の対比にもなっている。

「永遠の0」を作る時に、元特攻隊員の方に話を聞いたり本を読んだりして、「生き残ってしまった」という感覚を持っている人がたくさんいることが分かりました。その思いが、一つのテーマだと考えています。自分の中の戦争が終わらなかった人たちが後始末を付けて、戦争を終わらせる。

日本的宗教観映すゴジラ 「怒れる〝タタリ神〟を人間が鎮める物語なんです」 山崎貴監督インタビュー - ひとシネマ

一方で本作は「特攻から逃げたこと」が「大戸島で引き金を引けなかったこと」と重なり、主人公のトラウマが「自分だけ生き残ってしまったこと」なのか「戦うべきときに戦えなかったこと」なのか、イマイチ釈然としない感はある。パンフレットの山崎貴監督のインタビューを読むと「主人公が引き金を引いた結果、大惨事になる」というパターンも考えていたようなので、作り手の意図は「自分だけ生き残ってしまったこと」に重点を置いているようだが、「特攻から逃げたこと」を「引き金を引けなかったこと」及び「ヒロインと結婚する決意が決められなかったこと」に重ねたことで「生きて、抗え。」のメッセージが若干伝わり辛くなっているようにも感じた。

また敷島以外の他のメンバーも前述した「戦争と違って絶対死ぬわけではない」という趣旨のセリフ的に「生き残ってしまった罪悪感」を抱いている設定みたいだし、今回の作戦は野田の演説と合わせれば「特攻・玉砕否定の死ぬための戦いではなく未来を生きるための戦い」と位置付けられているが、その前振り描写が「こいつらだって今回の作戦が命懸けなのは分かってる」からの「でも良い顔してるじゃねーか、嬉しんだよ、オレたちは戦争を生き残っちまったから、今度こそ役に立てるってな」と生き生きとした姿なので、全然「死ぬための戦いの準備」をしているようには見えず飲みこみにくい。正直、作品のメッセージに反して「『命大事に』と甘いこと言ってるその他大勢」と「ゴジラの恐怖を真の意味で理解しているからこそ覚悟を決めている敷島」みたいな対比に見えたレベル。特攻・玉砕否定としながらも結局「死ぬまで戦う引き際を決めてない戦い方」を実行しているようにしか見えないのも「なんだかな」という感じ(「命懸けの作戦」の前で綺麗事を言っても仕方ないのは分かっているが、態々設定した「命を大事に」というお題目が極限状態ではなし崩しに有耶無耶にされていくのが、何とも言えない微妙な気持ちに…)だし、そもそも一応交渉可能な戦争と交渉不能なゴジラという対比もあまり上手くいってないように思えた。また「命懸けの戦いをしている民間人」の背後に結局「都合良く船の用意してくれる政府」がいるのもイマイチノリきれない所だった。

 

 

  • 最後に…

「ヒロインが実は生きてました!」展開は「あの爆発で!?」感はあったし、ビジュアルも「あの吹き飛ばされ方の割には軽傷というか、小綺麗というか…」と若干萎えかけたが、ラストカットでヒロインの首筋の黒い跡が広がっていくのが見えて「なるほどね」とワクワク感に変わった。

 

  • オマケ

 

  • 追記

mjwr9620.hatenablog.jp

個人的に今回の話で一番ノレなかったのは「というか、冒頭の大戸島で呉爾羅が暴れたの、敷島が撃てなかったからというより、他の日本兵が発砲したからじゃね?」と感じたことから「きっとこの話は自分たちが開けてしまったパンドラの箱を閉じる話なんだな」と思ったのに、最後まで「あの時ちゃんと仕留めておけば…」で話が進んで「ゴジラは日本の被害者でもあった」みたいな逆転の視点がなかったこと。そのため「なんだか物足りないな…」と思ったが、山崎貴監督のインタビューや小説版を読むと「大戸島で敷島が撃っても再生能力で復活するから殺せない、撃たなければそのままどっか行った」とか「この話は『神殺し』で敷島は大戸島で『そもそもこの生き物は、人間がどうこうしていいものじゃない』と本能的に撃ってはならないと感じていた」みたいなことが明かされていて、「そこら辺もっと上手く物語に絡められなかったのかな…」という残念さが増した。そんな想いを別記事に詳しく書いてるので気になる人は読んで欲しい。

 

ゴジラ-1.0 [CD盤]オリジナル・サウンドトラック

Amazon
SCREENα(アルファ) 映画『ゴジラ-1.0』特別号 素晴らしきゴジラ映画とVFX【特別付録:山崎 貴 監修 『ゴジラ-1.0』 特大ポスター】

  • ジャパンプリント
Amazon

 

  • 関連記事

mjwr9620.hatenablog.jp




以上の内容はhttps://mjwr9620.hatenablog.jp/entry/2023/11/03/174407より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14