とうとう第三部第八章「7」に到達した。全てわかったかというと、実は5分くらいしかわかってないのではないか、と思う。政治的立ち位置についての議論もあるから、つい、そうした部分にも言及したことで、読者も失っていった。まあ、それは仕方がない。ただ、まあ、これほどの大著をそれなりに長い時間読んできたことで、小生の旅が充実したという喜びはある。今まで、読んだ読んだと言いながら、読んでない本が多かったので、今回そういったものの一つを読み切れたのは素直に嬉しい。
残るは、八章の「8」「9」、そして第九章、あとがきである。コピーしながら、とうとう終わるんだなという気持ちを強くした。スタンダールの『赤と黒』の時ほど、本は溜まっていないが、ベンヤミンの不愉快なツラも、どこか親しみを感じるようになった。思ったよりも顔がデカくて小男なので、遠景で写真を見ると、親近感がわく。
で、胃カメラをした。鼻から入れるやつでもない、鎮静剤なんか使わない、普通のやつだ。毎年やっている。コツは、あのクソまずい麻酔の液体をうまく喉の奥で転がすことなのだと理解して、酒でも飲むつもりで、転がしてみた。クソ不味かった。
8年目なのに、全く慣れない。病院で苦手なものは、胃カメラ、尿カテーテル、バリウムだ。バリウムはもうあまり使うことは無くなったので、嬉しい。採血は、ずっとバセドーだったので、月一で採血していたら怖くなくなった。でも、上手い人と、下手な人がはっきり分かれることがわかった。普通、速やかな人は上手いのに、今日の人は速やかだけど、痛いところを刺した。
胃カメラも、慣れてない人、喋り続けるおじさん、淡々とする男性、色々な人に担当してもらったが、5月くらいはマジで慣れてない人がやったりするので、少し後の季節がいいのかもしれない。機械的で冷たそうな人がいい。オエオエ言ってても、通過させるのが早い。喉を通過してしまえば、あとはちょっとした違和感だけだから、9割がた終了みたいなものだ。
喋り続けるおじさんは、上手だったけど、画面見る余裕もないのに見れ見れうるさかった。見えねーよ、と思いながら、オエオエ言った最初の思い出だ。その人はその後も一回担当してもらったが、やっぱりうるさかった。性格なんだな。
小生は、いたずらに怯えない。やけに陽気にまな板の上の鯉になる。麻酔も転がしているから、大丈夫!心を燃やせ!と言い聞かせた。マウスピースみたいなのをかまされたら、鼻で息を吸って、口で息を吐く〜と言われるが、これがなかなか難しい。初回はオエオエ言ったが、2回目以降は、オエ×8くらいで済んだ。今日はオエ×5だ。オエを何回で済ませるかチャレンジを、小生はしている。
行為を微分し続ける。喉の間を通るときが、オエっとなるので、そこはオエ×2するとして、オエしてもそこまで吐きたくならないものだ。前日食ってないから当たり前か。先が入っちゃえば、胃の中にちょっとブツの感触がするくらいだ。とにかく、胃カメラで一番の辛いところは、喉をカメラが通るところだと定めて、そこだけ力を抜く。透明な世界に入るくらいに、脱力し、そして、自分を捨てる。終われば、スーッと抜くからオエはない。今日の人はシャッと抜いた。
胃カメラは、バリウムよりも、その後の対応が楽だ。生検してないから、2時間もしたら飲めるし、食える。バリウムみたいに出したり、残ってるかどうか気にしなくてもいい。
余計な話に終始した。
いや、実はこの「7」、全然わかんなかったんだよね。
ここでバック=モースは、やっぱりベンヤミンの想起の様態を説明しようとしている。ユングと集合的無意識の部分が異なるということを示しながら。ユングは、少なくともバック=モースの理解では、人間存在の深いところで繋がる生物的記憶として集合的無意識を設定しているように見える。それに対してベンヤミンは、無意識もまた社会が介在していることを指摘したとする。ならば世代間で無意識の内容は違うのだから、想起しても理解へと至ることはあるのだろうか。
ベンヤミンは、個体発生は系統発生を繰り返すが如く、父母の過去の記憶を、自らの世代も想起しうるはずだと述べている。マジで?って感じがするが、確かに、『火垂るの墓』くらいまでは想起できそうな気がする(ホンマか)。