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幼年期・教育・ワイ老害 〜『ベンヤミンとパサージュ論』を仕事しながら読む〜 56

「幼年期」というキーワードは、今まで現代思想系の本を読むたびに、チラホラと見てきた。ジョルジョ・アガンベンの『幼年期と歴史』、モーリス・メルロー=ポンティの『幼年期の現象学』、はっきりと覚えているのはこれくらいだけれども、思想としてのフロイトの中にも幼年期の観察が重要な題材としてしばしば出てくる。私が齧った心理学の先生は、動物実験を主にする行動心理学の人だったので、散々精神分析の批判を聞いて育った。そのせいで、精神分析に対するある種の警戒感が抜けないのだが、それはそれで、いい認識の相対化になったのではないかと思っている。

 

ベンヤミンも幼年期の方法を特権化するところがある。

 

「こういったものを使う時、子供たちは大人の作品を模倣するというよりも、遊びながらそれらの屑から作るものを通じて、実に様々な種類の素材相互の間に、飛躍にとんだ新しい関係をつけるのである」

 

それはそう思う。もう忘れてしまったけれども、ガキ大将がさっさと昼飯を食べて、有利なブロックを全部独り占めしたあとの残ったブロックで何か作れないかと考えている時の思考が、小生の今を作っている。子どもに限らず、若者が発するまだ規格化、忖度のない発言の中に、失われてしまった何かを見出そうとしたからこそ、若くして才能を見出される詩人や小説家、音楽家、数学者が世に現れたのだろう。

 

第三部第八章「3」で、バック=モースは、ベンヤミンの幼年期への注目について取り上げる。そして、その方法論を説明している。この節は、それだけだと言っていい。

 

「当然ながら、ベンヤミンの関心は、抽象的で形式的な理性の発達段階にではなく、その途上で失われるものに向けられていた」

 

その「失われるもの」というのは、「大人の革命的意識の特徴である知覚と行動の断絶のないつながりそのもの」であり、「模倣的即興性に基づいた創意ある受信を可能にする能力」であり、「身振りの言語の源泉」であり、事物の与えられた意味を受け入れるよりもむしろそれを自分の手にとって創造的に使い、そこから新しい意味の可能性を解き放つことによって事実を知る」という「革命的力」である。

 

これらが革命に至る道なのかどうかはわからないけれども、子どもの思考をある程度型にはめていくのが教育なのだとすれば、その教育を変えることによって、何かが変わるという漸進的な改革があっていいと思える。

 

小生は教育論について、特に何かを言える内容を持たない。ただ、ある種の経験者として、恣意的で固着したクラス編成や、上意下達のスムーズさをよしとする運営方法、クラスの陽キャたちに教員の役割を代行させて秩序を保つ自治会的手法、それらを全て日教組のせいにするつもりはないけれども、それらの昭和的何かが子どもたちの意識の中で齟齬をきたしているとは言えると思う。

 

どんな集団においても初期の夢というのがあり、実際に運営する中でその夢が現実に合わせて仕立て直され、敗北していく過程がある。この「初期の夢」とは、どのような存在においてもある「幼年期」であろう。子どもに限らず、「幼年期」の夢や可能性を思い出す方法を確保しておくということは、ある種の集団の持続性に重要なファクターなのではないだろうか。

 

小生のいる組織もまた、新規事業を行っては、初期の夢が破れ、形骸化し、作られた規則を遵守することに血道をあげるスタイルに変質してしまうことを繰り返してきた。それをとにかく続ければいいではないかと言われるかもしれないけれども、やったことのない(かもしれない)事業を立ち上げるというのは、時間がかかる。あのときはまだ、小生も風間くん(仮名)も膵臓ガンで死んだ上司も若く、やる気に満ちていた。変われるかもしれないと思えた。寝食を忘れて取り組めたのだ。

 

今、小生や風間くん(仮名)も老いた。老いたというには、若いと先輩方はいうかもしれない。ただ、さすがにそれは相対的なもので、先輩方も同じ年齢のときには同じくらいのやる気があったはずだ。けれども、今、そのやる気の機運が、後続の世代には現れない。働き方改革によって、ホワイトな業務改善が進行中で、家に帰ってどういう内容がいいか考えておいて明日聞きたいです、といっても、完全に切り替えちゃうので、確かにやる時間は無くなるよね。だから、こちらとしても、アイデアを練っておけと言っただろ、とは言えない。別に机に向かってやれと言ったのではなく、料理の合間、子育ての合間、風呂の合間に、動画を見る暇があったら考えておけ、と言いたいだけだったのだ(まあ大変なのはわかるから、別に意見がないからと言って何も言わないけれど)。

 

これが老害であるか。老害かもしれない。

 

電車の行き帰りのスキマ時間でもいい。

別に勤務中にずっとデスクに座ってろとは思わない。座ってるだけで何もやっていない、あるいはやるフリをしている人も結構いるからだ。外回りといって、サボってる人も普通に見るが、力を抜いていても、スキマ時間でささっと考え方をまとめて、いざという時にスッと出してくる方が、スマートじゃあないかしら。むしろそういう働き方でいい。

 

あ、ワイ老害定期、だね。

 




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