若干、日が短く感じられるようになったのは気のせいだろうか。とはいえ、日中は暑く、朝ランののち前かがみになったら、あばら骨がきしんで、呼吸をするだけで痛みが走るようになったので、安静にしていたのだけれども、さすがに出かけなくちゃとロキソニンを貼って、飲んで、歩いていった。
トイレで社会の窓を開けようとかがんだ時、かなりの痛みがまた走ったが、逆にその後は呼吸してもあまり痛くなくなったので、もしかしたらちょっと骨がずれていたのだろうか。まあ、詳細は分からないけれども、今は多少、落ち着いてきている。やっぱり湿布薬は必要なのだ。
さて、『ベンヤミンとパサージュ論』だけれども、最後の第三部に入った。長い。第三部は四章構成になっていて、順繰りに結論にたどりつく体のものではなく、個別に書かれた論文が配列されているものなので、ストーリーが本全体で組みあがっているわけではない。だから、ある意味で、結論部をそれぞれ、個別の杭として読んでいくことが求められる。
今日は、第三部の序の「1」だ。『パサージュ論』は、ベンヤミンが残した膨大な資料集だが、その束のうち「J」という記号のついたパートは、前章でみたように、ボードレールについて残された資料の束である。
この資料をもとに、ベンヤミンは、本格的に書こうとしたパサージュ論の「ミニチュア」をつくろうとした。1938年に秋にその中心部分が仕上げられ、それは「ボードレールにおける第二帝政期パリ」という論文に結実したのだが、それはお金を出してくれたフランクフルト社会学研究所には不評だった。
理由は、資料のモンタージュだけで、理論的視座がない、というものだ。
その意見を容れて書き直した論文は「ボードレールのいくつかのモティーフについて」である。これを社会学研究所は喜んで受け取った。
しかし、バック=モースは、最初に書かれた「第二帝政期パリ」こそ重要だと立場表明をする。ただ確かに、社会学研究所を代表して不備をしてきしたアドルノが言うように、理論的なものが欠けていたという。バック=モースの言い方を借りれば「理論的モルタル」がほとんどない状態で壁を作ろうとしていた、という。
1927年以降、ベンヤミンはパサージュ論と全く関係ないものを書いていない。むしろ、パサージュ論のための資料束から引用しつつ、様々な論考を書いている。パサージュ論は「歴史の記録の倉庫であり、理論的装備への供給源」であったというのがバック=モースの立ち位置である。
バタイユというと、巷ではエログロの人という印象があるが、パリの国会図書館でベンヤミンのパサージュ論をアーカイヴして守ってくれていた人物でもある。そのおかげで、これらベンヤミンの構想が、かすかであるが掴めるのだ。
というわけで、バック=モースはベンヤミンの完成されなかったパサージュ論と切り出されたボードレール論の関係を、次のように見ている。
ベンヤミンの言葉を信じれば、パサージュ論はいまだに彼の関心から外れていない。それは彼の主要な関心であって、ボードレールの本はパサージュ論の下に置かれ、その逆ではない。言いかえれば、研究所から「ボードレール本」を出すように要求されているなかで、ベンヤミンは新たな別名のもとで、パサージュ論の仕事を続けていたということだ。
ちょっと、最終的に何をバック=モースが言いたいのか、ちょっとわかりかねるところもあるのだが、一般的には
①パサージュ論=ボードレール論
②パサージュ論∈ボードレール論
③パサージュ論⊂ボードレール論
④パサージュ論∪ボードレール論
⑤パサージュ論∅ボードレール論
くらいの可能性が考えられて、①と⑤は違う、と。たぶん、一般的には、②くらいの関係が想定されるが、バック=モースは④が正しいと考えており、ボードレール論(A)と書かれざるパサージュ論(C)としたときに、A∩Cとなるのがパサージュ論の束に「ほかならないのだという立場だと読めた。
社会学研究所はとにかく、パサージュ論の理論的部分としてのボードレール論を要求していたけれども、ベンヤミンは、ボードレール論をパサージュ論の束から派生する一つの独立した論考として書こうとしていたのだ、と。だから、最初に生み出された「ボードレールにおける第二帝政期パリ」は、分岐する一つの可能性として、社会学研究所がみなすような失敗ではなく、むしろ「成功しすぎたことを示す証左」なのであると、バック=モースは主張している。
ざっと見る限り、「ボードレールにおける第二帝政期パリ」は、ブランキという組織化する職業的革命家と、ボードレールという無力な職業的革命家の二つのタイプを提示し、後者を無力だがきらめく存在として称揚しているようにみえる。敗北することこそが、次の時代をつくる礎になるのだ、というちょっと変な理屈もあるように思えた。
敗北というのは、社会に対する無力の中で、何かを幻視して、それらを形にするという行為で、それらが組織的抵抗にまで及ばないようなあり方だといえる。無力だが、それがいいのだ、という姿勢は、小生、ちょっとだけ共感する。