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働きながら本を読む・根源・単独者 〜『ベンヤミンとパサージュ論』を仕事しながら読む〜4

三宅香帆氏の『働いているとどうして本が読めなくなるのか』という新書の中で、「花束みたいな恋をした」の男性主人公を演じている菅田将暉氏が、学生時代は他者の尊敬に値するような難しい本を読んでたのに、就職して忙しくなった途端に自己啓発本とかスマホゲームに耽るようになり、女性主人公に軽蔑されるみたいなシーンの分析があった。

 

自己啓発本を読もうとしているところに、まだ男性主人公の抵抗が感じられるというのが小生の考えだが、世の中は本などハナから読まずにノンシャランとしている人がデフォルトであるから、ずいぶんと本好きの間で生きてこれて幸せだな、と思った次第である。

 

働きながらだと濫読はできないだろうが、まあ、小生程度にチマチマとスキマ時間に読み耽ることはできなくもない。ただ、それで事たれりとするかどうかで、三宅氏の場合は副業レベルの読書ができないから、会社をやめたということなのだろう。それはさすがにできないだろう。小生ですら、こんなチマチマ読みなのに、ときどき会議を忘れるくらいになってしまうことがあるから。

 

スーザン・バック=モース『ベンヤミンとパサージュ論』の第一章は「時間的根源」と題されている。ドイツ語がわからないし、ドイツ語での議論の用語の歴史がわからないから、ベンヤミンの『ドイツ悲劇の根源』の「根源」について書かれている引用の中で、「生起」と「根源」は違うと述べられている部分の意味内容がよくわからない。ただ、例えば赤ちゃんが生まれたということを「生起」として、赤ちゃんがいずれ大人になって老人になって「消滅」するんだとしたとき「生成と消滅の中から出現するもの[の生成の過程]を意味」するとは、生と死を包括する生命活動そのもの、ということなのだろうか。

 

どうでもいいけど、ベンヤミンは最初の妻とうまく行かなくなって、教授資格論文を書きに来たカプリ島でアーシャ・ラティスに出会う。このアーシャが、最終的にソ連までついていってストーカー化したベンヤミンを振って、ショックを与える女性である。

 

ベンヤミンは、まあやっぱり気性の激しい人だったのか、カントを攻撃し、ヘーゲルを軽蔑し、友人のゲルショム・ショーレムイスラエルいかない?って誘われても、ナショナリズムに懐疑的だったから、最後までヨーロッパに残って、結局難にあってしまった。彼は、集団行動も苦手だったから、党の活動に献身的なアーシャに学びながらも、なんとなく活動自体は拒否していた。

 

ベンヤミンが90年代にちょっと流行ったというのも、党派的政治性みたいなものに嫌気が差したけど、一方で正義はなんとなく到来させたいみたいな雰囲気の中で、集団行動とナショナリズムから距離をとった単独者的イメージの強いベンヤミンが好まれたということもあるだろう。メシア的解決は、本当に解決できるのかどうかは知らんが。そしてまあ、暗くなっていく時代の中で、なんとか爪痕を残そうとしたベンヤミンに、小生の同級生だった進次郎さん(三浪してたから、なぜか「さん」付けだった)などは、強く共感していたんだろう。進次郎さんはいったい今何をしているのか。

 

(今日の部分は、『ベンヤミンとパサージュ論』の第一章の1、の内容に即しています)

 

 

 




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