2025年10月11日(土)14:00公演
東京文化会館 大ホール
ウィーン国立歌劇場2025年日本公演

お世話になっております。
三島でございます。
この日は絶賛来日中のオーストリアからのお客様、ウィーン国立歌劇場の公演を見に(聞きに)上野にお出かけ致しました。
東京文化会館工事前最後の大型来日公演(らしい)とのことでNBSさまが全力で盛り上げております。
そんなNBSさまとは裏腹に発表登場とてもテンションが上がったものの待っている間に心が離れていき「行かなくてもいいかな?」と思いながら当日を迎えました。発表時やチケット購入時が楽しさのピークなのは病気ですか?
本来日公演は2演目で構成されておりこの日は1演目目、モーツァルト先生の『フィガロの結婚』です。
モーツァルト作品がちゃんと歌える人が結局一番強い説が私の中でございまして。ロッシーニ先生で転がるのもワーグナー先生で強靭な喉をご披露いただくのも素晴らしいのですが結局モーツァルトが一番大変だわ、と思っております。モーツァルト作品は基礎能力テストのようだと思っていて「基礎できてますか?」と問われているようで怖い。
なんの前置きだかわからなくなってきたので感想いってみよー。
(以下敬称略。)
フィガロの結婚って面白いんだよ?
大変申し訳ないのですが、この日の感想を一言でまとめるなら「そんなものか」です。もちろんホームから離れての公演なので100%でもないだろうし通常運転でないのも承知ですが残念ながら大きな感動も逆に怒りもなく普通だなあ、思った。完成度が低かったわけではないのでオペラ的なオペラ(?)を求めている人からすると歌の上手な人たちが歌って無事終わったということで良いかもしれませんが、ヨーロッパの歌劇場の来日公演なのでこれでもかというくらいの特別さを求めてしまいます。
上記のように思った一番大きな原因は「お芝居としての面白さの欠如」です。
『フィガロの結婚』は原作(戯曲)からすでに面白くてそれをモーツァルト(とダ・ポンテ)が上手にオペラにしているので上演する側がその面白さを舞台上に持っていかないわけにはいきません。しかし終始物語がのっぺりしており物語の面白さや仕掛けが伝わらずに終わってしまいました。スザンナ(カタリナ・コンラディ)はよく動けるので見ていてとても立体的でよかったし可愛かったのですがフィガロ(リッカルド・ファッシ)が控えめなので物語が動かない。かといって特別お歌が上手なわけでもなく低い声は出るけれど中身がない歌唱だった。
フィガロが先頭に立たなくては誰も動けない。あなたが物語を動かすのよ。2幕のフィガロが伯爵夫人の部屋に入ってくるところ(”Signori, di fuori〜”)や3幕の母親発覚の場面も「そういうお歌なんだねー」くらいで終わってしまった。字幕があるので笑いはおきますがそこで補わないと何も伝わらなそうです。もっと面白い場面なのになあと思いながら見ていた。
2幕のフィガロが登場する前のスザンナ・伯爵・伯爵夫人の三重唱はもっと緊迫してほしいし緊迫しているからこそのスザンナが現れたことへの驚きにつながると思うのです。その後の伯爵が許しを乞う”Rosina!”と伯爵夫人の”Crudele! “もそのまま歌っているのでなぜにCrudele! なのか伝わらないよ。4幕でフィガロがスザンナだということに気づくのももっと嬉しそうに歌ってくれよ。大事な部分じゃないですか。1曲の中で何が起きているのかをもっと舞台上で見せて欲しかったです。全部アリアじゃないんだから。
演出はスマートフォンも登場するくらい現代に置き換えているのですが台本に書いてあることをそのままにしている部分もあり好感を持てました。最初の扉の舞台装置が伯爵の部屋への扉と伯爵夫人の部屋への扉というのがわかりやすく示されているのが良いですよね。この前提から話が始まるわけで。この設定を舞台上で見せなくてもできるのですが大事だよね、と改めて思った。
ケルビーノが興味を示し(持ち帰る)リボンが歌詞だけではなく実物が出てきたり手紙の封がピンだったりと。現代なのにピンで手紙で?ってツッコミはできるけれど。そもそもメールで良くね?ともなる。マルチェリーナとスザンナの二重唱も変な戦い方をせずに台本のようにシンプルにやっていたのは良い。でも洗剤スプレーみたいのをマルチェリーナに向けて吹きかけていたか。普通に危ないよね。
音楽的な?
歌手の感想は後で書くので全体的な音楽の感想をちょっとだけ。
歌手とオーケストラが合わない!オーケストラの演奏は下手ではないのですが他人行儀じゃないですか?歌手とオーケストラに壁を感じるのですが私が一・体・感みたいなオペラ作品が好きだからそう感じるだけ?
序曲はよかったです。テンポは普通。若干早めと思えなくもない。出だしから数小節は休符にプライドを感じ正確に休符を取ることを大事にされておりました。これがキレよくて好みでした。後半の弦楽器が下降音型の低音部分の音が厚いのね。素早く降りてきて終わりではなく降りてきた音でも聞かせるのがかっこいい。
全体を通して気になったのは歌が早くなってしまってオーケストラと合わなくなってしまったことが多々あることです。絶対合わなくなると思っていた2幕の”Aprite presto aprite〜”、3幕伯爵夫人のアリアの後半部分、そして4幕の”Pace pace mio dolce tesoro〜”とはっきり覚えているだけでも三箇所あります。モーツァルト作品だとテンポのズレがわかりやすい。ズレること自体はしょうがないことですので受け止めますがテンポが合わなくなってしまっただけではなくそもそもオーケストラの演奏と噛み合ってないからこういうことが起きるのでは?と思ってしまいました。
歌手の話
歌手の話をちょっとだけ書いて終わります。
9月末にキャスト変更の発表がありアンドレ・シュエンが来日不可でダヴィデ・ルチアーノが伯爵を演じました。全ての歌手の中でルチアーノが1番声量があり響きも安定しておりルチアーノだけが期待値を上回ってきてくれました。
言葉の発音が前でイタリア語も一番聞き取りやすかったです。特別ここが良かったなどは上げれないのですが、モーツァルトを歌う上でここが悪かったが存在しないことがそもそも素晴らしいのでないでしょうか。強いて言えばもう少し丁寧にお願いしてもいいかもしれない。若干の雑さはあった。
派手に成功をアピールできないけれど少しでも上手くいかないと一気にドーンだから大変だよね。4幕前に入ってきた合唱の人たちと踊ってる伯爵がすごく面白かったです。めっちゃディスコしてたわ。
スザンナ役もイン・ファンからカタリナ・コンラディに変更あり。コンラディのスザンナはまさにスザンナで機敏に動くし表情豊かだしで見ていて楽しかった。伯爵夫人の格好をして出てきたあたりからエネルギー切れを感じ始めたけれど4幕のお歌(”Deh vieni〜”)はとても丁寧だったし低音を投げ捨てることなくコントロールして歌っていたのがよかった。にしても出番も多いよね。
ケルビーノ(パトリツィア・ノルツ)が登場したときマルチェリーナ2かと思った。女じゃん。そういう設定なの?ジェンダーなんとか?ポリコレなんとか?
伯爵夫人のハンナ=エリザベット・ミュラーは素敵だなと思う歌手の一人でしたがこの公演ではCDで聞いていた方がいいかもしれない。イタリア語なのが良くなかったかな。ドイツ語で歌ってもらっていいですか?思っていたより声が小さく響きも低い。重唱になると声が消えてしまう。演出的に伯爵夫人としての立場を失っているのかな。かなりやつれているように見えた。それに伴いお歌も弱めだったのか?伴っていいものなのか?3幕の”Dove sono〜”はぶっ飛ばして歌っておりこの歌だけは声量もあったしパワーもあった。ただ1回目と2回目の変化はわからなかったなあ。
マルチェリーナやバルトロなどその他の役がモブ感でてしまったのが悲しいな。この作品ってそれぞれに見せ場が与えられていて(カットされてるけど)モブがいないはずなのでその自負を持ちしっかり歌ってほしい!
以上です。
何が言いたいかというと、
ばらの騎士大丈夫そ?
ってことです。