2025年4月26日(土)14:00公演
テアトロ・ジーリオ・ショウワ
藤原歌劇団公演 Teatro OPERA Collection
シャルル・グノー作曲
ロメオとジュリエット

お世話になっております。
三島でございます。
この日はオペラ公演に参りました。
藤原歌劇団でグノーの作品と言えば2024年1月に公演された『歌えないファウスト』を思い出しますね。苦い思い出に蓋をせず再び同じ作曲家に挑戦する度胸は褒めて讃えます。
本公演お目当てはテノールの清水徹太郎さんでございましたが、4月の頭にキャスト変更が発表され清水さんは降りてしまいました。急病により治療に専念するとのことです。清水さんの出演以外に行く理由がなかったのでどうしようか考えましたがチケット手元にあるのでとりあえず行きました。気が変わったらいつでも引き返すつもりで電車に乗りましたが無事気が変わらずに到着しました。清水さんのお帰りを待っています。
劇場ロビーで元気に挨拶をする総監督がいらっしゃらないなと思ったら退任されたのですね。関係者、一般人を問わずに総監督自らが直々に「いらっしゃいませ!」と大きな声でご挨拶されるの藤原歌劇団の唯一の推せるポイントでした。ともあれお疲れ様でございました。新任の方もぜひ大声挨拶を引き継いでいただきたいです。
それでは感想言ってみよう。
(以下敬称略。)
全体的に
過去に何度か見ている藤原歌劇団の公演の中では1番出来が良かったかなと思います。細かいところを見だしたらキリがありませんが絶望的に動けない人も歌えない人もいなかった。個々のオペラ歌手度合いは置いておいて全体的な完成度は過去に比べれば高かったです。
セミ・ステージ形式ということで合唱団を舞台後方の高いところに配置し衣装も着ず(黒の上下)照明もそこまで当たらずでいつもの『俺の声飛ばし大会』が開催されにくい環境づくりが良いと思いました。棒立ち歌唱が嫌でも全体の声にまとまりをだし個々の悪目立ちを軽減させてくれました。本人たちは寂しいでしょうけれど客席から聞いている分にはこちらの方が落ち着きます。
ソリストも動ける範囲が狭いのでフルステージ(というのか?)よりも余裕を感じます。しかしソリストと同じ高さの舞台に群衆がいないことによる寂しさはありました。パーティーなのに極端に参加者少ないみたいな。でも台本は大勢いる程で書いてあるのでちょっと滑稽でしたね。
イタリアの匂い
おそらく私はフランスオペラを見ていたのですがどこからか香るイタリアの匂い。そしてベルカント商法の匂い。フランスオペラといえど舞台設定はイタリアなので間違ってはいないのですが。なんか違くね!?
おフランスの香りがしないことの原因はフランス語の美しさを感じにくい発音にあるのかなと思います。流れるような美しさがなく直球で言葉が出てくる。くっきりはっきりしているのは良いのですがフランス語ってもっと丸くね?母音の明るさに重点をおいているような声がフランス語の響きとは異なる気がしました。永遠のフランス語初学者なので(そろそろ進級したい)漠然とした印象です。イタリア古典歌曲を歌うみたいに歌っているなあと。なのでベルカント商法の匂いもするなあ。
歌手について
期待の清水がおらずロメオはどうすれば良いのだと思っていましたが代わりに起用された渡辺康がよかったです。イタリアで10年ほどお勉強されていたとのこと(プロフィールより)ですが一番フランス語の音が丸かった。柔らかい言葉とキンキンしない声が素敵です。清水に期待しておりましたが同じくらい満足できたと思います。あくまで推定ですが。最終幕では若干疲れが見えて高音の硬さと浅さが気になりました。代役というバイアスがかかった感想ですので次回は本役起用の際に見てみたいです。
ジュリエットの光岡暁恵はとてもベルカント商法です。細かい音型のスムーズさは心から拍手ができます。ポジションを動かさすにスピード感のある転がし方で軽々と歌い切るのでマジで恐れ多いです。素晴らしいですね。ただ大変申し訳ないのですが素晴らしいと思ったのはこの点のみです。1幕のジュリエットのお歌はみんな大好きだし漏れなく私も大好きなのです。なので期待値があがっておりましたがそんなもんだよねという感想です。息継ぎのボリュームが大きく水泳選手みたいだった。後半の4回同じ音型を繰り返す部分は(高いラから始まるやつ)2回目3回目とだんだん音程が下がってしまった。同じ音に戻るのって難しいよね。最終幕の泣き方が歌っているときと声質が全然異なり目立つ。嗚咽あげているみたいだった。声にしなくて良いでしょう。
やっぱり平面
劇場で見ているのに立体感がない。感情がないなと思いました。いっそのこと第九形式で公演してもらった方が良い。こちらだとお芝居しているのに中身がなくても気にならない。楽譜があってその通りに行う必要があるのでアドリブで何かやれとか結末を変えろなどとは言わないし思ってもいないですよ。が、しかし進行も結末も決まっていても乗っかってくるものはあるでしょう。順番が来たら歌って終わったら帰って稽古した通りにチャンバラごっこしてという感じです。指導者は教えた通りにやってくれるので嬉しいかもしれないけれど「言われた通り」「書いてある通り」が見えたらダメじゃないのか?オペラだけれどお芝居としての面白さがほしいものです。
舞台上に若さがないのが気になった。ロメオ御一行とジュリエットは若さがほしい。何も考えずに自分の見えたものだけに突き進む若さと危うさを見せてほしかった。若作りしろって話じゃないよ。見た目の話ではないよ。スピっちゃうけど魂レベルで若くあれってことです。
ロミジュリミュージカル版(ジェラール・プレスギュルヴィック作曲)が大好きな私からするとオペラでティバルトとパリスが普通に話しているのが新鮮です。ミュージカル版はティバルトがジュリエットガチ恋勢なのでパリス君のこと大嫌いだからミュージカル版みたあとだと余計に面白いです。
それにしても致命傷(もしくは服毒)から死ぬまでが長いよね。舞台作品あるあるだけど現実的ではない表現が面白く感じるときとそうでないときの差がある。ナラボートくん(『サロメ』より)やレンスキーくん(『エフゲニー・オネーギン』より)のようにサクッと旅立ってほしいのが本音。サクッといかないのであればその時間の大切さがわかる音楽表現がないといけないのだろうなあ。終わってしまうのが惜しいと思いたい。
以上です。
須藤慎吾さんがジェルモンを歌うそうなのでその日に行きたいです。