2024年10月27日(日)14:00公演
東京文化会館大ホール
Tokyo Opera Days 2024
ボン歌劇場との共同制作
東京二期会オペラ劇場
フーゴ・フォン・ホフマンスタール台本
リヒャルト・シュトラウス作曲

お世話になっております。
三島でございます。
この日は愛するリヒャルト・シュトラウスおじいちゃんのオペラを見に上野に行きました。
とにかく人が多い上野駅周辺。コロナ禍中の閑散具合を懐古。
二期会さんの演奏技術のレベルに疑問を抱くことはありますが公演演目が挑戦的であるところは新国立劇場や藤原歌劇団よりも推せます。決してベルカント商法だけでやり過ごさない。
初日前から演出上の良くないお話を小耳に挟みつつ先入観のない状態で見たかったので演出に対しては下調べはしませんでした。純粋なる初見です。
それでは感想いってみよー。
(以下敬称略)
面白かった
演出から触れていくのが妥当かと思うので演出のお話をします。内容について詳しく説明できるほど理解したわけでも関係者にインタビューをしたわけでもないので解説はできません。私がどう感じたのかを書きます。
まず、とんでも演出でありとんでも構成であったことには間違いないです。偽りなき事実です。ギャング設定、順番入れ替え、大胆カット、歌詞変更、日本語セリフなどフルアイテム装備でペーター・コンヴィチュニーはやってきました。
納得したわけでも褒め称えるわけでもないけれど「どうだった?」と聞かれたらと「面白かった」と答えます。新国ボリス君、二期会カルロ君に続くとんでも演出でしたがこの2つよりかは楽しめたし面白かった。終幕後にブーイングがありましたが私はそちら側には行けずにずっと拍手してました。
血や生首は出てこないものの試験管ベイビーを想像させる研究所や子作り芝居、出産芝居などは可愛げのあるグロテスク。「そっち系がやりやいのねー」程度。刺さる人には刺さるのだろうけれど私は大丈夫だった。
突然のホルマリン漬け(ではないのかも?)ベイビーも突然の出産も意図が完璧に理解できないけれど全体的にしっちゃかめっちゃかなので意味とか考えずに面白要素として捉えてた。
そう興味深いのではなく浅はかな面白さが全体的に存在していた。演出の意図ではない楽しみ方をしていた自覚はある。どの場面でも芝居で何を示したいのか設定を変更した意図は何なのかを舞台上から教えてもらうことはできませんでした。ただ、必死になっている登場人物全員が面白かったです。
感想が面白かっただけで終わりそうなので私が許容できた理由を3点書きます。
①とにかく音楽を守り切った
とんでも演出を成功させたい場合は音楽の安定と質の高さが重要です。歌手を除いた音楽面の感想になりますが指揮者のアレホ・ペレスが見事に音楽を守り切りました。とんでも演出に引っ張られずしっかりとした音楽作りがされていました。オーケストラの皆さんもシュトラウスの書いた過労譜面に置いていかれることなく的確で丁寧な仕事をしているように感じました。
全体的に音の鳴りが良く、フォルテフォルテの部分のオーケストラの音の厚さは気持ちよかったですし弦のみでの演奏は緊張感があり劇場を音が支配しているような感覚になりました。終幕間際の演奏は音が爆発しており楽しくてニヤニヤしてしまった。シュトラウス作品を劇場で聞くときは一回くらいニヤニヤしたいのです。
序曲こそないもののオーケストラの役割が大きく、大事なことを表現したいような部分では歌わせるのではなくオーケストラに全面的に任せている印象があるので演奏がしっかりしていて本当に助かりました。ありがとうございました。
②元々の設定がはっきりしていない
『魔笛』『魔笛』(モーツァルト作曲)言ってますけど演出上の自由度に関しては『コジ・ファン・トゥッテ』(モーツァルト作曲)寄りですよね。史実に基づいているわけでもないし元の設定の細かさもそこまでない。『コジ・ファン・トゥッテ』ほどわかりやすい設定でないのが問題点ですがでも現実味が薄い世界だからこそ自由にできますよね。変な設定追加しても違和感を感じにくい。少なくとも新国ボリス君よりかはね。「黄金の水カットなの?」「皇帝っていうニックネームどうよ?」とかツッコミどころは多いですがまあ新国ボリス君よりかは受け入れやすかった。新国ボリス君見て強くなった私はいけた。ありがとう新国。
③振り切りすぎてて面白かった
チラシやポスターには作品名の上にご丁寧に「コンヴィチュニーの」と明記しております。つまり普通じゃないことを教えてくれています。親切な二期会。良心的な二期会。先に告知してくれるのはいいですね。看板に偽りありが横行している世界なのに。コンヴィチュニーが演出したのではなく『影のない女』をコンヴィチュニーが再形成した作品の公演だという意味に捉えております。「そもそもそういうことやっていいの?」という気持ちもありつつ明記してくれているのはありがたい。
「オレ色に染めてやる」という感じで申し訳ないけれど元の設定や音楽に対するリスペクトは感じなかった。1ミリも感じなかった。でも逆に振り切れてて面白いなあと思いました。シュトラウス好きとしては怒らなければならないのですが行き過ぎてると受け入れちゃいますね。下手にリスペクトされるより「シュトラウス?知らねえ?」くらいのお気持ち演出が面白かった。『影のない女の2次創作』で良い?
以上の3点により私は楽しめました。①の割合が大きいのでもし音楽までもはちゃめちゃになっていたら残り2点があろうともブーイング組にいましたが。演奏は安定していたので楽しめました。
劇場内では「演出がわからない」「場面の繋がりがわからない」「登場人物の繋がりがわからない」という声が聞こえてきました。話や登場人物の繋がりのがわかりにくさは元からわかりにくいのでどうしようもない。ごめんね。ただ、シュトラウスの音楽を味わってもらうためには、それ以外でも珍しい演目の上演ではわかりやすいもの且つ王道なもので客席を置いていかないでほしかった。
殺されたけれど音楽を生かしていたソプラノ
ソプラノ2人が素晴らしかったです。シュトラウスのオペラ作品で良いソプラノに出会えるのは本当に嬉しい。そして両名とも日本人というもの嬉しい。とんでも演出のおかげで芝居の比重が大きいなか素晴らしい声を届けてくれました。喉の疲れを感じさせることなく全幕を完走した姿には拍手だけでは足りない。でもそれ以外の方法を知らない。課金か?
田崎尚美の歌は何度か聞いている。みなとみらいの『サロメ』(シュトラウス作曲)では良い印象は持たなかったがその後の日生劇場『マクベス』(ヴェルディ作曲)のマクベス夫人は素晴らしかったのが記憶に新しい。
そして今回も良い印象。オーケストラにほぼ負けない強い声と細くならずに出せる張りのある高音。かと思ったら乳母(時にセラピスト)より綺麗に響く低音。迷いがない発声と常に空いている口の中。とんでも演出に惑わせれることなく歌いあげる度胸。完全に主役でした。
日本語のセリフもとても美しい声と発音でした。棒読みでもないけれど過剰でもない抑揚の付け方と聞き取りやすい言葉はありがたい。会話相手のバラクの言葉がはっきりせずモゴモゴする箇所があったので余計に田崎の発音の美しさが印象に残った。ちなみに私はオペラ原語上演の中で日本語で話す演出は苦手ですが今回はそれも気にならないレベルでした。違和感が仕事しない。
ドイツ語で1番好きだったのは1幕の”Dritthalb Jahr〜”の部分です。特別発音が良いのではないのすが感情が上手に乗っかっており特に”nicht”の部分を強調するために若干主張強めに発音するのが素敵でした。
ショッキングピンクのタオルを頭に巻きその隙間から見える髪色は金。渋い顔をしながらネイルを手入れする姿はとってもギャル。複数のサロンを経営しているような風格があった。演出の意図にはない印象ですよもちろん。
渡邊仁美の高音の上げ方には感動しっぱなしでした。上げ方が軽い。響きも軽い。でも掻き消されない。芯のある軽さと柔らかい声が素敵でした。よく弾むボールのようにポーンと上がってくる高音とキラキラした響きに台本にある方の皇后の純粋さを感じた。歌う場面が少なめだったのでもっと聞いてみたいなというのが素直な感想です。
男性陣がんばれ
男性陣は素晴らしいと感じた人はいなかった。皇帝役の樋口達哉は終始シャウトしておりドイツ語もひらがなのような発音だった。バラク役の河野鉄平は奥まった発声で歌っているように聞こえ、前に出てこない声がひたすら聞き取り辛かった。言葉ももちろんはっきりしない。田崎と渡邊以外はオーケストラに掻き消されることが多かった。私も聞き取るのを諦めた。ごめん。
ヒールの高さ
お芝居担当というかビジュアル担当の女性2人(歌わない)は9cm以上はありそうなピンヒールを履いていましたが歌手は5cmくらいの太いヒールのパンプスを履いていました。ヒールは高く細い方が足が綺麗に見えるなあと思いました。でもピンヒールは歌いにくよね。体を支えられるのか問題が発生する。
以上です。
「また見たいですか?」と聞かれたら悩むけれど(即否定はしないけれど)良い経験になった。
ソプラノ2人とオーケストラが素晴らしかったのは事実でありそこにはシュトラウスの音楽があった。
なのでそれなりに満足。
この演出(というか作品)の擁護はしないけれど否定もしない。シュトラウスでやるなよと思いつつシュトラウスで良かったんだろう。
次回公演のポスターおしゃれだね。

おしまい。