2024年10月3日(金)18:30公演
新国立劇場オペラパレス
夢遊病の女
お世話になっております。
三島でございます。

新国立劇場新シーズン開幕おめでとうございます。
今年も夢と希望と笑いと絶望をお届けしてください。
新シーズンのラインアップについて別投稿をしようと思ってますが対して書くことがないので困っている。まあいいや。
シーズン開幕演目はベルカントオペラの『夢遊病の女』です。開幕にベルカントオペラなんてさぞベルカント商法の方が喜んでいるでしょう。何よりです。
それでは感想いってみよー。
(以下基本的に敬称略)
まず、
この日はカーテンコール中にエルヴィーノ役のアントニーノ・シラグーザ誕生日のお祝いがありました。10月5日がお誕生日だそうです。おめでとうございました。
お通夜ベルカント
新制作の演出はハッピーオペラに仕上げずアミーナの孤独や不安定さにフォーカスしたものになっておりました。「アミーナはが幸せになれるわけなくない?」(超要約)というのがテーマの演出だそうです。(プログラムより)
発想自体は悪くないけれど今更感がある。そんなこと全員知っている。見終わった後「アミーナ!仲直りできてよかったね!これから幸せだね!」とはならないでしょう。ハッピーに終わることを現実世界から生暖かく見守っているのだ。可哀想で不幸なことは知っているのだ。それをわざわざ演出として表に出す必要はあるのか?演出として描いてしまうことで面白さがなくなっているように感じた。新制作なのにわかっていることを永遠と描かれることは退屈だった。終幕暗転前にアミーナが屋根から飛び降りたのが見えました。飛び降りた後その他大勢はアミーナを助けたのかそれとも放置したのかは聴衆に委ねられました。安直だなと思いました。
合唱団が血色のない化粧に動き少なめでいつもの興味深い動きを披露する時間がなかったのは寂しかったです。視線の動かし方がいつもより気になりました。顔に色がなく不気味なのにときどき素に戻っているように見える人がいた。よそ見しているのが目立ちます。芝居じゃないと言い切れます。新国合唱団は歌以外を頑張ってくれ。客席からは結構見えております。
ダンスタイムについて
1幕も2幕も幕が開いた直後に無音でのダンスタイムがありました。よくある演出だと思います。しかし作曲家がつくった音楽の中で進行・表現していくのがオペラなのではなかったのか?そういう話だったじゃん。勝手にダンスタイムを組み込むのはルール違反にあたるのではないでしょうか。踊りたいなら音楽の中で踊る必要があった。それがオペラなのでしょう?そういう話だったじゃん。(2回目)
カンフーの動きを見ているみたいだった。カンフー風ダンス。そして呼吸音がうるさい。何を聞かされてるのかそして何を見せられているのかわからない。いや、わかるよ。わかる。わかる。アミーナの内面(もしくは夢の中)を表現しているのでしょう。アミーナの心は暗い暗い森の中ってことなんでしょう。でも踊りそのもののが気になってしまってオペラに集中できない。日本人が踊ることを想定して作られていない振付なのでしょうか。日本人体型との相性の悪さを感じた。手先や足先が力むことによって全てが短く見えた。
過去イチよかった妻屋さん
日本を代表するバス歌手の妻屋秀和がロドルフォ伯爵役にて登場。日本を代表するバス歌手って他に誰かいるのか?知名度と定期的にオペラ全幕公演に出演している様子を見るに一強状態ではないかと思っております。
初めて聞いた時からコロナ禍までは妻屋に対して良い印象しかなく配役に妻屋がいると安心感がありましたが、新国『イオランタ』(チャイコフスキー作曲)でのルネ王や新国『ばらの騎士』(R.シュトラウス作曲)でのオックス男爵などを見てだんだんと印象が変わりました。悪い方向に。声は低いが深み足りないな。意外とお芝居できないな。今まで良い印象だったのは大きい役ではなかったからかな。なんて思っておりました。
しかし今回のロドルフォ伯爵は素晴らしかった。歌声の安定感も舞台上での存在感も良かったです。声に芯がありバス歌手らしくドンと構えたような歌声には安定感がありました。一本調子であることは変わらないけれど動きまわり感情を揺さぶりまくるような役でもないので気になりませんでした。むしろ伯爵という立場ある人の揺るがない姿みたいに捉えることができた。
芝居要素が少なめなので歌に集中できたのも大きそう。意外とベルカントオペラが合うのですね。これからも劇場で見る機会は多そうですがこの日の印象を保ちたいです。
来日歌手2名
アミーナを歌ったクラウディア・ムスキオはクセのないまっすぐ透き通った声でこれぞベルカントオペラの声というような印象を受けました。声量は無いものの響きが安定しているので、基本的に声が届かないことはありませんでした。ただオーケストラにかき消されてしまう部分がなかったといえば嘘になるので響きの質を磨いていってほしいなと思います。歌声からはイタリア人の印象を受けなかったです。
1幕の見せ場である“Come per me sereno〜”は良い仕上がりでした。細かい音を的確に処理しピアニッシモも度々活用。観劇中に技量に驚く瞬間が1回でもあってよかったです。細かい音型が見せ場のオペラだということはわかっておりますがムスキオの中音域を歌うときに声が太くなり豊かに響くのがお気に入りです。高音で転がせても中音域は響かないしそもそも声が出ていないみたいなことが起きないのが良いなと思いました。ベルカントオペラ以外でも歌っていける声だという片鱗を見た(聞いた)。
細かい音型を歌っているときに口周りがどのようになっているかをよくみておくことは大事ですね。ムスキオ含め音を綺麗に転がせる人の口周りはほぼ動かないですね。舞台上でやってもらえると有意義な再確認になります。
2幕の見せ場は緊張感のなさが気になりました。これは演出なのか?技量にも圧倒されず音は綺麗に転がっているけれど面白みがなかった。1幕の完成度が高かったので超えてきてほしかったです。ムスキオはまだまだ伸びしろを感じる声でしたので何年後かにまた聞いてみたいです。また来てください。
エルヴィーノ役の大スター(新国HPより)シラグーザもイタリア人。母国語がイタリア語の人に求めたい母音の明るさはある。口の中の空間を十分の感じる声だった。しかしその広い空間をコントロールできておらず声がブレるなあと思っていたら1幕が終わった。高音の上げ方はロックスターのようで声は出ているけれど中音域と高音域が繋がっていないどころかジャンルが変わっている。オペラじゃなかったらアリなのですが、残念ながらオペラなのでいただけない。2幕は調子が上がってきて声の焦点も集まっていた。お芝居の方向が定まっている(アミーナを攻撃する)ので自ずとと声も定まるのかな。
リーザちゃん
1幕の最初の歌唱は危なっかしく浅い発声と固い声が気になりましたが進むにつれて良い方向に行きました。音が細かくなく伸びやかに歌える部分はムスキオと並んでも大きな差はなかった。素晴らしいことですね。日本人だから欧米人だからという物事の見方は避けたいところですが声楽と呼ばれるものの範疇では難しいです。なので私は使っていますし使っていきます。
細かい音型になるとムスキオとの違いがありました。イメージでのはなしになりますがムスキオはボールを同じ位置・高さ・強さでバウンドさせているように感じるのに対して伊藤晴は縦横斜め様々な方向にボールが打ちつけれているように感じました。一音一音が均等ではなかったということです。小さい悲鳴みたいに聞こえる音もあった。均等って難しいね。
以上です。
新出を成功させたいなら完璧な歌手とオーケストラが必要です。演出が挑戦的なら歌手に支えてもらいましょう。共に挑戦すると共倒れです。新国ボリスくんのように。私は質が高ければなんでもOK派なのでとんでも読み替え演出も個人の思想広げまくり演出でも構いません。質さ高ければ。この演出は攻めている演出でも拡大解釈すぎる演出でもありません。変なことをするわけではないけれど表面に描きすぎるあまり面白みが出ないといったところでした。でも今の時代は何でも教えてあげて全部説明してあげるのが当たり前だから合う人は多いのかもなあ。
おしまい。
指揮:マウリツィオ・ベニーニ
演出:バルバラ・リュック
美術:クリストフ・ヘッツァー
衣裳:クララ・ペルッフォ
照明:ウルス・シェーネバウム
振付:イラッツェ・アンサ、イガール・バコヴィッチ
演出補:アンナ・ポンセ
舞台監督:髙橋尚史
ロドルフォ伯爵:妻屋秀和
テレーザ:谷口睦美
アミーナ:クラウディア・ムスキオ
エルヴィーノ:アントニーノ・シラグーザ
リーザ:伊藤晴
アレッシオ:近藤圭
公証人:渡辺正親
合 唱:新国立劇場合唱団
共同制作:テアトロ・レアル リセウ大劇場 パレルモ・マッシモ劇場