2024年9月22日(日)14:00公演
笛田博昭・上江隼人 デュオ・リサイタル

お世話になっております。
三島でございます。
この日は紀尾井ホールでテノールとバリトンのディオリサイタルに出かけました。
紀尾井ホール久しぶり!アクセス悪いね!駅から遠くて健康的だ!
それでは感想いってみよー。
(以下基本的に敬称略。)
とりあえず
私はピアニスト(河原忠之)が演奏中に喋りだした(歌い出した?)ときにどうしていいかわからないほど興ざめをしてしまいましたがこれは何か効果があったのでしょうか?
河原のファンが多く好意的に捉えてくれる人が多い(全員?)ような雰囲気でしたが、残念ながら私は良いように捉えられませんでした。いきなり「あべまりあ」だの「ばっちょあんこーら」など言われても。いやこの後じゃん?それでいいじゃん?なぜあなたなの?と思ってしまいました。気分が高揚して喋り出しちゃったのかな?
何がどう効果的だだったのか?教えてください。お願いします。
トニオ&マラテスタ
上江隼人は新国立劇場公演『ドン・パスクワーレ』でマラテスタ歌ったときの記憶があります。まだ覚えています。外国人歌手と並んでも何も気にならない歌声と明瞭なイタリア語の発音は聞いていて気持ちよかったです。
この公演で良かった印象が悪い方向に後退することはなくマラテスタのようなファニーな役でなくでもいけるんだなと知ることができました。
言葉が多く早口のような歌詞でも言葉捌きが大変に美しい。ただ読んでいるだけ、早口言葉大会に参加しているだけにならないのが素晴らしいです。音楽の流れを保ちつつでも言葉は流さずはっきりしている。歌だけれど喋るような歌い方はとても素敵です。上江の声は響きが綺麗に残っており歌い終わった後の余韻が美しかったです。他の歌手たちにはなかった。
変な声の出し方や大きな崩れもなく終始落ち着いて聞くことができました。余裕のある歌い方なのでこちらも余裕を持って音楽を楽しめます。上で書いた通りイタリア語の捌きと細かい音型を的確にこなしていくことはお得意のようですが、歌詞が少なくゆったりと音楽の流れを形成することを求められるような部分には惜しさがありました。前半は声は出ているし綺麗に歌っているように聞こえますがイマイチ伸びがなく硬さも感じました。後半にいくにつれてどんどん声も伸びるようになったので最初からその感じでお願いしたい。
上江のマラテスタにまた会えたことが嬉しい。新国ではお化粧がとても濃かったのですがこの日はお化粧の濃さを気にすることなく歌を楽しめました。大きい劇場だからしょうがないのだろうけれど新国って化粧濃いよね。
リゴレットとスパラフチーレ
上江のリゴレット見てみたい聞いてみたいと思わせてくれるリゴレットの歌唱でした。
ちなみに来月公演があるそうです。
予定がつきそうにないので私はお見送りします。見たかった。
前半に比べて声の伸びが出てきたので早口言葉でなくても歌えるということがわかりました。上江の歌唱は中身があるので聞いていて楽しいです。リゴレットの内面の不安定さを声を安定させたまま表現しておりました。音楽の正確さと感情表現を両立できないとオペラ歌手として成立しないのでしょうけれど両立できている人は少ないよね。最後にお家に着いたことを表現する表情がまたよかったです。大切な娘がいるお家に帰ってきたのだなと。
早口でイタリア語を捌いている歌い方の方が言葉に意味が乗っかっているように聞こえたのでたっぷり歌うときも言葉が際立てば面白いのになと思いました。
スパラフチーレを歌った田中大揮(助演)は声が一本調子の人でした。良い声をお持ちなのはわかるのですが音や言葉に深さがないです。一つ一つの母音が浅くなり上っ面なイタリア語の発音と歌唱になっておりました。最後の最低音の部分はもっと響かせてくると思いましたがギリ聞こえるレベルだったのは意外でした。低い声をバリバリ出しそうな声をしているのに。逆にその少し前の高音は綺麗に柔らかく響いておりました。完全なるバス歌手だと思っていましたがこの歌だけで判断すると「バス?」となりそうです。
イタリアの輝きとは?
プロフィールに「イタリアの輝きをもつ〜」と書いてあるのでぜひその「イタリアの輝き」の定義についてお伺いしたいところ。補足はないので勝手に解釈させていただきますが、私の思うイタリアの輝きとは①明るい母音②明瞭な発音③天井を感じさせない響きだと思っております。笛田にこの3つがあったのか?残念ながらどれも感じることはできませんでした。
全体と通してとりあえず声を前に飛ばすことに集中しているような丁寧さのかける歌唱でした。第一声を聞いたときに声の天井が低く「プロフィールに書いてあることと違うじゃん!」とツッコミたくなった。「天から降りてくるような響き」(プロフィールより)とは何なのか?「喉から直球で出る声」だったよ。口の中の空間が狭い声でしたよ。声量の割に空間がないから俺の声飛ばし大会になってしまう。
ポッリオーネのお歌では声の伸びなさが原因なのかフレーズの最後が掠れていくように歌うのが気になった。息切れみたいな。効果的な歌い方とは思えなかった。声が小さくなったり細かい音符が流れていたりと雑さが目立ちました。
後半に行くにつれて声量ばかりではなく声の伸び自体も出てきましたが上江のようにホールの響きを利用できているような歌唱ではなく喉で頑張っている歌唱でした。イタリア語は不明瞭だし砂川涼子との二重唱は何を見せされているのかさっぱりわからない仕上がりになっており私の知っているオテロとは別作品なのか疑いました。
確かに他の似たようなテノール歌手と比べてば喉の強さや大声を出しても力み加減が分かりにくいのはよいところだと思います。声を出すことに固執せず音楽づくりや歌唱の丁寧さを大切にしてほしいです。歌声に感情が乗っかっていけばイタリアの輝きではないけれど貴重な強い声のテノールになるのではないでしょうか。
咳払いをする回数が多かったので本調子でなかったのかもしれませんがこの日の印象はそんな感じです。
美しく可憐であること
ゲストである砂川にも触れてこう。今回は重唱2曲とソロで1曲で3人の女を演じたたわけですが全員同じ人でした。同じ人というか同じ砂川でした。砂川はあくまで砂川なんだなと思いました。
音の跳躍の際によく切る歌い方をする印象。そもそも音符が短いのかそれとも無駄に切ってしまっているのかわからないような歌い方です。iの母音を硬さを軽減にするためか顔面に引っ掛けて出す感じが気になるし結局硬いです。声もよく揺れるました。
森麻季同様、砂川は砂川であることに価値があるのだろうから歌の上手下手の話を問うのは間違いなのかもしれない。でもそれも違くね?と思います。ネームバリューのある歌手だからこそその技術力を今一度確認しましょう。
以上です。
上江さんがアンコールの際に「イタリアオペラをこれだけ歌うことは大変です。」のようなことを仰っていました。(うろ覚えごめん。)体力も集中力も使うでしょう。デュオ・リサイタル(ゲストありピアノソロあり)でもこれだけ大変そうなのだから遊びではないソロのコンサートをできる人の体力と精神力は計り知れません。歌曲でもオペラアリアでもピアノ伴奏のみで小一時間以上歌い切るなんて恐ろしい。オーケストラ伴奏は誤魔化しが効くよね。
オペラ歌手の今日の上手って明日の上手の保証にならないから本当に恐ろしい。
それだけ繊細でめんどくさいものなのでしょう。
だからこそ素敵な歌手や演奏に出会えると嬉しいし色々と教えてもらえます。
ありがとうございました。
おしまい。