2024年7月21日(日)14:00公演
東京文化会館大ホール
デンマーク王立歌劇場
およびサンフランシスコ歌劇場との共同制作
東京二期会オペラ劇場

お世話になっております。
三島でございます。
この日はオペラ観劇をしました。
全幕観劇はトゥーランドット、トスカ、そして蝶々夫人と3回連続プッチーニ作品です。
プッチーニ先生まじ偉大。偉大すぎて避けては通れない。
好んで選ばなくてもプッチーニ作品とヴェルディ作品は頻度高めになりますね。
有名な作品が多いので収入面も期待できそう。
それでは感想いってみよー。
(以下基本的に敬称略)
美しい舞台上について
演出は宮本亞門。みんな大好き(?)宮本亞門。幕開けは現在軸でピンカートンの死に際にピンカートンの息子がピンカートンの書いた手紙を読むことをきっかけに過去に遡りオペラの時間軸に入っていく設定になっておりました。
全体的にわかりやすさにこだわった演出なのかなと思いました。現代軸にいる息子と客席の立場(傍観者であること)が重なるので息子がどこを見ているのかどう思っているのかに注目すれば物語に入っていきやすいです。また手紙の文章を写し出すところは文字情報で説明してしまう惜しさはありますが、何が書いてあるのかを勝手に想像させず正解を示すことで余計なことを考えている暇をなくします。婚礼の衣装が和洋折衷(完全な着物でない)なことや蝶々さんの衣装が和服から洋服(着物をリメイクしたであろうワンピース)に変わったことで蝶々さんのアメリカ進行度合いがわかったり、芸妓時代の回想や息子が蝶々さんの自害を避けようとする様子など演技面でも細かく表現され何かと説明をしてくれるので究極にわかりやすい舞台になっておりました。
この演出の最大の効果はオペラファンじゃない層を取り込めることではないでしょうか。例えば、宮本演出のミュージカルが好きでオペラも見てみようとなった人はイタリア語はわからないけれど舞台上で全部説明してくれるから「何がどうなっているか理解できた」となりそうですし、初めて舞台作品に触れる人からは「あとは自分で想像して」と見捨てるようなことをされるのではなく「現代軸の息子を見てたらわかりやすいよ!」と言ってもらえれば(言ってないけど)舞台の見方がわかりやすいのでないでしょうか。想像ですが。私が舞台観劇1年生であればそのような感想をもっただろうなと思います。
このような演出が成り立ったのは作曲家がプッチーニであるという点は大きいでしょう。プッチーニも音楽の中でよく教えてくれるので相性が良いです。宮本が色々やりたがって無理矢理くっつけたのではなくプッチーニの音楽を拾い上げたという方向になったということです。他の作曲家作品で同じことができるかは不明ですね。
終始出突っ張りの息子はひたすたオペラ時間軸の登場人物の周りをちょろちょろします。最初こそ存在が気になったものの役者(Chion)の調整能力が高いのか存在感が薄くオペラ時間軸とのバランスが保たれておりました。各幕の始まりと終幕で現代軸が登場するのは拗さがありました。そこまで現代軸にこだわらなくてもと思いますが上で書いた通り、わかりやすさを狙うならご丁寧に毎回戻してあげる必要があるのでしょう。もしかしたら拗さを感じるくらいやらないと「じゃあいらなくね?」となってしまうのかもしれません。本編以外のものを追加するって難しいね。
終幕は台本通り蝶々さんが自害した後、現実軸でピンカートンも死ぬ(病)。そこに蝶々さんがピンカートンを迎えに来て2人で光の当たる舞台後方に歩いていき幕が下がります。死んだ後すぐに幻想とはいえど姿が見えることで蝶々さんの自害が軽くなってしまった印象を受けました。歌手の力量がなかったことも原因の一つかとは思いますが、なんとなく死んだのではなく蝶々さんの決意とか覚悟とかそいういうものを無駄にした気が。ただ蝶々さんはピンカートンと共に生きたかったので蝶々さんの夢を叶えてあげるような演出には大きな優しさを感じました。
美しさに特化した現実味を忘れていないけれど幻想的な演出ありな舞台演出と美術が好きです。舞台空間が広く床が見えている面積が大きいのに舞台上の隅から隅まで空気が張り詰めておりました。余白ではなく適切な空間であるように感じた。お金がかかっているようには見えないが映像での演出で安っぽさを感じることもなかった。特に星空の映像は綺麗でこのままで良いのではないかと思った。
一番好きなのは1幕の蝶々さんと一緒に入場してくる女性合唱の着物の色合いですね。衣装担当は髙田賢三。客席から見る限りではそれぞれが違う色に見えました。シンメトリーにしたり同一色にしない。でもまとまりがある。素敵すぎます。パステルカラーの中にパンチがあるというかただの淡い色で終わっていない各々の色がまた美しい。写真で見るとシースルーに普通の布を重ねているように見えるのでこの重ね具合で色を調整しているのでしょうか?間近で見てみたいです。
ここ最近良い演出に恵まれている。そりゃロイヤルオペラ見たしな。そうなるわな。
なので歌手の話はしないで終わりたい。
シャウトの時代
演出・衣装・美術が勝ってしまう公演でした。なるべくあっさりと歌手の感想を書きます。
全員声が小さい。声が小さいのはいい。小さい声の歌手はたくさんいる。しかし小さいと感じさせる問題はなんだ。そうですよ。響きがないのですよ。シャウトでは響かない。シャウトの時代が始まらないでほしい。オーケストラはとても好調で相変わらずのフォルテ!フォルテ!の演奏ではありましたがよく聞こえたので良いです。
タイトルロールを歌った髙橋絵理は終始上半身のみを使った歌唱で歌い通した。発声が深くないため安定せず一音ごとに声の質が変わってしまう。声がフレーズの中で引っ込んだり出てきたりするのでガタガタしてしまいフレーズが掴みにくく何を歌っているのかこちらがしっかり捉えてあげなければならない歌唱でした。
フレーズが掴みにくい問題はもう一つあります。全てをスタッカート気味に歌うことです。無駄に音や言葉を跳ねさせる歌い方で音楽の流れができない。カタコトっぽさがある。幼さを表現したい歌い方なのかとも考えられますがそれが音楽を邪魔しているのは良くないです。確かに可愛さはあるのですがそれが上手さにつながっていない。
高音は絶叫するので出ているし客席に届く。でも絶叫は良い響きにはなりません。低音域は調子よく出ているときがありましたが低音域から戻った後の中音域は声が全く聞こえなかったのでかなり無理な発声で低音域をつくっているのでしょう。それもこれも上半身発声だからです。有名なお歌”Un bel dì, vedremo〜”の最後はそれでいいのか?というくらい浅いところでつくっている高音でした。
自害前のお歌”Tu? tu? picoolo iddio!”は息子に対する想いもこれから先の自分の人生を自分の手で終わりにすることを決めたことや蝶々さんの中でそれしか選択肢がなかったことを思わせる暗く重い決意など何も感じさせずただひたすら歌を歌っているだけに聞こえました。最後の最後だから丁寧に蝶々さんの人生を終わらせてあげて欲しかったです。ここの収まりが良いと死後に蝶々さんとピンカートンが一緒になったことの面白さや暖かさが増すと思うのですが。安心して聞けない歌唱に感情表現はないのだから如何に基礎が大事かをおも知らされました。悔しい。
タイトルロールとして主役としての仕事量が多いのはわかっています。蝶々さんが歌手としての仕事をこなせなければオペラとして完成しません。椿姫ならヴィオレッタがイマイチでもジェルモンやアルフレードに分散しますが、蝶々さんはピンカートンやスズキに分散させても余ってしまう。存在を無視して評価できる作品ではないです。なので100%以上のパフォーマンスで見たかったです。
ピンカトーンの古橋郷平は声は小さいものの押し出すように歌ってはいなかったので好印象でしたが1幕のシャープレスとの掛け合いの”America forever!”が力技になってしまいそこからずっと力で歌っていました。1幕最後の蝶々さんとの掛け合いは曲が進むにつれてどんどん声が出なくなってしまい喉の疲労を感じました。ただ動ける方だったので演技面は充実しており蝶々さんの年齢を聞いて驚いたり、日本再来のときのなんともいえぬダサさが面白かったです。
シャープレスの与那城敬は特別上手なわけではないけれどメインお二人がそんな感じなので結果として安心して聞ける歌唱になっていました。「u」の発音に深さのある歌い方ができておりみんなが「鈴木」と歌ってるのにたいして与那城のみ「suzuki」と歌っていました。
以上です。
良い演出と美術と衣装だった。
ボンゾの宗派については伺いたいところ。
五鈷杵を持っていましたね。気になります。
おしまい。
指揮:ダン・エッティンガー
演出:宮本亞門
衣裳:髙田賢三
装置:ボリス・クドルチカ
照明:喜多村貴
映像:バルテック・マシス
美粧:柘植伊佐夫
合唱指揮:粂原裕介
演出助手:澤田康子/彌六
舞台監督:飯田貴幸
公演監督:永井和子
公演監督補:大野徹也
蝶々夫人:髙橋絵理
スズキ:小泉詠子
ピンカートン:古橋郷平
ケート:石野真帆
シャープレス:与那城敬
ゴロー:升島唯博
ヤマドリ:小林由樹
ボンゾ:三戸大久
神官:菅谷公博
青年(息子):Chion
合唱:二期会合唱団