以下の内容はhttps://mishimashikahika.hatenablog.com/より取得しました。


【リサイタルレビュー】カミラ・ニールンド(ソプラノ)&ヨプスト・シュナイデラート(ピアノ)(東京・春・音楽祭 歌曲シリーズ )

2026年3月27日(金)19:00公演

東京文化会館 小ホール

東京・春・音楽祭 歌曲シリーズ vol.46

カミラ・ニールンド(ソプラノ)&ヨプスト・シュナイデラート(ピアノ)

お世話になっております。

三島でございます。

 

3週間ぶりの更新です。なぜでしょうか?師走ですか?

その間に行った公演のレビューも書きたいところですが最新のものから書いていきます。

 

今年も無事に東京・春・音楽祭が始まりました。数少ないクラシック系の音楽フェスティバルでお歌の公演が多いのが好きなところです。

 

今年は歌曲シリーズにたくさん行く予定。というか歌曲シリーズしか行かない予定。春祭は歌曲を大事に扱ってくれる。アリアのおまけでも発声練習でもなくこれでもかというくらい歌曲を浴びせてくる。歌手の出身国の作曲家を取り上げたり珍しい歌曲を歌ってくれたりと新しい出会いが多い。

www.tokyo-harusai.com

この日の歌手はカミラ・ニールンドさん。昨年のウィーン国立歌劇場の来日公演『ばらの騎士』(シュトラウス作曲)で元帥夫人を歌った方です。そのときは特別良い印象を持たずに終わりましたが歌曲を歌うとどうでしょうか。大きな期待はしないけれどめちゃくちゃ心配することもないので大らかな気持ちで劇場へ向かいました。

 

(以下敬称略。)

 

前半はワーグナーのヴェーゼンドンク歌曲集を歌唱。春祭のおかけで毎年この歌曲を聴けている。本当にありがたい。

 

ニールンドは先日の来日公演で気になった通りで上半身での発声になっていることが多い。大きいし声と曲に対する集中力が高く、曲の中身が面白くなるように歌うことができるので気にしなければ聞けてしまいますが、声の芯が太く通っていればもっと楽に聞けるのになあと少々勿体無い気にさせる。

 

プログラムが進むにつれて声が安定してきたのは良かった。ただそうすると高音に硬さが出てしまいオーケストラ伴奏ならまだしもピアノ伴奏だとうるさくなってしまうのが気になった。それも毎回ではなく良い響きの高音もあったので全て良い方向でお願いしたかった。

 

シベリウスの歌曲はほぼ初対面だったが二人の描く世界が明確だったので言葉は理解できないがそれなりに楽しんで聞くことができた。特に『逢引きから戻った娘』と『黒いばら』の歌唱は歌と伴奏のテンションが最高潮に達していて聞き応えがあった。歌詞が直接理解できたらもっと楽しめたのだろう。

 

シュトラウスパートはちょっと雑だった。『夜』は繊細に扱ってほしい。『ダリア』は歌詞が詰まっていることがよくわかった。ドイツ語におそらく慣れているニーランドでも苦戦しているような印象を受けた。『万霊節』は高音が大きすぎて曲の雰囲気とあっていない。歌詞を早く捌きすぎて焦っている様に聞こえた。というかシュトラウスパートは歌手もピアニストも疲れを感じさせる仕上がりだった。

 

アンコールは3曲でうち1曲が『月に寄せる歌』でオペラアリアです。チェコ語の発音がそんなに上手ではない。そちらが気になってしまって曲に集中できなかった。歌が上手であれば発音どうでもいい派なのですがある程度は大事だと再確認しました。

 

ピアノのシュナイデラートは派手な演奏はしないしシュトラウスパートでは『ダリア』の前奏が速すぎて物足りない部分はあったがワーグナーから始まりシュトラウスで終わるという体力勝負過労とんでもプログラムを完走したことだけでもすごい。ありがとうございます。ニーランドの怪しい箇所を的確に支える機転の効く対応は素晴らしいです。余計なことをしないから歌手が安心して歌えるのだろう。

 

シベリウスの歌曲は「それは伴奏ですか?」とお伺いしたくなるくらい別のことをやっているので(褒めてます)、演奏できる歌手とピアニストが恐ろしいなと思いながら聞いていた。別のことやっているのに曲として成立しているのが最高に美しいのですが崩れたら立て直せない感じが怖い。

 

歌唱の気になる部分はいくつか合ったけれど1曲1曲の密度が濃くて良い時間を過ごせた。カーテンコールのお辞儀も丁寧だった。大袈裟に歌ってなんとなく聞いた気にさせるのではなく深く深く追求し続けるような歌曲のコンサートはオーケストラや衣装がなくても面白いものがつくれることを教えてくれる。それと同時に最初から最後まで誤魔化しが効かない曲たちでメンタルやられないか心配になる。

 

以上です。

 

久しぶりのレビュー。

私も頑張る。

【リサイタルレビュー】中村恵理 ソプラノリサイタル(2026年大阪)

2026年3月5日(木)19:00公演

ザ・フェニックスホール

注目アーティストシリーズ84
中村恵理 ソプラノリサイタル

お世話になっております。

三島でございます。

 

この日は中村恵理さんのリサイタルを聴きに大阪までお出かけです。

 

梅田駅周辺は難しい。いつも迷子。グランフロント大阪でお買い物をしてからルクアに入りなんとか大丸まで抜けました。グランフロントはどっちが北館でどっちが南館なのかわからず往復しました。大丸まで辿り着ければこちらのものです。最近の限界攻略法は地下道ではなく地上を歩くことです。目安となる建物が見つけやすいので歩きやすいです。

中村恵理さんのリサイタルは昨年末の東京(withテノール公演)が最近でしょうか。そんなに昔ではないですがテノールがいない公演は兵庫公演ぶりなので久しぶりです。withoutテノール公演がいい。

 

それでは感想です。

(以下敬称略。)

 

全体的に

先日まで新国立劇場にて『リゴレット』のジルダを担当していたので喉を含む体の疲れがどれくらい取れているのかが気になるところです。回復具合によってパフォーマンスが変わってきますよね。しっかりとした技術をお持ちの素晴らしいオペラ歌手であることは承知しておりますが常に完璧というわけでもないのでどこまで本来の力を見せてくれるのか。

 

結果としてとても調子の良い公演だったと思います。中村の軽く輝く高音は健在でイタリア歌曲は軽やかに力みなく自分の持ち声を十分に活かして歌う。ミミ(『ラ・ボエーム』プッチーニ作曲)やミカエラ(『カルメン』ビゼー作曲)など声の軽さだけでは物足りない役に関しては声の厚みを足して歌っているように聞こえたがただ力を入れるのではなく声が更に深く太くなるような感じで声量やシャウトで解決しようとしないところは本当に好きです。下顎があまり動かさずに歌っていたので本当に調子良かったのだと思う。

 

そして相変わらずの表現力の高さです。一曲一曲の個性を歌い方を崩すようなことはしないが全身全霊で表現をする。技術・音楽表現・演技力がここまで揃っている歌手は国際舞台に目を向けてもなかなかいないものです。表現することが行き過ぎて歌曲たちをオペラアリアのように歌っているときもありましたが今回の歌曲での表現はかなり絞られて安心しました。歌曲は余計なものは取り払ってオペラアリアはたくさん付加して必要なところに必要なものがあることの美しさを知りました。

 

ネット環境があれば手軽に舞台映像を見れますが空気から伝わる表現力を直に味わえるのは現場だけである。NHKニューイヤーなんとかに出演する機会の多い中村ですがぜひそこで終わらずに劇場へ行ってもライたい。

 

関西で聞いた方が満足度が上がる人(つまり遠征中だから)なのは承知しておりますが、それを加味しても奈良公園に続く高水準高品質な歌唱だったと思います。

 

ホールの感想

ザ・フェニックスホールはあいおいニッセイ同和損保のビルの中にある300席程度のリサイタルホールです。大きいホールではありませんが綺麗な内装と舞台後方の壁が開閉式であり開けると外が見えるのが素敵です。車通りが多いから視界の情報量が多くなりますが空間を広く感じれるのはいいです。スタッフの制服が白いのも高級感があって良いです。

 

1 階席は座席によって10~20cmの高さの差はありますがほぼ平面なので演奏者の姿を見たい人は慎重に選ぶ必要があります。ピアノの音が鋭利になるのが気になりましたが声はそこまで問題なさそう。ただ中村が歌っているのであまり参考にならない。新国立劇場で上手に聞こえる人はどこで歌っても大丈夫でしょ。心配な方はサントリーホール先生を頼りましょう。

 

中村ヴィオレッタが好き

最後に曲ごとのを所感をちょっと書いて終わります。演奏順に書きます。全曲について書いておりません。曲目は昨年末の東京公演とほぼ同じですかね。大きな相違点は日本歌曲があるところとテノールがいないところ。ヴィオレッタ(『椿姫』ヴェルディ作曲)のアリアがラインアップされていることに興奮してチケットを落としました。拾ってくれた方ありがとうございます。

 

まずイタリア古典歌曲から数曲披露。たくさんのオペラアリアを歌ってきたのだから全曲オペラアリアで派手に構成することもできるだろうに基礎中の基礎能力が試されるイタリア古典歌曲を歌う。伴奏や雰囲気で誤魔化せない曲ほど難しいものはない。

 

“Le Violette”は柔らかい表情と軽い声で歌い通す。太さを感じさせることはないが軽い声が細い声とは異なることを教えてくれるようなしっかりとした声である。一つ一つの音の粒がはっきりしているのにスタッカートで歌っているようには聞こえない丁寧さがある。

 

”Lasciar d'amarti”は繰り返しを歌うときはどう扱うべきかを教えてくれる。同じ歌詞を同じ様に歌ってはいけない問題を難なくクリア。2回目はフォルテ気味で歌い1回目より思いが強くなっているように聞こえた。

 

日本歌曲も登場。個人的に日本歌曲は日本語の発音に疑問が残るので得意ではない。しかし中村は日本語歌唱時も言葉の扱いが綺麗なので聞けます。日本語が聞こえてきて聞き取れる幸せよ。しかしuの母音がイタリア語に寄せていたのが気になった。クラシックとして歌うという点においては正解だと思うがでもそれは日本語ではなくない?と思うわけです。

 

『占うと』は低めの音域だが難なく歌い上げる。ミックスボイスに恵まれているようなので声の質の違和感がない。胸に落としすぎずに低音が出せるのが本当に強い。『さくら横ちょう』はカデンツァ的な部分をはっきり歌わなかったがおそらくはっきりしすぎて西洋っぽくなることを避けたのではないか。日本歌曲であることが考えられた歌い方だった。

 

高音のiが全く硬くならないんだよね。かなり後ろの方から響いておりiの母音に苦戦する人が多いなか違和感なく歌うのでなんか虚しくなった。つまり中村がすごいということです。

 

その後はイタリア語へ戻り近代歌曲へ。”O Primavera”はまた柔らかい表情になりまさに春の雰囲気があった。明るく和やかに始まったけれど中間部分は雰囲気を暗くテンションを落として歌う。最後にまた帰ってきた部分で歌詞を噛み締めるように歌っていた。

 

“Nebbie”は東京で聞いたときよりも感情爆発しているように聞こえたけれどオペラのようではない。広がる感情というより奥の深い言葉という感じです。”Le Violett”などで軽い声を聴かせてくれたかと思えば重量気味なものも対応できる。でもそれはトゥーランド(『トゥーランド』プッチーニ作曲)を歌う歌手の真似ではなく中村の範囲内でやっていることに好感度が上がる。

 

オペラパートは"Je veux vivre"(『ロメオとジュリエット』グノー作曲)よりスタート。最初の下降音型はものすごい速さで降りてきて驚き。声は綺麗だった。全体的なテンポがちょい早めだったのと全曲の中で1番荒さの目立つ歌唱だった。力技ではないけれど勢いで歌い通した感じだし可憐なジュリエットではなく勇ましいジュリエットだった。

 

“Je dis que rien ne m'épouvante"(『カルメン』)は先日披露したばかり(@群馬)とのことで余裕を感じた。完成しきったものを出しているし技術的に無理のなさそうな感じ。“Denaro...nient'altro che denaro! ~ Fanciulla, è sbocciato l'amore"(『つばめ』)は周囲に話しかけるような部分としっかりと歌う部分がどちらも美しく歌いすぎてしゃべりが微妙などということが起きない。

 

そしてそしてヴィオレッタ(『椿姫』)。とってもうれしかった。ピアノ伴奏が出だしがちょっと不安だったけれどそれ以外は安定。改めて聞くととてつもなくめんどくさい難しい曲ですね。プログラムの最後に持ってきて歌い切る体力が恐ろしいです。細かい音型を駆け抜け高音は出しでも低音も疎かにしない。しっかりとした声の芯とは反対に中村ヴィオレッタの心には葛藤がありヴィオレッタとしてそこに存在している数分を味わえました。

 

最高は上げずに終わりました。単体で歌うなら上げた方が客席の期待に応えるかたちになりそうですが最後にくるまでの充実度が高いので最高音の出す出さないは個人的にはどっちでも良いです。高音しか取り柄がないと自負する人は出しましょう。

 

アンコールは2曲。1曲目はマスカーニ作曲”M'ama, non m'ama”。プログラム本編でプッチーニ作品を歌った後でも軽い声がよく跳ねる。短く可愛らしい曲でありながら技術力の高さを知らしめる内容になっていた。

 

もう1曲は先日聞いた”Caro nome”。ジルダです。正直ジルダは足りているのですがアンコールはサービスなので我儘は言わないようにしましょう。新国立劇場でのパフォーマンスは特別素敵なものでもなかったと思っております。でも今回のようにピアノ伴奏で単体で歌うと良い。他の曲よりかは気を遣って歌ってるようにも見えます。ジルダという役のせいでしょうか。

 

グヮルティエル・マルデ(リゴレット公爵の偽名)の名を聞くたびに「誰ですかあなたは?余計なことをしやがって。」と私情が強く出てしまうのですが皆さんはいかがですか?

以上です。

 

次はいつですか。来年ですか。困りますね。

次回はwithテノールではないこととドイツ語歌唱が一曲でも入ることを祈ります。

【オペラレビュー】リゴレット最終日(新国立劇場2026年)

2026年3月1日(日)14:00公演

新国立劇場 オペラパレス

ジュゼッペ・ヴェルディ作曲

リゴレット

お世話になっております。

三島です。

 

この日は新国立劇場へ再び参上です。

『リゴレット』の千秋楽でございます。

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初日には良いとはいえない仕上がりでした。

詳しくは下記よりどうぞ。

mishimashikahika.hatenablog.com

さて、最終日では進化しているのでしょうか。

それでは感想です。

(以下敬称略。)

 

初日と比較して

マントヴァ公爵(ローレンス・ブラウンリー)の声が初日より深くなっている。相変わらず1幕の冒頭は声にも姿にも存在感がなくマントヴァ公爵がマントヴァ公爵であることを認識するのが遅れるのですが調子を上げてくるのが初日よりも早いので結果として満足度は上がった。

 

周りが公爵扱いしてないしリゴレットとの関係も同等に見えてマントヴァ公爵の存在が際立たないので本人の問題ではなく全体の問題ですね。1幕でモンテローネ伯爵とリゴレットが話すときなんてリゴレットに「どうぞどうぞあなたがモンテローネと話してください。」と畏っているように見えた。

 

オーケストラより早く歌うのはだいぶ改善されたがフレーズの終わりが微妙に早いのは初日に引き続き気になった。おそらく声が軽すぎて十分に保てずに終わるから早く聞こえるのだろう。声が軽いこと自体は悪いことではないし広がりすぎずに歌えることは素敵なのでもう少し深さを出しましょう。3幕のアリアはなぜそんなにお上手なのでしょうか。ここだけ謎の安定感です。伸びやかだししっかり声が届く。続く四重唱はマッダレーナとの絡みが上手になっていたね。

 

リゴレットはモンテローネ伯爵の言葉に終幕まで囚われている設定なのでモンテローネ伯爵には迫力がなくてもリゴレットが軽くスルーできなかった意味を教えてほしいのですが友清崇のモンテローネ伯爵もマントヴァ公爵同様にあっさりしすぎています。そんなに気にしなくていいのに、とリゴレットに言いたくなる。役に役らしさを与えてさらに客席に意味を届けることができるかは大事ですね。

 

リゴレットのウラディーミル・ストヤノフは初日からまずまずのできだったので比較的安心して聞けました。ジルダの死に際の場面は舞台上に緊張感がありこちらも全力で集中することができました。上手くいってないとなかなか召されないジルダに苛立ちを覚えるのですが(私はサクッとお亡くなりになる役が好きです)この日はリゴレットの苦悩と後悔が伝わってきて絶対有り得ないけれど助かることを望んでしまいました。密度が濃いと苦手な場面も好きになれます。ジルダが力尽きた後の「ジルダ!」という呼びかけが切ないです。

 

ストヤノフは声の芯はあるし特別気になる部分はない。しかし全体的に声が広がりすぎてしまうのでもっと焦点を定めて歌ってほしい。聞けるけれどちょっと違うみたいな。それと言葉をもっと大事に歌ってほしい。フレーズのつくり方は悪くないのですが単語ひとつひとつに意味を与えてほしい。感情が乗らきらないリゴレットはちょっと寂しい。特に2幕の見せ場は前半のスピード感と後半の切実な願いのような対比を出してもらいたかった。お芝居面も悪くはなけれど怒りと悲しみと愛と憎しみが混在するのよりも悲しみ一辺倒の役の方が合いそう。常に哀愁を漂わせる役がいいね。

 

本日の中村恵理

中村が目当てなので中村さえ良ければ良いのです。初日と比べてどうなったのでしょうか。

 

いつも通りの軽い声に感動。というか感謝。声の重さや喉への張りつきを感じない声は本当に素晴らしいです。ソプラノといえども低音を疎かにしない姿勢も本当に大好きです。気になっていた吠えるように横や斜め上を向いて歌うのはだいぶなくなり見た目的にも安心してみることができた。髪を下ろして(地毛じゃないだろうけれど)歌う姿が新鮮だと思った。

 

声が後ろにいきすぎている原因がわかりました。正体はpianissimoさんです。音量を調節している関係で前に出てくれず遠い声になっている。ストヤノフ同様に声が広がりすぎているのである程度声量を出さないとまとまらない。声量を調節していなさそうなときは真っ直ぐ声が届く。不思議なpianissimoをする人ではなかったはず。響きは落ちないのですが声が後ろすぎて心穏やかではない。この歌い方であればpianissimoは諦めていただいた方が聞いていて楽です。

 

声的にはジルダは合っていますが、運命に翻弄される役ではなく自分で進んでいくような役の方が似合うのでまた中村ヴィオレッタに会いたいです。

 

総合的な

『リゴレット』は軽いソプラノやキラキラしたテノールが大活躍するようなつくりではない。もちろんワーグナー作品とは違うが低音担当歌手による重厚感を期待していた。メゾソプラノなんて何人出てくるのよ。今シーズンの『リゴレット』は浅さと薄さの目立つ迫力のないもので新国立劇場の通常運転といえばそうだがそこには大きな悲しみと疲労がある(私の)。

 

以上です。

 

後15回公演くらいあれば完成しそう。

【オペラレビュー】ウィンザーの陽気な女房たち(新国立劇場オペラストウディオ2026春公演)

2026年2月22日(日)14:00公演

新国立劇場中劇場

新国立劇場オペラストウディオ2026春公演

オットー・ニコライ作曲

ウィンザーの陽気な女房たち

お世話になっております。

三島です。

 

この日は久しぶりの新国立劇場中劇場、そして久しぶりの研修所公演に行って参りました。今は新国立劇場オペラストゥディオって名前ですね。ヨコモジカッコイイ。

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三連休中なのにフル稼働できない我が国のオペラハウス。フル稼働するには歌手が必要で歌手を集めるためにはお金が必要です。黒字といえどまだまだ課題の多い劇場ですがみんなで頑張りましょう。

 

オットー・ニコライさん作曲の『ウィンザーの陽気な女房たち』はジュゼッペ・ヴェルディさんの『ファルスタッフ』と題材は同じ(シェイクスピア原作)ですが音楽と共に軽快に話を展開させるヴェルディさんのそれとは異なり一つの場面をじっくり描く芝居重視の作品といった印象があります。

 

新国立劇場の研修生の皆さまはどのようにみせてくれるのでしょうか。

それでは感想です。

 

全体的な仕上がりの話

コメディ部分を強調するような小芝居お芝居が盛りだくさんでオペラであることを忘れずにでもお芝居面をストレートプレイ並みに押し出しそうと頑張っている姿勢は伝わった。しかしただ頑張っている姿勢が伝わるに過ぎない。申し訳ないけれど文化祭の出し物感が拭えない公演になっていたしもしかしたら体育祭だったのかもしれない。

 

場面が長ければ長いほど舞台に張りがなくなる。一生懸命を応援する気持ちはあるけれど同時に一生応援しなければいけないのかと不安になった。特に第1部のファルスタッフとフルート(変装)の場面はフルートが独白と会話の使い分けができていないことや二人の歌い方が一本調子なこともあってただただ長く終わりがこないのかもしれないと思った。

 

フルート夫人とライヒ夫人の場面は歌唱自体は気になるものの自分たちの感情をおもてに出すことはできている(何がしたいのか何をするのかがわかる)し若いカップル(フェントン&アンナ)の場面は会話と歌が両立できているように見えたので良かった。舞台上の空気が動いていた数少ない場面である。

 

その他の場面、特に男性歌手が多ければ多いほど舞台上が停滞するような印象。小芝居がわちゃわちゃしすぎて全体像が掴めない。また物語を先導するような役がいないので舞台上が余計に動かない。物理的に動き回るのに対して物語が進まない話自体の面白さが全く伝わらない仕上がりでした。

 

ベルカント商法の皆さん、ここですよ

ベルカント作品ではない。ドイツ語で歌いドイツ語の台詞も多い。よく頑張ったとは思うけれど歌唱部分も気になるところが多かった。

 

フルート夫人(有吉琴美)は低音が地声のようになっていて中音域との差が大きい。胸声に落とすことを恐れないのは良いけれど声質が大きく変わってしまうことによる聞きにくさがあった。高音も勢いで出している様子で開いていない母音と力技の声、そして何故か全部の音符が跳ねていてレガートラインとやらが行方不明になっていた。ドイツ語が負担だったのではないかな。

 

アンナ(谷菜々子)はザ・日本人ソプラノといったところです。軽い声と明るい響きを十分に使っており唯一完成度の高い人だった。本人のお持ちの声によくあっている役だし出番も少なめなので他女性陣と比較するものは微妙だが整っていたことは事実。

 

フェントン(矢澤遼)は2024年夏のコンサートで聞いたときよりもとても上手になっていた。お持ちの声は相当良いものですが声の重心が下がったことにより安定感が増している。しかし第2部では第1部の母音の響きはどこにいったのかお伺いしたくなるくらい仕上がりが下がる。でも前回より良いものを聞かせてくれたのは純粋に嬉しい。

 

他男性陣は矢澤同様お持ちの声は良いのですが言葉に必須で響きが前に落ちている印象を受けた。声が後ろに回らないので口からそのまま急速落下です。前で言葉を捌きつつ後ろで響きを維持するような歌唱をしてほしい。配役が多いということで助演にて研修所修了生たちが参加されておりましたが現役生と歌唱も芝居も変わらないのは驚いた。

 

 

ここで立ち返るわけですよ。ベルカント商法唱法とやらに。粒の揃った自然に出てくる声とそのまま耳に届く響き。これらが如何に大事なのかを思い出した。この公演に足りないものはベルカント唱法です。

 

小芝居とドイツ語に押されて美しく歌うことを忘れたな。作品のせいにするのは良くないけれどベルカント寄りな作品を選んであげれば素直な歌い方で喉の負担も少なく良い歌唱ができたのではないでしょうか。そして全体的な完成度が上がったのではないでしょうか。

 

一度ベルカントに戻りましょう。ベルカント商法の皆さんにはぜひ新国立劇場オペラ研修所で商売をしていただきたい。売り込むならここです。

 

 

若い人を育てよう

オペラ研修所や大学生の公演は歌手そのものよりその後ろにいる先生方の発表会のような部分が大きいですよね。

 

まず今回から『終了公演』から『春公演』に名前を改めて入所時期(つまり学年)を問わず挑戦できるようにそして修了時期だから優遇されることがないようにしたらしい(プログラムより)。厳しめの配役事情になっているのでしょうか。

 

方針は理解するけれどじゃあ修了間際の人たちが大きい役を歌いこなせるように育ててあげればいいじゃんと思います。そんな上手に育たないし他力本願はいけないけれど、育てることがこの場所の役目であり仕事なのではないでしょうか。「プロの世界は甘くない!」と仰るのはよろしいですがそれならば公演までに叩き込んであげて。

 

つまりですよ、

この公演は演目の選択ミスだと思います。いろんなことやらせているのに中身がないし歌も聞いていて苦しい。舞台に立つ上での総合力的なものを鍛えてあげることはいいことですが全体的な仕上がりをきちんと見てください。彼らの背丈にあった作品でしたか?良いところを潰していませんか?もし先生方ではなく本人たちがこの作品を選んだのなら止めてあげてくださいね。

以上です。

【ロシア編】マゼッパ(ゲリコンオペラ)

2026年1月24日(土)19:00公演

ゲリコンオペラ

ピョートル・チャイコフスキー作曲

マゼッパ

お世話になっております。

三島でございます。

 

昼はバレエを見て、夜はオペラを聞いてと充実した土曜日です。

かき集められた雪とキラキラのモスクワ中心部。

ゲリコンオペラに行きました。ヘリコンオペラと書いておくべきか迷いましたがロシア語読みでいきましょう。前回行ったときは昼間で今回は夜。同じ道でも明るさの違いで迷うものですね。真っ直ぐ歩けば着くのに何故か右往左往して別の劇場に入った。正しい場所を教えてもらい間に合わないかもと思いながらも爆走。だいたい走っている。ギリ遅刻で到着です。コート預けるところに19時着。開演してなかったので(私のせい?)公演自体には間合いました。案内してくれた方々ありがとうございます。以後気をつけます。

 

それでは感想です。

(以下敬称略。)

 

さすがゲリコン

演出はよくわからないしミハイロフスキー劇場のようにプログラムで説明してくれるわけでもない。情報がない。なので余計わからない。

 

劇場で見た様子と調べた情報を合わせると現在軸と物語軸があり、現在軸にはプーシキンの『ポルタヴァ』を授業で読んでいるマリアやアンドレイなど4人の学生とリュボフ先生がいる。多分校長的なポジションがコチュベイ。物語軸にいるのがマゼッパ。現在軸の人たちが物語軸に入っていくような演出ですがどこが境目なのかどこが空想なのか具体的に示すものがない。

 

舞台上前方には学校であることを表す机が配置されており授業を受けている様子。舞台中央には岩の上に乗り上げておる小舟が置かれている。また牢屋が上がったり下がったりする。舞台装置の動きはあるが大きな舞台転換はない。一つで全場面を表現できるようにしているがそれにより成立してるのだかしてないのだかわかりにくいつくりになっている。極めて難しい演出である。幸い音楽がきちんとしていたのでそちらのに集中することに切り替え楽しんだ。演出は置いておいた。

 

さすがベルトマン率いるゲリコンオペラです。ゲリコンオペラもノーバヤオペラも不思議な演出を多く世に送り出しておりますが挑戦的な劇場と勝手に理解しているので落ち込むことも苦しむこともない。

 

歌手の印象

マイクをつけているのかと思うくらい声が大きい。全方向に声を届けることができる。特別響く劇場ではないので純粋に声が大きい人の集まりなのだろう。

 

マリアを歌ったユーリヤ・シトノコワは素晴らしかった。前半の自由で無垢な様子で可愛らしくも高らかに歌っている様子も後半の精神状態不安定な様子もどちらも良い。特に後半部分は緊張感がありましたね。圧巻です。強い声ながらも簡単に事切れそうな危うさを表現することができている。フォルテ一辺倒ではなく歌詞を繊細に扱っている様子はとても良い。マゼッパを選んでしまう部分が学生設定だとより奇妙だよね。カーテンコールで本人もぴょんぴょんしていたので自分でも納得の出来だったもでしょう。

 

同じように素晴らしかったアンドレイ役のイゴール・モロゾフです。バシコルトスタン共和国功労芸術家だそうです(プログラムより)。声が強い。カラフ(「トゥーランドット」)を歌えるような本物の強い声を持っている。そしてイタリア人かと疑いたくなる明るい母音で歌う。そうするとロシアオペラには不釣り合いに感じるが実際に聞いて見ると音楽を邪魔したり歌詞の意味を変えてしまうようなことはない。あくまで母音が開いているだけなのです。そしてそれが最後まで持続する恐ろしい体力。

 

マゼッパのドミトリー・ヤンコフスキーとコチュベイのミハイル・グジョフは似たような発声と似たようなこ歌声だった。声量はあるけれど声がこもり気味なのが気になった。リュボフのアレクサンドラ・コヴァレヴィチは低音をかなり落として(つまり胸声で)歌っている。胸に落としても中音域との繋がりが切れないのがすごい。声質が変わることに違和感を持つことが多いのですがコヴァレヴィチはバチバチに落とすけれど声自体の変化は少ない。もちろん声量もある。

 

ゲリコンオペラの歌手強くね?と思いつつも響きより声量を重視した傾向があるのが気になった。ゲリコンオペラで聞く分には問題なけれど新国立劇場で歌ったら声がその場に落ちちゃうだろうなあと。

 

サンクトペテルブルクでもモスクワでもいつも思いますが合唱の声が分厚いのがいいですよね。各々のパートが充実している。ソプラノやテノールにキンキン系が少なく、アルトやバスはとても深い声を持っている。合唱に立体感があり結果音楽全体に厚みが出る。技術というよりご自身の持ち物の声の話なのでどうしようもないですが低音の充実度の大切さを思い知らされます。

 

以上です。

 

ゲリコンオペラの演出はこれでこれで良いので別の劇場でスーパー正統派な演出で見たい。あんまり似ていないディーマにもご挨拶できた。

残すとところ最終日の感想のみだけれど一ヶ月経っちゃいそう。

【オペラレビュー】リゴレット(新国立劇場2026年)

2026年2月18日(水)19:00公演

新国立劇場 オペラパレス

ジュゼッペ・ヴェルディ作曲

リゴレット

お世話になっております。

三島です。

 

久しぶりに新国立劇場へ行きました。『ヴォツェック』『リゴレット』『エレクトラ』は今シーズンのおさえたい演目です。

 

そして待ちに待った中村恵理さんのご登場です。

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新演出ではありませんが私は初めての観劇なので個人的新演出です。初台は相変わらず何もなくて一周回って好き。

 

それでは感想です。

(以下基本的に敬称略。)

 

暗い暗い

舞台装置は多くないものの抽象的になりすぎない微妙なラインを保っている。物語との乖離も少ないので違和感はあまりない。しかし物を置かずに空間を大きく使えるようにしているわりに歌手の立ち位置や動く範囲は狭く舞台上の空白が多すぎる。

 

ジルダが攫われる場面は部屋に侵入するのではなく舞台装置ごと誘拐するスタイルで斬新すぎて笑うところかと思った。新しい誘拐の仕方を教えてもらいました。しかも舞台装置がスムーズに動くのがこれまたシュールです。

 

また2幕で伯爵に「ジルダ連れてきたよー!」(私訳)と報告する合唱団は一区画にぎゅうぎゅうに集められており捉えられているのはあなた方ですかと伺いたくなった。深読みするなら「この人たちも公爵の顔色次第で完全に自由ではない」と理解することもできますが舞台上での見栄えがよくないので散らしておいてください。

 

新国立劇場の暗い照明は本当に暗いので表情が見えずらい。暗転一歩手前でも綺麗なライティングがあれば動きや表情が見えるはずだがそういったものはない。これは技術の問題ではなく劇場設備の問題なのではないでしょうか。だっていつもだから。公爵がどのような表情でジルダを探しているのか、ジルダが公爵の本音(四重唱のところ)を聞いたときどんな表情をしていたのかをもっと見せてほしい。全員が顔出しNGの歌手だったのかな。

 

1幕冒頭の合唱とダンサーの動きが悪い。その場にあった動きをそれっぽくっていうのが難しいのかな私たち日本人には。新国立劇場だけでなく日本の舞台芸術全般の問題である。特に原語ネイティブではない勢は言葉に瞬時に反応できないのでリアクションの場所がズレる。単語ではなく日本語に直した文章で捉えているのだろう。

 

ダンサー(ではなくビジュアル良い人集めた模様)の動き方も全体的に早いのでバサバサしている。少しゆっくり動くだけで変わると思う。個人的に一番変えてほしいポイントはバレエシューズ(のようなもの)を履いているところです。公的な場でドレスにバレエシューズってありえなくない?ヒールが一番だけれどお耽美な素足のようにしたいのであれば裸足に見えるように工夫してほしい。

 

頑張ってまじ頑張って

オペラ歌手と言っていいのは表題役のウラディーミル・ストヤノフとジルダの中村恵理くらいで後は揃いも揃って上半身発声の薄っぺらい歌唱だった。『リゴレット』は男性歌手ばかりなので女声が入らないことによる男声の強さや深さを教えてほしいのですが細い声しか聞こえてこない。それぞれに与えられたキャラクターの中身が見えてこない。

 

男性合唱の「ジルダを誘拐しよう!」(訳っていうか略)と歌っている部分はクレッシェンドやアクセントの付けた方で立体感を出そうとしていたのはわかるがそもそもの声が伴わないので聞き手を疲れさせる。薄いのに何かしようとするとこんなにも効果がないのだと教わった。

 

公爵を歌ったローレンス・ブラウンリーは3幕の超有名なお歌は上手だった。そりゃここ微妙だったらなんのためのマントヴァだよって思うよね。しかし1幕冒頭場面は他歌手に埋もれており公爵が歌っていることに気づくまでに時間がかかった。歌っている最中に声が上がっていき浅い発声になってしまうのとオーケストラよりもテンポを早くとってしまうのが気になった。

 

完全にズレはているわけではないが音が終始短いので焦っているように聞こえ公爵の堂々とした佇まいを欠く。リゴレットの家の場面になると少し声が前に出てきたし2幕以降はだいぶよくなってきたが歌い方自体が単調でキャラクターが掴みづらい。いや掴めない。

 

リゴレット(ストヤノフ)は声は安定しており道化という役と父親という役の使いわけも上手だった。ストヤノフが動いているおかけで舞台がなんとか立体的に見える。舞台上にいないとこちらが不安定になりそうだった。

 

ただもう少し言葉を大切にしてほしい。上手だけれどただ流して歌っているように聞こえる部分も多々ある。つまり雑である。特に2幕の見せ場のお歌は感情の起伏を歌い方に乗せてほしい。ただ勢いも音量もないオーケストラの入りでどのように歌えと?という感じなのはわかります。ごめんね。

 

本日の中村恵理

中村ありきで聴きにいっているので中村が良ければ満足度も高くなるのですがお察しの通りです。第一声はいつも通り軽く響く声で安心した。蝶々さんやアメーリアを歌っておりますが本来はベルカント寄り(完全ベルカントではない)の軽い声を見事に操れるような歌や役が合うと思っているのでジルダ起用は嬉しい限り。

 

中村の声は大きい方ではないですが響きがしっかりしているので声量が凄まじくある人がいなければ負けないです。男性歌手との重唱や四重唱でも完全に消えることがないのは響きにくい新国立劇場でも上手に歌うなと思います。

 

ただ全体的な歌い方が怪しすぎる。上で書いたように声自体はそこまで悪くないのですが、高音にジャンプするときに吠えるように顔を上にあげたり腰をそらしたりしており見栄えが良くない。そのまま高音に上がることができる人なのでそこまで大袈裟にやることに疑問。何より腰を痛めないか心配。

 

響きが落ちることはほぼほぼなかったですが声が後ろにいきすぎだった。遠いっす。後ろから出すのは正解なのだろうけれどそれは前に持ってこれるからであって後ろで止まってしまうと話が変わってくる。安心して前に出てきてほしいですね。

 

以上です。

 

千秋楽までになんとか良くなってほしい。

一方、初日から良いものであれよと思う。

【ロシア編】ジゼル(モスクワ芸術劇場)

2026年1月24日(土)14:00公演

モスクワ芸術劇場(スタニスラフスキー=ダンチェンコ記念国立)

ジゼル

お世話になってなっております。

三島でございます。

 

モスクワへ移動後の二演目目は『ジゼル』です。サンクトペテルブルクマリインスキー劇場でも見ましたがなんせジゼル大好き芸人なので何度でも見ますよ!

 

午前中はマイナス気温を味わうために散歩してました。ライトアップはされてないものの街中の飾りつけが可愛いので写真が撮り終わらない。夕方よりも人が少ないので比較的映り込みを気にすることなく撮ることができました。

それでは感想です。

(以下基本的に敬称略。)

 

この劇場について

ようやくモスクワ芸術劇場入ることができました。いつもいつも予定が合わなくて。何度も前を通っては今回も行けなかったと思ってましたがついに中に入った!ちなみには私は「ダンチェンコ劇場」と読んでいるのですが何て呼ぶのが主流なの?舞台の青い幕が綺麗です。思っていたよりも広い。舞台上もまあまあ広いです。『ジゼル』は舞台上にあるものが限られて(家と墓)おりますが色々置いても広く使えそうですね。

入り口からクロークの導線とクロークから客席までの導線が若干わかりにくくて面白かった。舞台写真や衣装の展示がされていて開演前や休憩中も飽きさせないというか時間が足りない仕様になっている。みなさんが飲食を楽しまれるスペースもかなり広くもう一つ舞台をつくれそうです。外観からは想像できない空間になっておりました。

 

ジゼルとアルブレヒト

マリインスキーの『ジゼル』と比べると人間味があります。マイナス要素ではなくバレエをお芝居として楽しめる度合いが上がりますって話です。特に1幕は一人一人が生き生きとお芝居したり踊ったりしておりジゼルたちの日常や柔らかい雰囲気を直に感じることができた。ジゼルの死の前が楽しそうであればあるほど死の後の悲しさが増すし悲しみが客席に伝わってきてよかったです。

 

アルブレヒトが登場してお付きの方に「剣を付けたままですよー」と言われて「僕としたことが!」みたいなリアクションを自分の頭を叩くマイムで表現していてなんか面白かった。アルブレヒト軽いって。

 

アルブレヒトのジゼルへ対する気持ちは遊びなのか本気なのかは演出や踊る人によって変わりますが、デニス・ドミトリエフのアルブレヒトは最初こそ軽かったもののジゼルが狂乱しているときはなんとか近づいて助けようとしており立ち尽くして動かないアルブレヒト鳥かはジゼルのことを想っているように見えました。

 

踊り自体は特別ジャンプが高いわけではなかったけれど一つ一つの振り付けを大きく踊ることができる人のようで小さくなりがちな1幕のワルツなども周りに埋もれずどこにいても存在が際立っている。2幕では疲れを見せるような踊り方をしておりギリギリのところで助かった様子が目に見えてわかった。余裕そうにジャンプして余裕そうに倒れるのも良いのですがそれだとどうしてもツッコミたくなるのでちゃんと疲れてくれてありがとう。リフトするときに重そうにあげるのが気になったのはマリンスキーで軽々リフトを見たせいかもしれない。

 

1幕でウィリの話を聞いて怖がっているジゼルを「大丈夫だよー」とエスコートしたり2幕の別れを惜しんでいる様子もよかったです。しかし最後、2幕終幕のアルブレヒトは激しい後悔や罪の意識に苛まれるのではなくなぜか胸に手を当てて満たされて終わっていった。いやお前のせいなんだよと。何満たされているんだよ。

 

ジゼルを踊ったエリカ・ミキルチチェヴァです。病弱とはちょっと違う雰囲気ですが元気すぎもせず。キトリ(『ドン・キホーテ』)の方がハマりそうな印象はあるけれどジゼルとかけ離れてはいない。2幕では無表情で踊るのではなくアルブレヒトに対する気持ちが溢れでておりまだウィリになりきれていない様子だった。ミルタやお願いするマイムは強い願いが込められていることがわかるようなマイムになっていた。個人的には無表情に近いジゼルが好きですが1幕からの舞台の雰囲気とあっているのはこちらですね。

 

1幕のジゼルのバリエーションはとても良い出来だった。一つ一つの技術が高いのではないのですがジゼル自身が踊りを楽しんでいる様子が伝わってくる。慣れているのか動きに余裕があり安心してみることができた。狂乱の場面は元気だったときとの対比ができており突然知らない人になってしまった感じがあり悲しかった。ただ音楽のテンポが速めだったので過ぎ去ってしまった感が強い。もう少し味わいたかった。

 

地獄のアラベスクタイムについて

乱れのない美しいアラベスクを見れるお時間には満足ですがこちらもテンポが早い。昨年のボリショイ劇場で見たときも思いました。加速するのがスタンダードなのでしょうか。確かにバレリーナたちからすれば高速でちゃちゃっと終わらせた方が楽だとは思いますが重心を下に重く進むのがこの振付の面白さだと思っているのでテンポを上げてしまうと面白みがなくなる。マリンスキーでは早いと感じなかったけれど錯覚かな?

 

地獄のアラベスクタイムは良かったのですが後半に行くについてウィリたちとのバランス力やキープ力が下がっていくのが気になりました。グラグラしていたり微妙に揃わなかったりと。無表情でずっと舞台いるのだから大変なのはわかるけれどコール・ドあってこそのバレエなので頑張ってほしい。ハンス(ヒラリオン)を退治した後退場するのに速攻で呼び戻されるのいつ見ても忙しいなあって思う。

 

その他

1幕のパ・ド・ドゥ(エリザヴェータ・デグチャレワ、エフゲニー・ドゥブロフスキー)は貴族が退場する前に差し込まれていました。どちらでも良いと思うけれど曲の繋がりが綺麗じゃないのは気になる。ドゥブロフスキーのソロで最後のジャンプの着地が乱れてしまったくらいでその他は丁寧な踊りだった。ドゥブロフスキーはロールデビューだそうです。おめでとうございます。仲良さそうな踊りは素敵です。主要なダンサー全員が安定しているので基本的に安心して見れるのが良い。

 

バチルド姫(アナスタシア・ペルシナ)も良いです。アルブレヒトの浮気(遊び?)を知っても特に表情を変えない。そんなものだと知っているかのようにジゼルに説明する。貴族の方たちも気に留める様子なく退場していくので改めてジゼルとは別世界の人たちなんだと教えてもらった。

 

ドゥウィリ(ナタリア・タラソワ、ダリヤ・チュグノワ)の踊りがとても綺麗だった。二人とも身長が高めなのかな。ザ・バレリーナという容姿で見栄えが良い。他のウィリたちに埋もれない存在感と元々長い手足をさらに長く使って踊る。背中の使い方が綺麗だったり一つ一つのポジションの保つ時間が長かったりで満足度の高い踊りをしてくれた。

 

こんなところです。

 

この劇場で色々な作品を見てみたいと思わせてくれました。再訪必須!




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