
22日の金曜日にがん検診を受けに代々木の病院に行きました。8:00過ぎに受付をして内臓のCT診断後に胃カメラ検査。毎年受けている胃カメラ検査は口から胃カメラを入れるのですが、その際、血管注射で鎮静剤(麻酔ではないそうです)を打ちます。これ、人によっては意識がぼんやりするものの眠るわけではなく、視界の記憶もあるそうなのですが、わたしは、先生が注射器のプランジャーを押していき、シリンジ内の薬液が減っているのを見ていた記憶までで、プランジャーが最後まで押されるところすら確認できないまま、次に気が付くと、診察終了後のカーテンで仕切られた場所でキャスター付きベッドに横になっている、という次第です。毎年受けていて、たぶんもう十回以上、同じ病院で検査をしてもらっていますが、いつも同じ。たまにはもう少し覚えていたいものだ、と思うのですが、そういう意志でもって(といっても強い願望ではないからかもしれませんが)、身体の状態をコントロールすることは出来ないものですね。毎年のがん検診は大事ですね。詳細は書かないけど、数年前にはがん検診でごく初期のがんを発見してもらい、手術をしたこともありました。
鎮静剤の睡眠から覚醒してだいたい11:00過ぎ、まだ少しふらつく足取りで街に出ると、11月の快晴の日できらきらしていました。グーグルマップで近くのランチの店を探し、一番客でイタリア料理の店に入り、クリームチーズが載ったトマトスープのパスタを食べました。1000円。近隣のオフィス勤めの方がやって来て、すぐに満席になりました。
これも毎年のこと、ランチ後に街角スナップしながら、裏路地を気の向くままに辿ります。ある年は代々木上原まで歩きましたが、今年はせいぜい一キロ先の新宿駅まで少しだけ。途中、新宿瑠璃光院白蓮華堂に寄りました。建築家竹山聖さんの設計した特徴のある外観のお堂です。内部見学を申し出て五階にあがるとそこでたまたまお会いした僧侶の方に、各階をご案内いただきました。月に何度か瞑想+粥(食事)+写経が出来るそうで、ネットを見たら500円でした。
鎮静剤がいつまでどれくらい身体や意識をぼんやりさせているものなのか?病院でもらった注意書きによると、今日一日は車の運転は絶対ダメとありましたから、それなりにどこかぼんやりし続けているんだろう。
それでも家に戻って撮った写真をPCに取り込んでいたら300枚くらい撮ってありましたから、ぼんやりとしていたことと撮影枚数には関係はなさそう。というよりむしろいつも以上にシャッターを押していたのだろうか。新宿駅の甲州街道に面した南口前は歩道の幅が広くて、その歩道も工事を重ねた跡があり凸凹していて、以前車道だったときに書かれていた車線を示す矢印が薄く残っていたり。なんだか、その程度の街の片隅の「完全にきれいに整備されていない」ところにほっとしてしまいます。そういう場所や電信柱とか、あちらこちらにシールが貼ってある。こういうシールはたとえば麻布台ヒルズだか虎ノ門ヒルズだか、渋谷のさくらテラスとか、そういう新品のあたらしいきらきらした街にも貼ってあるのだろうか?むかしむかし、わたしがはじめてNYに出張した90年代(80年代だったかな)出張者にあらかじめ地図が配られて、この道は東側歩道は歩いても大丈夫だけど、西側に渡ったらダメです、などと解説されました。その後、NYの町をきれいにしたら、犯罪と落書きが減ったとか。シールは犯罪でも落書きでもないけれど町の猥雑さの指標になっているかもしれませんね。どうも新品のぴかぴかして綺麗で、そこではセレブでなくてもセレブのように取り繕わなくてはいけないような街よりも、少し場末な感じ、むかしはそういう最先端の街だったところに中高年が懐かしむような歴史が生まれてしまい、少し疲れた街が居心地いいかもしれませんね。
自分なりにこのブログにアップしてもいいかなという写真の選択基準のようなことがあるのだろう、最近はそれに「合格」する写真があまり撮れなくなりましたが、鎮静剤で街を見る見方に入り込む理屈や言葉の説明がぼんやりして直感が少し出張って来たからなのか、ちょっと「合格」数が良かった気がします。
谷川俊太郎さん、火野正平さん、北の富士さん、次々の訃報が続いた週でした。谷川さんの詩集は自室の本棚に何冊もあります。火野さんの自転車の番組はよく見ていましたし、北の富士さんの面白い解説のおかげで数年前からときどき相撲中継を見ていました。谷川さんの詩では詩集「日々の地図」に入っている神田賛歌が好きです。それから谷川さんの詩に曲を付けた小室等の1970年代後半に発売された「プロテストソング」というアルバムも好きでした。クリフトンNJ、汽車と川、なんていう曲が良いです。