
京浜急行の、八丁畷、鶴見市場、京急鶴見、花月総持寺、のあたりの国道15号線とそれと平行に進むように、でも国道ではなく住宅街や旧東海道を歩いてみる。途中で暑くなり、ダウンジャンパーを脱ぎ、セーターも脱いだ。昨日のブログに載せた横浜美術館あたりの新しい横浜と、野毛や伊勢佐木町のような古い横浜と、同じ横浜市とは言え京浜工業団地を近くに控えたこの鶴見や生麦の町は、当たり前のことだけれど、町の「相」というか「柄」がぜんぜん違う。この、なんというのでしょうか、殺風景な感じが悪くないと感じる。人柄でいえば、一見こわもてでとっつきにくそうで、無口で、だけど実は気配りのある定食屋のおっさん???のような町ってことで。
二回前のブログに載せた紅葉の写真も、一回前のブログに載せた横浜の写真も、この鶴見あたりの写真も、私が撮っている(当たり前ですね)。たぶん私は被写体によって撮り口を変えていないし、それぞれの光景を前にしてあれこれカメラの設定を工夫なんかほとんどしない(自分にとっての適正露出が+2/3段くらいなのでそうしている)。画面は99.9%横のまま。しゃがんだり寝転がったりしないで、ほぼ立ったままの顔の位置でカメラを構える。撮影後の画像処理でトーンカーブを少し上向き凸にして明るくする。明るくするときに空の色が白に消えて行くのが嫌なときはレイヤー機能で空だけは明るくならないようにする。使っているのはずいぶん古いフォトショップ。
さて、それではこれらの写真に共通の「わたしらしさ」ってあるのだろうか?あるいはここに書いたように町の「相」や「柄」が支配的で、それにより写真は同じ私が撮ったものなのに、そんなことは些末な共通項で、まったく違って見えるのか?
そういうことって撮った本人はまったくわからない。
タイトルのSOMEDAYですけどね、今日風呂に浸かりながらなんとなく口ずさんでいた曲。佐野元春の曲です。
「手おくれ」と言われても
口笛で答えていた あの頃
誰にも従わず
傷の手当てもせず ただ
時の流れに身をゆだねて
何度もそこばっかり歌っているうち、湯が冷めてきたので、おいだきボタンを押す。
