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[建築物]★赤レンガ倉庫 2号館、1号館(通産省近代化産業遺産)

(象の鼻パークから見た、横浜赤レンガ1号館。本来の半分のみ現存する)

横浜赤レンガ倉庫(2号館、1号館、横浜市にて現存)

 もともと、この港町ヨコハマを代表する赤レンガ倉庫は、2号館が1911年(明治44年)、1号館が1913年(大正2年)に、旧大蔵省の保税用倉庫(横浜税関新港倉庫)として建てられたもの。建物の設計は明治の建築界をけん引してきた妻木頼黄(つまきよりなか)を中心とした大蔵省臨時建築部が担当しました。妻木頼黄といえば、1878年に工部大学校造家学科(現在の東京大学建築学科)に入学後、コーネル大学などの留学、ニューヨーク建築事務所を経て大蔵省に入省したまさに近代基本の超エリートでもありました。妻木頼黄は旧横浜正金銀行本店(現在の神奈川県立歴史博物館)や、旧醸造試験場第一工場など数々の建築を手掛けた明治建築界3巨頭のひとりですが、こちらの赤レンガ倉庫はそんな彼のキャリアのなかでも晩年の作品でした。彼は1号館が完成した3年後の1916年(大正5年)に亡くなりますが、まさに明治を代表する大建築家の代表作にして、当時の技術の集大成がこの赤レンガ倉庫でありました。

横浜赤レンガ倉庫が誇る、日本初の業務用エレベーター)

 全長およそ150m、背面に鉄骨造りベランダを持ち、日本初の業務用エレベーターや避雷針、消火栓を備えています。この赤レンガ倉庫は、のちに日本各地で造られる国営保税倉庫建築の模範になると共に、組積造技術の最高段階を示す建築ともいわれています。2号館は、煉瓦と煉瓦のあいだに鉄を入れる補強がされていたことで、1923年(大正12年)に発生した関東大震災でも、被害は1号倉庫に比べて30%ほどの損壊にとどまったとされています。なお、当時のエレベーターは現在でも1号館横に展示されており、重要科学技術史資料登録台帳に登録されています。

(1号館(右端)の向こうに見えるのが2号館。ともに、明治期横浜を代表する建築物)

 保税倉庫としての役割は1989年(平成元年)までに終え、その後しばらく放置されていましたが、2002年(平成14年)に「横浜赤レンガ倉庫」として、1号館は展示スペース、ホールなどの文化施設、2号館は商業施設に生まれ変わり、赤レンガ倉庫の付近一帯は広場と公園を備える「赤レンガパーク」として整備されました。以降、みなとみらい地区のシンボリックな観光施設となっています。

(こちらも観てみたい、赤レンガ倉庫が誇る重厚な防火扉)

 こちらの防火扉などは、他ではなかなか見られない特徴的な意匠で、思わず見とれてしまいます。赤レンガ倉庫は建造当初から防火対策は念入りにされていたようで、関東だ震災の際においても、崩れる部分はあったにせよ、火災の被害は最小限に抑えられています。こうした」防火対策が功を奏したものと思われます。

 近年の改修に当たっては、この歴史的な建造物を保存するという観点を前提としながら、新たな要素としてガラスなどの現代的な材料を用いているところが重要です。例えば、2号館の広場側にはガラスのボックス状のテラス席が付加されており、古い煉瓦と新しいガラスが対比されるようにデザインされています。(2025年11月、現状を確認)

 

▢なお、こちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基づき、1枚目と3枚目はブログ運営者がみずから撮影したもの、2枚目と4枚目は横浜赤レンガ倉庫公式HPさまよりお借りしました。

 

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