
前回にひきつづき、アダム・グラントの著書を読んだのには、わけがある。
『HIDDEN POTENTIAL可能性の科学——あなたの限界は、まだ先にある』が案外面白かったので、他の著作も読んでみたいとは思っていた。訳者のかたの解説も良かった、と以前こちらの感想にも書いたが、私にしてはとても珍しく、楠木さんという訳者の名前も心に刻まれていた。で、読むなら『ORIGINALS——誰もが「人と違うこと」ができる時代』がいいなと思っていた。
というのも、わたし自身が、この五年ほどだいぶ人と違うことをしているからで、——いや、違うと言っても実行してみれば驚くほど仲間がいっぱいいたことを知ったわけだが、——少なくとも身の回りで知っている人の中で私と同じことをしている人はいないから、まあ「人と違うことをしてるな」という感覚があったのである。それで、アダム・グラントの代表作とされる『GIVE & TAKE「与える人」こそ成功する時代』よりは食指が動いたのだった。なんにせよ、どうにも副題が「釣り」っぽいのは仕方がない。
オーディブルでも『ORIGINALS』は見つけていた。とはいえ、すぐにオーディブルを聞く気にはなれず、そろそろまた小説でも読もうかと思っていた。たまたま松岡裕子・河合隼雄共著の『快読シェイクスピア』を再読する機会があり、それから何となくシェイクスピアを読みたい気持ちになったのだけれど、なにしろシェイクスピアは戯曲である。戯曲を読み慣れない私は、オーディブルでシェイクスピアを探した。すると、さすがに戯曲をまるまる朗読するということは無理難題らしく、いわゆる「ラジオドラマ」のような形式のものがあることに気づいた。
声優さんたちが演じるシェイクスピアはどんなものだろうかと、『ハムレット~騎士ホレイショ―が語る王子の物語』を聞いてみた。贅沢なことに、ハムレットは石田彰さん、ホレイショーは櫻井孝宏さん。他にも豪華声優陣が揃ったラジオドラマである。
数年前のもののようだが、『ハムレット』が色あせるわけもなく、ホレイショー視点の物語は新鮮でとても面白かった。前からホレイショーは好きだったが、『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』(※トム・ストッパードの戯曲/映画化された)のように脇役と言ってもホレイショーはなんとなく影が薄い。いいやつだからである。やっぱり二次創作とかスピンオフとかは悪党か小悪党のほうが面白い。ちなみに映画では、ゲイリー・オールドマンがローゼンクランツを演じていた、記憶が確かならば。
実際、この『ハムレット~騎士ホレイショ―が語る王子の物語』では、ローゼンクランツとギルデンスターンより、私が勝手に毒薬姉妹と呼んでいる(原作にはたぶんいなかった)女性たちが登場して、この二人がいい味を出していた。そして忠臣ホレイショー。やっぱりいいやつ。最近は、『ハムレット』にBL要素を読み取る向きもあるそうで、時代だなと思いながらも、確かにハムレットが心を許せたのはホレイショーだけだったよね、オフィーリアじゃなかったよねと、つい思った。
……アダム・グラントの話だった。
オーディブルでは、基本的に戯曲はダイジェスト版である。せっかくだからなにかしらシェイクスピアを読みたいものだと思いつつ、古本でないかしらと自分の棚のある神田の共同書店に行くついでにちらちら探してみることにした。
以前私は、メインの棚の他にもうひとつ棚を持っていて、いつも自分の棚のところにまっすぐ向かうので、なんとなくもう既に手放した棚の方にぐんぐん歩いて行った。すでに他の人が棚主になっているのだなと思って近づくと、なんと。かつての私の棚のところに『ORIGINALS』が表を見せて陳列されているではないか。
え、うそでしょ。凄い偶然。などと思いつつ手に取ると、そこは、訳者の楠木健さんの本棚になっていたのだった。まさか楠木氏も、前の棚主が本を買ったとは思うまいなと思いながら、この偶然というかシンクロに、ホクホクしながら本を買って帰った。
……以上が、私が『ORIGINALS——誰もが「人と違うこと」ができる時代/アダム・グラント著・楠木健訳』を読んだ経緯である。前置きが長くて申し訳ない。私はひそかにこの出来事に興奮して、その後あった人に嬉々としてこの運命的な出会いについて話したのだが、アダム・グラントも楠木健氏もご存じないひとだったし、しかも「ふうん。それで?」みたいな反応だったので、とても残念だった。ちょうど読みたいなと思っていた本が、自分の棚の後に入っていたわけで、しかも自分の棚だったから気が付いたわけで、さらに訳者ご本人がその棚に本を供出しているのである。
興奮しませんか?しないかな……
さて、肝心の『ORIGINALS』であるが、『HIDDEN POTENTIAL可能性の科学——あなたの限界は、まだ先にある』よりも面白かったとは、いえない。なぜだろう、と考えてみた。二つの本のどちらも、組織心理学者としての立場から書かれたもので、ふんだんに事例が盛り込まれ、解説も丁寧で、納得したり、感心したりすることに変わりはない。
途中でちょっとした仕掛けがあり、読者がひっかかって騙された!と思う章があるのだが、現象の名称に目がない私はそこでまんまと引っ掛かり、「へえ。その現象にそんな名前がついているのか」と思ってしまったり、それなりに彼の術中にハマることを楽しんでいたのだが、なんだろう、『HIDDEN POTENTIAL』よりもなにかがピンと来ない。
首をひねりながら楠木氏の解説までたどり着いた時、「ああ」と腑に落ちた。
楠木氏の解説のタイトルは『「いわれてみれば当たり前」の妙味』。
そうなのだ。なんか、当たり前のことばっかり言ってるなと思っていたのだ。そこかしこに「温故知新」を感じて、『オリジナル』っていうほど「オリジナル」っぽくない、と、私もどこかで感じていたのだと、膝を打った。
しかし、楠木氏はこういう。
この、「いわれてみれば……」というところに大きな価値がある。「言われて見れば当たり前」ということは「いわれるまでわからない」ということにほかならない。「当たり前」の向こう側にある真実を頑健で鋭い論理を重ねて突き詰め、無意識のうちに見過ごされている人間と社会の本質を浮き彫りにする。そこに著者の仕事の本領がある。
『ORIGINALS——誰もが「人と違うこと」ができる時代』p370
「当たり前」みたいなことが、実は気が付きにくい、いわゆる「盲点」であることを忘れているということが我々の「盲点」である。また、楠木氏はアダム・グラントが「オリジナリティ」と「クリエイティビティ」を分けて考えているということも解説できちんと指摘されていた。どうやら私は、ここを期待して読んでいたのだ、とハッとした。
西欧社会は、特にアカデミックな世界は、「大人の肩に乗る小人」を常に意識する風土がある。だからオリジナルというものは、突き詰めれば「ない」のだというのが、基本概念なんだろうなとこれを読みながら思っていた。
誰かが誰かのアイディアの上に、新しいアイディアを積み重ねていく。そのことを意識せずにオリジナルを語るなかれ、なのだと思う。そしてこの本が最も重要視しているのは、そのアイディアをいかに「活かして」いくかということで、そこにこそオリジナルである価値があると言っているのだと思った。
これまでの思い込みをいくつか覆してくれる本書であるが、そこかしこに「急がば回れ」感を感じた。また、ジョジョ7部である。遠回りこそ近道。もうぜったい、アダムさんにはジョジョ7部を読んでもらいたい。
とここで漫画の話が出たので思い出したが、この本の中に、「なぜ人は可能性の高い企画にダメ出しをしがちなのか」という章がある。
ここで出てくるのがディスニーの『ライオンキング』なのだが、この章では、当初企画を持ち込まれた際、上層部はライオンが主人公の子供だまし的な物語だということに囚われてダメ出しをしたがテーマが『ハムレット』だと言われて初めてOK,がでた、ということになっていて(独創的なアイディアを出すには『ハムレット』とかけ離れた主人公を考え付いたことがよかった、的なまとめだった)、それを読んだときは、おいおいちがうんじゃないのかと私はここでツッコミをいれたくなった。
すでに終わった論争で、いまさら蒸し返すのもなんだが、『ライオンキング』は『ジャングル大帝』でしょと思っているわたしには、正直まるまる入ってこない章だった。「『ライオンキング』は『ジャングル大帝』のパクリ」疑惑が浮上した当時、ディズニーは何も知らなかったと言い張ったらしいし、手塚治虫プロダクションも「ディズニーでアニメ化されたのだとしたら手塚も本望でしょう」と訴えなかったというけれども、上層部が企画を通さなかった理由を「オリジナリティ」に絡めたのは、日本人にとってちょっと受け入れがたいなと思ってしまった。
とはいえ、兄弟順位の話や、先延ばしの効用の話など、ひとつひとつは手あかがついたようなテーマを斬新な方向から光を当てている感じで面白くははあったが、私は(自分にとっては)『HIDDEN POTENTIAL可能性の科学——あなたの限界は、まだ先にある』のほうが、より入ってくる著書だったな、と思った。
『ORIGINALS』には「こんな実験するんだ」と思うようなおもしろい実験が多かったものの、よそさまの実験の引用も多かったからかもしれない。『HIDDEN POTENTIAL可能性の科学——あなたの限界は、まだ先にある』のほうが、アダム・グラントさん自身の経験がより多く反映されていたのがよかったような気がする。
ちなみに、本記事の途中で『ハムレット』が出てきたのでまた蒸し返すのだけど、『ライオンキング』は『ハムレット』なのかなあ。こだわり過ぎてごめん、でもちょっと、わかりません。いわれてみれば……かもしれない。