毎年この時期になると、実家から大量のうどんが届く。入手経路は分からない。両親のどちらともうどんと関係ある仕事ではないし、もしかしたら野生のうどん屋がドロップしたのを集めているのかもしれない。
20食くらい届いている。レンチンするだけで食べられるので便利ではあるんだけど、さすがに量が量だ。毎年食べきるのに四苦八苦している。
それに加えて、近所に丸亀製麺があるのだ。これが少し厄介で、さすがに自分で作るより丸亀で食べるうどんの方がおいしい。なので、丸亀にあるメニューをわざわざ家で作るということをしなくなる。
こうして、選択肢がかなり狭まった状態で大量のうどんを食べるというやや面倒なミッションが常に脳内の片隅に浮かぶようになった。焼うどんにしたり、納豆をかけてみたり、鍋の〆に入れたりいろいろと使ってみたが、まだ10食以上残っている。
そんな中で昨日、ふと鍋焼きうどんが食べたくなった。真冬の冷え込みで温かいものが恋しかったし、確か丸亀製麺にもない。これはちょうどいいと思い、若干本末転倒ではあるけど帰りに丸亀製麺に寄って海老天を買った。僕の中で鍋焼きうどんには海老天だけは欠かせないので。
冷凍庫に鶏肉、冷蔵庫に切ったネギが放置されていたのでこれ幸いと引っ張り出した。ついでに乾燥わかめも水で戻した。
ここから先は簡単だ。せっかくだからと戸棚の奥から引きずり出した土鍋にめんつゆを沸かし、鶏肉とうどんを茹で、いい感じに火が通ったらわかめとネギを散らして軽く煮込む。最後に海老天を乗っけたら鍋焼きうどんの完成だ。
海老天with余り物オールスターズで作ったにしては割と美味しくできたのでそこは満足している。作るのもお手軽だった。ただ。ひとつ釈然としないことがある。
焼いてなくない?
僕が作ったのは鍋焼きうどんだ。写真は撮ってないから証拠は提出できないけど、土鍋の中にうどんと海老天がいる様子を見たら100人中85人くらいは「これは鍋焼きうどんです。」と言ってくれるだろう。
ただ、その作業工程の中で焼くという行為は一切行われていない。「沸かす」「茹でる」「散らす」「煮込む」「乗せる」この5つだけだ。今回はかなり手抜きをして作ったけど、仮に本格的に作るとしてもここから加わる作業は材料を「切る」、天ぷらを「揚げる」くらいだ。「焼く」という作業が介在する余地は一切ない。よしんば何かの具材を用意する際に焼くという行為を行うとしても、それは鍋焼きうどん作りのメインストリームとは言えない。
それなのに、こいつは鍋焼きうどんと名乗っているのだ。他のメインとなりうる作業を差し置いて、卑しくも堂々とタイトルの位置をかっぱらっているのだ。さすがにどっかからクレームが来るぞ。
一つ思いついたのが、「鍋自体を火にかけて焼いているから鍋焼きうどんで~す」という詭弁だ。さすがにこれには異議申し立てをしたい。この理屈が通るのならば、鍋を使った料理は今後すべて鍋焼きとなってしまう。
味噌汁を作ったら鍋焼き味噌汁だし、パスタを茹でたら鍋焼きパスタだ。僕が先週食べた(〆にうどんを入れた)キムチ鍋は、鍋焼きキムチ鍋ということになる。
それはちょっと違うんじゃないかなあ。