こんにちは。mimikobitoです。
ほぼ一日が終わって知ったのですが、
今日は大安吉日・一粒万倍日という、
東洋の暦では大変縁起の良い日だったそうです。
心穏やかで静かな一日になりました。
はじめに
昨日の記事で胸の内を露わに語った過去の闇…。
互いにノリの良すぎる交友関係を持つことで、
心底わたしの痛みに共感し理解して下さった方がいます。
「布団巻きの具になる」ということが、
湾に投げ込まれる遺体のような体験だということを、
彼は我がことのように受け止めてくれたのです。
まずは冒頭で心から感謝を伝えたい!
りょうさん!ありがとう!!
うさぎ風味のわたしの暴走に対して常に、
影で見守るのか背中を押すのかよくわからない弟のような、
りょうさんの励ましのコメントに涙が溢れました(笑)
抹消してしまいたい過去の恥ずかしい思い出を…、
動画などで気軽に記録されなくて命拾いしたことに対し、
『わたしもスマホなどなくて良かったと思うこと沢山ありますよ!』
イジられキャラで苦しんだのは自分だけじゃないんだ。。。
わたしはひとりぼっちなんかじゃない!
このコメント一言にわたしは救われ、
昨夜は心地よい眠りに落ちたのでした(笑)
突然やってきた空っぽ感
こんな日は大変珍しいのですが、
今日は頭の中がスッキリとしているのです。
脳内カオスが売りのうさぎ風味なわたしが、
事もあろうにスッキリしてしまっただなんて。
このブログの生命も終わりということでしょうか?
おそらく3年…いやもっと長い間、
常に予約が埋まっていた部屋が、
空室になったような感じがするのです。
喪失や空虚というネガティヴな感覚ではなく、
ゼロという時系列の開始ポイント感覚でもない。
破壊と再生の再生っていう感じではありますが、
破壊の痛みを引きずっていない自分がいるのでした。
特に幼少期のトラウマと格闘していたここ3年ほどは、
目を背けていた家族親族内のドロドロした確執と、
真っ向から向き合っていた時期でした。
何度も消えようと決意しては踏み止まり、
まさに蠍座の象徴である「破壊と再生」の、
「破壊」の部分に取り組んでいたのです。
これは極めて個人的な集合的無意識との闘いであり、
外界から見るとただの更年期障害と自律神経失調です。
こうした占星術の情報も後で知りました。
新月というのは満月の逆ですから、
空っぽといえば空っぽ感満載ですよね。
昨夜、自分の内部で何かが破壊され消滅し、
今朝は全くの空室状態で目覚めたため、
頭の中がスッキリしたのかも知れません。
キリがいいですね。
空っぽで再スタートした日が大安吉日。
しかも一粒万倍日とは。
一つの種から何万倍も実りが得られるという意味で、
スタートにふさわしいと言われているようです。
暦を見てもいないし狙ってもいないのに、
たまたま人生リセットやり直し気分で過ごした自分が、
なんて大器晩成で運のいい人間なんだろうと、
空の頭に最高の勘違いをインプットできました。
信じるのはわたしの勝手ですから、
他人がなんと言おうと知ったこっちゃありません。
我が道をゆくのです。
ブログネタが決まらない日恒例の救世主ミラクル
太極拳ブログのKさんの新着記事あり
実は今日、頭がスッキリしすぎて、
ブログネタが押し寄せてこなかったのですよ。
これはお休みでいいかなと思ったのですが、
ほらほら来ましたね。
こんなとき必ず現れる救世主Kさん。
今日も情報ありがとうございます!
太極拳に含まれる哲学のことは何度も力説してきました。
そのひとつに入っていたんですね。
道(タオ)の思想。
孔子の儒教感覚はいまひとつ自分にしっくりこなかったのですが、
老子の道(タオ)思想は森羅万象のリズムを感じられる、
圧迫感のないものだったためか、拒絶反応なく読めました。
今もわたしは特定の宗教を信仰していません。
哲学としての「道」も、それ以外の宗教も、
個人の哲学として何を信じようが自由だと思います。
それこそ自由意志の尊重ですね。
既存の宗教単独の信仰であれ、
わたしのようなオリジナルミックス思想であれ、
正しさは無限にあってよいものと、
相変わらずわたしは考えています。
おわりに
昨日のりょうさんコメントに対するコメントで、
そういえばわたし、こう書いていました。
『今更もう見られて困るものなど何もないという、
最終の諦めと開き直りかもしれません』
過去の失態エピソードや、
笑いをとるのにうってつけな古い写真など、
ご家族がいたり社会的に立場があるみなさんなら、
気楽に掲載するのは NGかもしれません。
しかし本当に今のわたしは、
高齢の父以外に直接的な家族というものもおらず、
今更何も隠す必要などない境遇の居直り状態。
今もメンタルコントロールを怠ると、
消えたい衝動が燻ります。
失うものなんてもう何もないという強み。
孤独というスタイルも考えようによっては、
腹を括るいい手段になります。
闇を抱えた自分と共存しつつ、
空っぽの新しい空間の中で、
瞬間という唯一の時間を生きるのです。
「連続性のない瞬間」を生きるということは、
過去の執着や未来の期待が外れることへの恐怖に、
振り回されないで済むということです。
いつでも何度でもやり直しができる。
だって瞬間しかないんですから。
時系列の直線でつながっていないから、
過去のしがらみも介入の必要がない。
時系列を越えた瞬間の概念では、
毎日顔を合わせる相手でさえも、
常に出逢いの瞬間を繰り返しているに過ぎない。
こんな考え方もあっていいと思います。
もしかすると今日のこの不思議な安堵感と、
珍しく気が散らなかった新しい空気感は、
「時系列の空間の破壊と再生」だったのかもしれません。
なんでもいいけど、生まれ変わったようです。
気が散るわたしのキャラ崩壊は、
この先どうなるかわかりませんが、
ブログは自己満足の大切なお宝なので、
マニアック&マイペースに続けます。。。
最後まで読んで頂きありがとうございました。