こんにちは。mimikobitoです。
今日は前半でメインの松果体について、
後半の大半で関連する思いつきから発生する雑談をお話しします。
松果体ってなに?
松果体とは、脳の真ん中の奥にあるグリンピース大ほどの組織です。
ほとんどの生物に存在している器官ですが、真の機能は謎だらけ。
西洋医学的に明確なものと紹介されている機能は、
睡眠を調節するメラトニンというホルモンを分泌するということです。
サーカディアンリズム(概日リズム)や季節のリズム調整などの、
体内時計の役割をしています。
メラトニンの分泌は…
- 日中、強い光を浴びると減ります。
- 夜、暗くなってくると増えます。
これ、何度聞いても教科書的で全然しっくりこないんですよね。
謎っていうところがいちばんしっくりきたりします(笑)
余分な情報も多いですが、下のプロが書いたほうのイラストで、
松果体の位置がわかっていただけるでしょう。
ど真ん中にあるものって、ざっくり言うと本能に近いものばかりです。
呼吸するとか体温調節するとか。
本能の周りを覆っているのが「大脳という人間の証明みたいな」ヘルメットですね。
いや…もっとふわっふわなゆるキャラのかぶりもの。。。う~ん…

…みたいな感じですかね。
(きゃーまた出た。指描きイラスト)
野生のわたし本体の中に松果体含む脳幹部がある。
脳幹部の下に続くのが、わたしの大好きな脊髄であり自律神経です。
直線的ではない背骨の緩やかなカーブ(生理的湾曲)は、
まるで昇り龍のようだなと思うんですよね。。。

普通の目と第三の目
こちらのイラストは私たちみんなが普通に使っている目ですね。
左右の目から入った情報は、
網膜→視神経→視神経交差→脳へと進みます。
途中で左右反転するというめんどくさいことをしながら…
やっと私たちはものが見えるんですよね。
(このへんは説明がややこしいので、別のコーナーで取り上げますね)

「第三の目」はこの仕組みとは全く異なる「目」なのです。
ちなみにわたし、老眼がキツくなってから、
ピントがへんなところで合いだしたのでしょうか?
赤外線センサーでもあるかのように、
暗闇でもなぜか普通に過ごせるんです。
感覚過敏のせいか光が眩しすぎて、
自然に電気を消すようになって気づきました。
なぜわたしは松果体にしつこくつきまとうのか
スピリチュアルだけではもったいない
「松果体とサードアイなんて、もうスピ系では常識!」
「こうしてフリーイラスト素材ができてるくらいお馴染みのことだし」
「いろんなブログでもわかりやすい説明されてるからもういいよ〜」
「覚醒した人ならみんな知ってると思いますけどね〜」
「なにをいまさら後出しジャンケン?」
スピリチュアルに詳しいみなさんには、そう思われて当然です。
自分でも10年ほど前に気づいていたことばかりで、
もうええやんと思いますもん(笑)
こんな立派なフリー素材のイラストまで気軽に使えるほどですから ↓↓↓
サードアイ(第三の目)はもうすでに有名なんですが、
世間一般的にはまだ特殊な世界かもしれません。
特殊すぎるとドン引きされやすいですよね。
全人類の日常に浸透させようと努力なさっている、
スピリチュアル系活動家の方もたくさんおられるでしょう。
その貢献には頭が下がりますし、感謝しています。
少しでも早く医学にも暮らし全般にも、
スピリチュアルな教えが浸透する時代になることを祈ります。

西洋医学の脳はブラックボックスのまま
わたしは西洋医学の脳神経系に関する知識は最低限持っています。
それで28年も生計を立ててきましたので。
救急医療は広く浅く急性期限定の知識でしたが、
実際に脳圧のモニタリングや脳脊髄液圧測定も見てきました。
頭にモニター用の棒が刺さった患者さんの、
全身を観察し、身体を拭きオムツを変え。
意識のない患者さんに笑顔で声をかけ背中をさすり、
時には悩みや愚痴さえ聞いてもらいながら。
耳では聞こえない励ましや、
言葉に変換されていない「ありがとう」に癒され支えられて、
あの壮絶で過酷な勤務をこなすことができたのです。
ブラックボックスの中身を純粋に不思議がる暇もなく、
目の前の命を守るだけで手いっぱい頭いっぱい。
教科書通りに見て聞いて触れてきても、
謎が謎のまま医療システムは複雑化するばかり。
非言語コミュニケーションを超えた松果体パワー

非言語コミュニケーション:NVC ( nonverbal communication )は、
言葉以外の手段を使ったコミュニケーションのことです。
ジェスチャーや表情や視線など、普段誰でも使っています。
救急や集中治療室でのコミュニケーションで、
凡人のわたしが普通に使えた簡単で便利なツールです。
そこをもうひとつ超えたところにあるのが、
松果体の機能を使ったコミュニケーションといえるでしょう。
俗に言うテレパシー的なものでしょうか?
わたしのオリジナル表現でいう、
「あなたの眉間にドルフィンビーム」的なものです。
ジェスチャーもアイコンタクトも表情も使えない、
意識のない患者さんたちとの交流に使ったのは、
いったい何だったんだろう?
なにがわたしを癒やしてくれたのだろう?
確かに感じた患者さんからの「ありがとう」メッセージ。
報われない無償の愛とか奉仕なんかじゃなかった。
わたしは受け取っていたのです。ちゃんと。
ひょっとして知らないうちに使っていたかもしれない?
松果体の秘められた能力…テレパシーに近いなにかを。
悟ったわたし
超急性期の医療現場では、
ドクターでさえも複数の専門医がチームで受け持ちます。
当時3交代不規則勤務のナースはみんな動く白い物体…。
ムーミンのアニメに出てくるニョロニョロみたいなもんです。
同じにしか見えない相手を、
苦しい最中に覚えていられるわけがない。
わたしが新人ナースの頃は、チームナーシングのなかに
個人の受け持ち制度が一部組みこまれていました。
初の受け持ち患者さんには特別の思い入れがあります。
わたしの担当受け持ち患者さんは人工呼吸器装着中で、
苦痛を減らすため大半は鎮静剤で眠っていました。
回復期にはコンタクトもとれ、うなずきで反応してくれました。
その方が慢性病棟に移られてしばらくたったある日、
回復した患者さんと奥さんに再会しました。
駆け寄ってしゃがんで声をかけ、
めいっぱいの喜びを表現したわたしに、
患者さんは困ったような顔で申し訳なさそうに微笑みました。
車椅子を押していた奥さんがツッコミます。
(関西では病院内もボケとツッコミが日常です)
「お父さん、救急の○○さんやんか。さんざんお世話になったんやで」
「ごめんなさいね。救急でのことは何も覚えてないんです」
白衣の天使になれたつもりの未熟な新人にとっては、
正直ショックでした…が、不思議と落ち込みませんでした。
ハッとして瞬時に受け入れた気がします。
それ以来、自分の立ち位置というものがわかりました。
ポエムな感動物語に酔いしれるひまもなく、
次々と運び込まれてくる消えかけた命に、
瞬間を捧げることが自分の使命だと悟りました。
クールにドライに。
見返りという概念は消え失せました。ただし…、
仕事においては…ですよ。
悟らないわたし
わたしはそんな完成された人間ではありません(笑)
同じ頃、幼稚園児だった甥っ子と20代後半のわたしは、
オモチャの車に乗る順番の件で小競り合いになったことがあります。
順番抜かしをした姑息な甥っ子に「あ、次わたしの番なのに」と、
情け容赦なく車を奪い取って泣かし、ゆうゆう走り去るという、
どうしようもない大人でしたね。

母ちゃんに本気で怒られました💢
人間ってどこかで上手にバランスをとるんですね。
甥っ子よ、すまん。たくましく生きろ。。。
叔母ちゃん、あの時ちゃんと反省したけど、
これからも我が道をゆくから達者でな。
※ わたしは小学生ぐらいの体格なのでオモチャの車にギリで乗れます。
ICT社会における松果体コミュニケーション
これからの時代に必要なコミュニケーションスキルは、
なにが主流になるでしょうか?
コロナの終息はまだ見当がつきません。
従来の言葉は据え置くとして。
言葉をカバーしていた非言語コミュニケーションは?
ZOOM会議などで視覚や聴覚の情報が補えるならば、
全てカバーできると思いますが、
ブログやSNS で活字だけの場合はどうでしょう?
既にある問題なのでしょうが、
誤解を招いたりしやすいですよね。
会うよりも神経を使って疲れる面もあります。
インターネットの世界は素晴らしいと思います。
コロナに関係なく今後も生活を共にしたい大切な世界です。
情報過多のカオスから身を守るためにも、
五感だけにとどまらず、物事の本質を見極める目が必要ですね。
ややこしい経路で見ている両眼を閉じたときに、
ストレートに感じる本能的なヒラメキを信じる。
毎日目を閉じて眠るということには、深い意味があります。
それがサードアイを開くということではないでしょうか。
自分の理念を守り、
思考を支配されないように。
最後まで読んで頂きありがとうございました。