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すぐそこにあった海

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日の出に合わせたリズムを取り戻して3日目。

ブログを書き始めて30日目。無我夢中だった。

こうして毎日毎日書き続けてみると、

長い間やらなかった自分を責めなくなっていた。

換気して夜明けのひんやりした空気を入れる。

 

深呼吸して冷静に振り返る。

なんのために自分は書いているのか?

承認欲求?

社会不適応を受け入れて在宅ワークの訓練?

ただ単に楽しくてたまらない趣味だから?

どれもないとは言わない。あって悪いわけない。

でも、あっていいと思うとそうじゃなくなる。

 

朝の3時台に起床すると日没目前にはもう眠くなってくる。

昨日ぼんやりしながら緩い西陽を浴びてキッチンで洗い物をしていた時、

今夜眠りについてそのまま消滅することになってもいいと思った。

私はなんのために書くのか?

多くの人の目に触れなければ書いても意味ない?

それもそうかもしれない。

著名な作家のように、実質誰かの人生になんらかの刺激を与えられるなら、

これほど本望なことはないだろう。私がそれに救われてきたように。

目立たないよう生涯潜んでいたいわけじゃない。

そうではなくて。。。

キッチンで洗い物をしながら微笑んだのは、

今すでにいる大切な一人の読者さんに向けて、

世界人口78億人に向けるのと同じエネルギーで書いている自分のことを、

「こういう人なんか好きだなぁ」と一瞬感じたからだった。

自分が死ぬときいちばん幸せだった感じるのは、

こういう瞬間の断片なんじゃないのかと。

だから私は書くのかもしれない。

黙っていれば本当はカッコいいのだろうけど。そのカッコ悪さもまた私なのだ。

ただの自惚に過ぎないかもしれないが、

その幸福感は誰かに依存しなくても永久に失うことがない。

もし読者が一人もいなかったとしても、

自分自身という読者を失うことはない。

承認欲求は自己完結できる。

そのうえ誰かが読んでくれるなら、申し分なく悔いのない人生だと思う。

 

カッコつけても本当にひとりぼっちのままなら、

初期の30日連投すら挫折していたかもしれない。

ノートに記す日記では芽生えない感情。

最大のモチベーションは、苦しい時期に支えてれた恩人への感謝。

忙しい時は忘れてくれていい。

応援するエネルギーを自分自身のために全力で使って欲しい。

生きるのに疲れたとき、アホなことをして息抜きしたいとき、

気が向いた時にぷらっと覗きに来れる場所を、

私は自分といっしょにノンキ気ままに創り続ける。

企業や大学の健康管理室で、

本当に創りたかった世界をやっと創れる。

多動で落ち着きがなくても、自分も他人も縛らなくて済む世界。

ブログという居場所ならそれが可能だから。

昨日のキッチンで私は、

すでに目の前にあるその幸せをつかんだ。

 

寝室とデスクのある部屋からは朝日を直接見ることができない。

離れではないが、増築前の父がいるスペースが東側になる。

父との関係性には子供の頃からの息苦しさが残る。

そちらには可能な限り近づかないようにしている。

本人も干渉を嫌うため、無理して標準的な良い娘像を演じる必要はない。

「余計なお世話」を捨て、必要な時に本人の望む援助ができればいい。

基本、待機見守りの一線は超えない。

 

朝日がブロックされていた。ずっと諦めていた。

どうせここからは日の出見えないからもういいや。他所で見るからと。

海を眺めることもそうだった。

どうせここからは海一望できないからもういいや。他所で見るから

 

昨日は暑かったせいか、夜間も2階フロア全体に熱気がこもっていた。

なんとなくモワッとするから隣の4畳半の部屋の窓も開けに行った。

そこは喫茶室と命名していて、普段のダイニングルームでもあり、

小さくても窓が2ヶ所ある換気の良いスペースなのでサブキッチンにしている。

自家製パンを焼く以外のちょっとしたオーブントースター調理や、

カセットコンロでの湯沸かしぐらいはできる。

水道は引いていなくても階段を降りればすぐ調達できるから不便はない。

階段昇降は足腰の筋力維持にとって重要だからわざとウロウロする。

自粛期間中の筋トレだけじゃなく喫茶店ごっこもできるから楽しい。

その喫茶室の北側の窓を開ける。割と大きな窓で昭和独特のすりガラスだ。

お向かいは同じ2階建ての家の玄関先。、

なんとなく気兼ねであまりじっくり景色を眺めたことがない。

マンション生活で染み付いた、いい意味での見て見ぬ振りというか、

至近距離は視界から外して互いのプライベート空間を守り合うみたいな感覚。

しかし、お向かいの高齢者さえ眠っている時間帯は別世界だった。

夜明けの空と共に、

かすかに海に浮かぶ島の先っぽが見えた。

海そのものは見えないが、その島の先っぽが

『すぐそこにある海』を教えてくれた。

他のどこかじゃない、

今ここにも海が存在していたことを忘れていた。

ずっとここにもあったのに。

緊急事態が落ち着いたら、また友と海でコーヒーを飲もう。

日常の混沌に溺れそうになるとき、

ここにあった海が思い出させてくれる。

時間を忘れて友人と浜辺で語り合ったことを。

だから今日も生きていける。

ありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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