今週のお題「夏野菜」

スイカ食べたのいつだっけ?
子供の頃、夏になると、家の畑にはスイカがごろごろ転がっていた。どれを食べようか、選ぶとき、指でぱちんと弾いて、音を聞いてから決めていた。あの頃、確かにスイカは夏の風物詩のひとつだった。時には家に持ち帰らずに、畑で割って食べたこともあったが、やはり、井戸水で冷やしたスイカには叶わない。考えてみると、畑仕事はもっぱら母の役割で、役所に勤めていた父は一切しなかった。素人の母でも、畑一杯の野菜をそれなりに育てていたのだから、今思うと感心する。せめて野菜だけでも買わずに置こうとの節約観念からなのだろうが、残念なことに、その後母は病気になって亡くなった。
家の畑は当然のごとく雑草だらけだったが、隣の畑は作物の畝が整然と並び、草ひとつない美しい畑だった。それもそのはず、幼馴染の家と同様に、そこの家も野菜を市場に卸して生活していたからだ。子どもながら、自分ちの畑と隣のそれとのあまりの差をいつも不思議に思っていた。だが、所詮、うちはうちで、あちらは商売なのだからと割り切っていた。
スイカは甘くておいしいが、種が五万とあるから、邪魔だなあと正直思っていた。それにスイカが食べたいなあと思ったところで、自分ひとりで平らげるには量が多すぎる。もしも、スイカを包丁で切って食べたとして、その残りはどうすればいいのだろう。あれこれ考えると、”触らぬ神に祟りなし”で家族がそろった時に食べればいいかとなるのが自然だった。スイカへの思いはあっけなく萎み、他の物でもいいかとなった。スイカはデカすぎて、身にも手にも余る。それなら、プリンスメロンや黄色いメロンもスイカの隣りに転がっているのだから、食べてもいいわけだが、それには手が伸びない。なぜかと言うと、それらは見かけがよくて、いかにもおいしそうだが、甘さにおいては遥かにスイカに劣るからだ。やはり、甘味においてはスイカに勝るものはないのである。
それなら、夏の畑にあるもので、よく食べたものはというと、意外かもしれないがナスなのだ。ちぎりたてのナスは信じられないほど、白い部分が柔らかくてフワフワでそのまま生で食べられた。紫色の皮までもがかぶりつくと、すぐに噛み切れた。採れたてのナスを家に持って帰って、包丁で半分に切る。次に塩を付けてこすり合わせると、ナスの浅漬けの一歩手前のようなものが出来上がる。そんなものを好んで食べていたらしい、俄かには信じられないが、遠い記憶の中にそんな場面が蘇って来るのだからどうしようもない。
さて、スイカの話に戻ると、大人になって都会に出てきた頃から、スイカとの縁がプツリと切れた気がする。夏と言えば、スイカはつきものだったはずなのに、頭の片隅にも浮かばなくなった。あんなに好きだったスイカ無しでも、ちゃんと生きてこられたのである。大人になって、最後にスイカを食べたのはいつだったか、思い出せない。狂おしいまでにスイカが食べたくてどうしようもないと言うことがない。子どもの頃は確かに持っていたスイカへの想いは霧散していた。
そんな私でも、ある日スーパーに立ち寄ったとき、メラメラとスイカへの愛が湧いてきたことがあった。私が惹きつけられたのは、小さくカットされたスイカが入っているパッケージで、いかにも美味しそうに見えた。透明なプラスティックの容器がなんだかとてもおしゃれで、さぞかし美味しいのだろうと浅薄な私は夢を見た。1個398円のそれを買って帰って、ウキウキしながら食べようとした。中に入っているピックでスイカを突き刺して、口に入れたが、あれ、何かおかしい。口の中にじわっと広がるはずの果汁が出てこない。果肉もスカスカで、これではまるで水分を根こそぎ抜かれた高野豆腐と変わらないではないか。期待した私もいけないのだが、これがカットフルーツの真実なのだから、後の祭りである。
mikonacolon