
褒められても、戸惑うばかり
先日、いつものようにプールで歩いていたら、顔なじみの男性から声を掛けられた。「いやあ、凄いねえ、歩くの早くなったじゃない!」そう言われて、私は戸惑った。「だって、最初見たときは、ほとんど進まなくて、この人、どうかしちゃったんじゃないかと本気で心配になったからね。あの時のことを思ったら、今は信じられないくらい進歩しているよ。本当にすばらしいよ」
彼は私のことを手放しで褒めてくれるのだが、当の私は今ひとつピンとこない。なぜなら、私の足は、彼が言うほど良くなってはおらず、本当はその通りならどれだけいいかと欲張りになってしまうくらい、それくらい私には他人事のような言葉だった。「これなら、地上でも問題なく歩けるでしょう。もう怖くないよね」それはそうだが、プールと地上ではあまりにも条件が違いすぎる。実際は、プールでいくら歩けても、地上に上がればシンデレラの魔法が溶けたかのように、途端にいつもの使えない足に戻ってしまうのだから。いや、そんな事は重々承知で、「でも、足はそれほど良くはなっていないのですよ」と愛想笑いを浮かべて答えるしかない。それ以上言ったら、余計なことを話そうものなら、たちまち本音が出て、グダグダと愚痴ってしまいそうで自己嫌悪になりそうでやめて置く。
そんな事より、赤の他人が自分の行動を気にしてくれ、有難いことに励ましの言葉を掛けてくれることに驚く。普通なら、知らない者同士なのだから、何も言わずに済ませることもできるだろうが、ここのプールに来る人たちはどうやらおせっかいで、何か言いたくて堪らないらしく、他人の行動を無視することなどできないのだ。ましてや、私などは相当に目立っていたらしく、ひとこと言わずにはいられない対象だったらしい。それで、「どうしたの?」と声を掛けられたのだが、当時の私はまったくその言葉の意味を理解できなくて、てっきり、どうしてプールに来ることになったのかという意味に受け取った。絶望していたし、自分のことしか考えられない私は、掛けられた言葉をそう受け取った。
思えば、そのときは4カ月前の話で、当時の私には今の私の足の状態は想像だにできなかった。つまり、私はもっと良くなるだろうと楽観的に考えていたせいもあって、今はもう諦めに近い心境になっているのだ。私が毎日プールに通って、黙々と30分歩くというルーティンをこなせばこなすほど、足の完治は程遠いものに思われる。焦って毎日やっても、それ程の効果は見込めないのかもしれないと疑心暗鬼に陥る。何事も”過ぎたるは及ばざるがごとし”なのかとも思うが、不安に駆られるのか身体が勝手にプールの方向に動く。週に2回か3回で十分なのかもしれないが、そんな悠長なことは言ってはいられない。
確かに私は何かに追い詰められているのかもしれないが、そんな私の暴走を止めてくれるのが、プール友だちのマサコさんだ。マサコさんは、お腹と腰の痛みを抱えているが、そんなことは微塵も感じさせないほど明るい人だ。おしゃべりで誰とでも仲良くなれる稀有な人だ。何か縁があるのか、私はプールの外でも、偶然にマサコさんと出会うことが多い。いつぞやなどは私が歩いているのを反対側にいたマサコさんが見かけて声を掛けようとしたら、私が信号を渡ってしまってできなかったこともあった。先日もプールの帰りに家に向かって歩いていたら、マサコさんが植え込みに座って休んでいた。どうやら遠くのスーパーに行った帰りで、疲れて一休みしていたらしい。少しの間立ち話をしていたが、急にマサコさんがショッピングカートをガサガサやり始める。何をしているのかと思ったら、買って来たさんまを取り出して、「うちは2人だから、1尾あなたにあげるわ」と言いながら、パックからさんまを1尾取ってビニール袋に入れてくれる。おかげで、その日は今年初めてのさんまをご馳走になった。
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