
完全に心を見透かされていた
昨日、プールの更衣室で着替えをし、入場開始の笛を待っていたら、知らない人から声をかけられた。「毎日来てますよね」、その女性は私にそう尋ねた。ぼうっとしていた私は思わぬ質問に戸惑いながらも、「足が痛いので、来るしかないんです」と本当のことを言わざるを得ない。すると、その人は「リハビリか何かですか」とさらに質問してきた。それで仕方なく、別に手術をしたわけでなくて、足を怪我した時に、病院の先生に水中ウォーキングを勧められたと答えた。決して強制ではなく、やんわりと勧められただけのことなのだが、とにかくできることは何でもしようと思ったことも付け加えて置いた。それだけで、もう十分私が毎日プールに来る理由を分かってもらえるとばかり思っていた。
だが、第三者の見方は違った。その人が言うには、どうしてもしなければならないとしても、普通はそんなに毎日プールに通うことは不可能だというのだ。つまり、私は義務感から、嫌々、プールに足を運んでいるわけではないはずだと判断された。「思うに、あなたはプールが相当に好きなのですね」。そう言われて、私は自分の心を見透かされた気がしてドキッとした。そうなると、戸惑っている場合ではない。「そうなんです。プールが気持ちいいから来ているようなものです」と素直に認めざるを得なくなった。それにしても、その人のことを私は全然知らなくて、それなのに向こうはちゃんと私のことを気にかけていた。その事実に私は少々驚くと共に、どれだけ自分が今自分のことで精一杯で、周りにいる人のことに構っている余裕などないのだと思い知った。
初めて声をかけて貰えたが、私はもう今ではその人の顔も水着の色もデザインもさっぱり覚えていない。プールでは私は人が身に着けている水着でしかその人たちを覚えていない。毎日プールに行っていると、自然といつも見かける人たちのことを目で追っている自分に気づく。それも、すべて水着と帽子の色で区別しているだけだ。プールの更衣室を出る時、見かけたとしても、誰が誰やらわからずじまいである。まあ、それはそれでいいでいい。そう思えて来る。
なんだか昨日はやたらと人から声をかけられ、お喋りに熱中する日となった。いつものように水中を歩いていたら、顔なじみの人に挨拶をされた。それで済めばよかったのだが、私がふと思いついたように、「マラソンとか見ないですか」とか口走ってしまったために井戸端会議のようなことになった。いや、自分でもあんなことになるだなんて予想もしなかった。その日はちょうどテレビで世界陸上の男子マラソンがやっていて、私も普通の身体ならテレビにかじりついて見ていたはずだった。今はそれどころではないが、やはり気になってこの時とばかりに話題を振ってしまった。
その人も箱根駅伝とかマラソンが好きでよく見るらしく、実際箱根まで応援に行ったこともあるそうだ。それなのに、意外にもその日のマラソンのことは知らなかった。と言うのも今あることに熱中していて、それがユーチューブで「お金の学校」の動画を視聴することだと知って仰天した。私もその名前だけは耳にしたことがあるが、まさか目の前の人が当事者だなんてことは知る由もなかった。その人が言うには、4年前に夫がなくなるまで、自分はお金のことは全部夫に任せて過ごしてきた。それが夫がいなくなってしまったら、今度は自分が管理しなければならなくなった。さあ、大変だ、困った。預金通帳でさえ見たことが無くて、何にいくらいるのかさっぱりわからない。夫の死後3年間ぐらいはぼうっとしていたが、ある日銀行の通帳を見て驚愕した。使ってもいないのに、ネットフェリックスだの、生協だのと言った名目でお金が勝手に落ちていた。これはいくらなんでも、ぼうっとしている場合ではないと一発奮起することにしたのだそうだ。
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