
そう思えたのは、ミリさんのエッセイのおかげ
実を言うと、私は今あれこれ考えすぎて、夜眠れていない。なぜかと言うと、どうしても、お盆の帰省当日のことを頭の中でシュミレーションすると、「無理だ!できない!」となってしまうからだ。私の希望的観測においては、8月のお盆の時期には、いくら何でもケガをした足がよくなっているはずだった。ところが、現実には、思ったほどにはさっぱり良くなっていなくて、歩けるには歩けるが、普通のレベルには程遠い状態だ。どう見ても、階段の上り下りは困難を極めるし、また、混んでいる電車の中で30分以上もたったままでいなければならないと想像するだけで、怖くなる。果たして、こんな足の私は、無事に新幹線に乗れるのだろうかと考えると、睡魔が襲って来る隙も無い。家から最寄りの駅まで、普通に歩いて15分だが、以前より早く歩けるようになったとはいえ、”やっとこさ辿りつく”というレベルには違いない。試しに半年ぶりに駅に行ってみると、皆の歩くスピードが速すぎて、面食らった。まるで浦島太郎のごとく、暫し呆然とするばかりだった。
それでも、駅にはエレベータやエスカレーターがあるのだから、なんとかホームには行けるだろうと、自分に都合のいいように考えるようにした。帰省の一番最初の過程を何とかすることに躍起になった。まずはとりあえず、電車を乗り継いで、新幹線の駅に行ければ、上手いこと新幹線に乗ってしまえれば、それからは何とかなるだろう的な発想だった。それから先のことなど、考える余裕はなかったが、不安を払拭しようと、帰省先の駅の構内案内図をコピーして、エレベーターの位置を確認したりもした。夜布団の中で、帰省当日の場面を思い浮かべ、頭の中でシュミレーションしてみるが、やはりリアルには欠ける。そうなると、実際に自分の身体を使ってやってみたらどうだろうかとなるのは当然で、いざ、結構という雰囲気になった。だが、家から新幹線の駅まで行って帰って来ることに何の意味があるのだろうと考えたら、疲れるだけで何の益もないことに気が付いた。
正直言って、こんなにも自分の身体が頼りないのが情けないが、現実なのだから受け入れるしかない。できれば、今の自分の身体でできる最大限の努力はしたい。そのくらいの覚悟がなければ、自力での帰省は困難を極めるし、いや、むしろそんな無謀なことはやめて、お盆の帰省を諦めた方が良いのではないかとも思えてくる。以前はこんな身体では到底無理とハナから諦めていたが、そうなると、精神的に追い込まれるだけなので、敢えてお盆の帰省を決行することにした。そうなると、もう動き出した心は止められはしない。心も身体も一気に帰省モードに切り替わり、水中ウォーキングにも一層熱が入って、歩く距離も2倍に増やした。家に帰る際にはさぞかし足にダメージが残るだろうと承知の上だったが、意外なことに足の痛みはいつもと変わりなかった。
帰省当日のことを考えて、夜も眠れない私を救ってくれたのは、イラストレーターの益田ミリさんのエッセイだった。朝日新聞の土曜日の朝刊に連載されている『オトナになった女子たちへ』というエッセイの中で、ミリさんはぎっくり腰になった経験を綴っていた。友だちとトム・クルーズの映画を見に行こうと玄関で靴を履こうとしたら、何やら腰に異変を感じた。幸いにもその時はゆっくりならなんとか歩けた。だが、映画を見ている間は平気だったが、見終わって帰ろうと立ち上がろうした時、腰が固まって身体がくの字状態になった。となると、電車はもう無理なので、タクシーに切り替えたとのこと。
ミリさんのエッセイにあった「タクシーに切り換えた」という一節が昨日ふと頭の中に浮かんだ。たったそれだけのことなのに、雷に打たれたようになったのは、私がすっかりタクシーを利用すると言う選択肢を忘れていたからだ。あくまでも、「自力で」という使命感に縛られていたために、「ズルをする」というか、「楽をする」という秘策を封印していたせいだった。身体が不自由な時は大いにズルをするべしと思えるようになったら、気持ちが楽になった。ミリさん、ありがとう。
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