
一休みするスペースが見つからない
日経新聞の夕刊のコラムに落語家の林家正蔵さんが踊り場について書いていた。『浅草演芸ホールと東洋館を掛け持つと同じビルの急な階段を上り下りする。1階から4階まで、息が切れて、くたびれる。有難いことに、途中に踊り場があるので一休み』するのだと。なんでも、正蔵さんの知人の家では、何と踊り場がワーキングスペースになっているという。そうか、踊り場には休憩する以外にもいろいろな役割があるのだと今までのステレオタイプな考えを刺激された。
正蔵さんはデパ地下でイチゴミルクを買った時、何処かで飲もうと思ったが、イートインスペースが見つからなかった。それで階段を降りて踊り場に行ってみたら、椅子は無かったが、皆が踊り場にあるでっぱりに腰かけて飲んだり食べたりして、思い思いに過ごしているのを発見した。だがそこは女性ばかりで気が引けたので、他の階の踊り場に行ってみると、そこはまさにおじさんパラダイスだった。正蔵さんは安心して、あまおうたっぷりのイチゴミルクを堪能することができた。正蔵さんの言う「でっぱり」とは、おそらくお尻がやっと乗せられるくらいの代物なのだろうが、それでも座るに近い姿勢を何とか保っていられるから有難い。
近頃は昔に比べて、踊り場、いわゆる休憩スペースをとんと見かけなくなった。あのビックカメラでさえ、以前は階段の踊り場にいくつか客が休むための椅子を置いていたが、最近では撤去されてしまった。清涼飲料水の自販機が置いてあるスペースにさえ、椅子は置かれていない。そうなると、立ったまませわしなく飲むしかない。以前は地下にタリーズか何かがあったが、今ではお茶を飲む場所さえ見当たらない。いったいどこで休憩すればいいのだろうと私などはいつも思う。そうなると、館内で流れる「ごゆっくりお買い物をお楽しみください」とのアナウンスが空しく聞こえる。館内をフラフラしてあれもこれも見ていたら、どっと疲れ、休憩しようにも場所がなくて難儀するのは目に見えている。まあ、それならそれで、買い物は目的をもってさっさと済ますことに越したことはない。休憩するだなんてことはハナから考えないに限る。
休憩スペースと言えば、歩いて30分かかるスーパーでも、いつの間にか店頭からベンチがなくなった。以前は入口にベンチが置いてあったので、私は行く度にそこで缶コーヒーやジュースを飲んで休憩していた。買い物をしているうちに、喉が渇いていることに気づく。ほとんどの人は買い物かごに飲みたい飲み物を入れ、買って帰ってから家で飲もうとする。だが、私は違う。私は今すぐにでも飲みたいのだ。できることならその場で飲みたい。飲みたいときが旬であり、家に帰ってからでは遅いのだ。飲みたいという欲求が消えてしまったら、飲み物の美味しさは半減する。飲みたいという欲求を抑え込んで、家に帰って飲もうとしたら、すでに欲求は消えていた。夏の暑い日などはコーラを飲んで暫し涼をとっていた。それが買い物に行く楽しみでもあったのだが、そのささやかな楽しみも今ではなくなった。どこか別の場所は無いかと探し、スーパーの前には小さな公園もあったので、一応行ってみた。だが、誰もいない公園は落ち着かなくて、居たたまれずにすぐに出てきてしまった。今では休憩なしで行って帰ってくるのが当たり前になった。
もう遥か昔のことだが、駅の構内にジューススタンドがあって、そこでは果物の生ジュースが飲めた。メロン、イチゴ、バナナの3種類があって、私のお気に入りはメロンの生ジュースだった。もちろん立ったままそのままグイッと飲み干すのだが、通勤途中の一服の清涼剤だった。今でもあるかどうかはわからないが、あれは高くても価値ある一杯だったことには変わりない。
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