
なのに、結果は散々
先週の金曜日に、いつものように12時20分頃に、整形外科の受付で午後の診察の予約をしようとした。ところが、院内に入ると、不思議なことに人がほとんどいないことに気が付いた。受付の人に午後の予約をしに来たと声をかけると、「今日は空いていますので、今からでも診察はできますよ」と信じられないような答えが返ってきた。「どのくらい待つのですか」と尋ねると、「準備ができ次第できますよ」と言われたので、そのまま待つことにする。その後、すぐに看護師さんから名前を呼ばれ、処置室に入ることができた。その時の私は、こんな幸運があるのかとばかりに喜びに満ち溢れていた。いつものように3時まで2時間半待合室で待つことを覚悟の上できているので、自分の身に起こった突然の幸福に興奮せざるを得なかった。
「今日は待たないで、よかったね。いつも大変だものね」と看護師さんに声を掛けられる。私も、「物凄くうれしいです」と調子に乗って答える。だが、その後、私を幸福の絶頂から突き落とすようなことを先生から聞かされるのだ。それは左膝の関節に溜まった水の量が、その数値が減るどころか、逆に増えているという不都合な真実だった。頭が真っ白になり、何も考えられない。別に普段と変ったことは何もしていないのに、どうしてそんなことになるのかと困惑するばかり。
「何かしましたか」と先生に詰問されても、答えられない。「う~ん、よほどのことをしない限り、普通の人は減っていくんです。しゃがんだりしましたか」などと言われても、身に覚えがない。ただ、内心では、もしかしたら、座ったり、立ちあがったりする際に、いつもならいい方の右膝をつくのに、左膝も付いてしまったから、それがいけないかもとは思った。それに、体力が衰えたと感じていたので、座ったまま上半身だけのラジオ体操を始めたのもダメだったのか。あとは思い当たることは何もなく、暗澹たる気持ちのまま処置室を出た。その際看護師さんから、「せっかく待たないで済んだのだから、気持ちよく帰れるとよかったのにね」と慰めの言葉を掛けられた。
「数値は如実に物語る」とは先生が診察の時にいつも使う言葉で、どんなに言い訳をしても聞いては貰えない。自分でも気づかないところで、膝に負担をかけていることは確かなのだ。「動かないことが一番なんです」と先生は口を酸っぱくして言う。そしてこんな例も挙げて、安静にすることが何よりも優先され、重要であることを強調する。「ある患者さんが何かの病気で1週間ほど入院したんです。その後、診察に来たのですが、その時はもう水を抜く必要がなくなっていたんですよ」
つまり、そんな短期間の間に関節液はもう溜まらなくなるのだということ。この話を聞いて、私は仰天した。私の予想では、水は徐々に消えてなくなるとばかり思っていたからだ。相当な時間を要すると考えていたことが、そんなにも速くできてしまうことに目から鱗だった。だとすると、今の私の生活は先生の勧める「安静」からは程遠いことになる。完全に動き過ぎで、私からしたらまさに「何にもしない生活」だが、実際には最低限の家事をしている。このままこの生活を続けていたら、それこそ地獄を見ることになるかと恐ろしくなる。
ここは思い切って、思考を転換し、入院生活にほぼ近い状態に少しでも近づけてみたらどうだろうか。そんなことを本気で考えた。例えば、朝のご飯の支度をしない。洗濯をしない。作り置きの総菜の準備をしない。夜もできるだけ調理をしない。すぐ食べられるものだけで生活する方向で徹底し、動くのは最小限に留める。これはもう努力以外の何ものでもなく、数値との闘いと言ってもいい。今さら、泣き言を言っても遅いが、こんなにも安静にすることが、数値を下げることが、困難を極めるとは想像だしなかった。
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