
自治会費を集めるのは簡単でないと知る
知人の桐原さんは「毎月月末になると、ドキドキして、憂鬱になるのよ」と歎く。その訳はというと、今年の4月から市営住宅の階ごとに決められた理事になって、毎月自治会費を集める役割を担っているからだ。最初のうちは自治会費なんて、簡単に集まると高を括っていたが、実際には9世帯全部をすべて集めることはそう簡単な事ではなかった。桐原さんの住んでいる階は8階で、801号室は外国人でネパール出身の人らしい。ネパールと言えば、すぐに頭に浮かぶのはヒマラヤでエベレストと決まっている。だが、どうしてネパール人が遠い日本にはるばる来るのかという疑問が自然と湧いてきた。
そんな時、新聞でネパールからの留学生が名古屋のアパートの一室で亡くなっていたという記事を読んだ。死因は自殺で、どうして彼はそこまで追い込まれてしまったかを明らかにしようという試みの連載記事だった。その中で、どうして彼らは日本に来るのかという理由として挙げられていたのは、ネパールという国の政情が不安定なのと現地に仕事がないことが最大の原因だった。思わぬところで、ネパールという国の実情を知って、遠い国だと思っていたが、心理的に少し距離が近づいた気がした。
それはさておき、その801号室の住人については、もしかしたら、払ってもらえないかもという懸念が桐原さんにはあった。偏見を承知で言えば、外国人は規則に対してアバウト、つまりあまり拘らないとの認識があった。自治会費の支払いの期限は月末となってはいるが、結局は払えばいいのだと緩く考えていると思っていた。事実、玄関ポストに催促のメモを入れて、ようやく払ってもらえた。なので桐原さんはこのままでは困ると思い、パソコンで守ってもらいたい事項を入力し、文書にして直接持って行った。訪問した時は、あまり日本語がわからない奥さんが出てこられたので、こちらも狼狽えた。口頭でこちらの思いを機関銃のような勢いで伝えるよりは、文書でよかったのかなあと今なら思える。幸運なことに、次の月からは月末にはちゃんと玄関ポストに自治会費の封筒を入れてくれるようになった。
だが、一難去ってまた一難で、今度はいつもきっちりと自治会費を払っていたと思われる高橋さんの様子がなんだかおかしい。桐原さんが理事になった途端、月末になっても何の音さたもない。仕方なく、催促のメモを入れると、慌てて自治会費を持って来てくれた。自分が忘れていたことが余程気になるのか、次の月は「忘れるといけないので、早めに払っておきます」とのメモを添えて、月の初めに玄関ポストに自治会費の封筒を入れてくれる。「なんだか、近頃は身体の調子が悪くて、いつどうなるかわからない」などという文面を読んだら、大丈夫かと心配にもなった。それでも、こちらは、遅れて、メモを入れようかどうか迷うよりはまだましと自分の都合のいい方に考えていた。
ところが、今回は高橋さんのお宅の前まで行ってみると、いつもと様子が違った。いつもなら、部屋に風を入れるために玄関のドアを少し開けているのに、いつ通っても締まっている。つまりどう考えても、留守なのは明らかだが、果たして、何日もどこに行かれているのかと怪訝に思った。催促のメモは一応書いたが、不在なのだから、入れても意味がない。そうこうしているうちに、団地の集会室に自治会費を納める日が来てしまった。高橋さんの分は自分で立て替えて置けばいいと桐原さんは考えたが、一応、まだ貰っていない人の分はどうしたらいいのかと役員に尋ねてみた。
すると、別に立替える必要はないと言われて、桐原さんは拍子抜けした。「実を言うと・・・」と話を切り出し、高橋さんのことに言及すると、「あの人は8月いっぱい入院するみたいよ」と言われて仰天する。どこか悪いのですかと聞いてみると、「別にどこが悪いってわけでもないのよ」とつれない返事が返ってきた。「娘さんがねえ、いるんだけど、その娘さんが、出張で忙しくて、会いに来られないのよ」とのこと。要するに、高橋さんは娘さんが恋しくて、寂しい思いをしているだけなのだった。
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