
一つ間違えば、誰も気づかない可能性も
市営住宅に住む知人の桐原さんを久しぶりに見かけた。思わず声を掛けると、桐原さんは意外な話をしてくれた。それは桐原さんの隣りの部屋に住む高齢の男性が孤独死したことだった。その男性は、滅多に音を出さない人で、とても静かに生活している人だった。その人だとはっきりわかるのは、外廊下から聞こえてくるトン、トンという杖の音だけだった。おそらく、一日に一回は必ずどこかに外出されていて、以前は来客の声も聞こえていたが、最近は滅多になかった。
そんなある日、桐原さんが、スーパーで買い物をし、銀行に立ち寄ってから、家に戻ってくると、隣室の前に何やら人だかりがしていた。何ごとか!とよく見ると、それは救急隊員の人たちだった。近くにいた女性の隊員の人に尋ねると「パルシステムの人が宅配を持ってきたのに、インターホンを鳴らしても応答がないんです。それで、今確認の最中です」とのこと。救急隊員の人が5人くらいいただろうか、慌てる様子もなく、皆落ち着いている。部屋のドアの前で何かをじっと待っている様子。これからどうなるのか気にはなるが、まさかずっと野次馬をしているわけにもいかず、ひとまず部屋に入った。それから何か進展があったのだろう、いつのまにか、救急隊員の人たちは撤収したと見えて、外は静かになった。静かになったと言うのは、人の歩く音が消えたという意味だ。
その時、桐原さんは一瞬、何ごともなかったのかとそう信じて疑わなかった。だが、その人は既に亡くなっていたらしい。要するに、新聞やテレビで話題になっている孤独死で、部屋で人が死んでいたとしてもそう騒ぎ立てることもないのだ。隣室で人が死んでいるのに、のらりくらりと普通に生活していたことに、何の感慨もない桐原さんでも動揺せざるを得なかった。だが、それも一瞬のことで、ひとはそうやって死ぬこともあるのだという普遍の真実を改めて確認しただけだった。そう言えば、桐原さんが自治会の仕事で、隣人の部屋を訪ねたとき、その人は「私は孤独死するんじゃないかと心配なんですよ」と訴えていた。その時は笑って取り合わなかったが、その人は真剣だったのだ。その人が抱いていた杞憂は、まさに現実になったのだ。
その人は毎週水曜日にパルシステムを利用していた。いつも業者の人がインターホンを鳴らすとすぐに応答があった。見張っているわけでもないのに、なぜわかるのかというと、台車のカラカラいう音が階全体に良く響くからだ。耳を澄ましていなくても、普通に人なら誰でも、ああ、宅急便か何かが来たのだなあと容易に察しが付いた。それに、毎回「こんにちは、パルシステムです」と大きな声で呼びかけるのだから、嫌でも聞こえる。
考えてみると、その人はパルシステムを利用していたから、いつも届けに来る人が異変に気付いて通報してくれた。だが、そういうサービスを利用していない場合は、一体全体どうなるのだろうか。最悪の場合は誰にも発見されないで、数カ月、いや1年くらいそのままという事態も容易に想像できる。昨今は新聞を取っていない人がほとんどだが、取っていたとしても、新聞配達員の人が気づいてくれることは難しいのではないか、と私などは思っている。なぜなら、玄関ドアの差込口は押し込めばいくらでも入ってしまうからだ。どんどん入って、下におち、放っておけば山となる。それでも、まだ入れられるので、そう簡単に異変に気づいては貰えない。
変な話だが、不適切な言い方かもしれないが、その人はまあまあ幸運だったのだと言うことができる。孤独死したくなかったら、どうすればいいのか、その辺の対処法を考えておく必要がある。そんな思ってもみなかったことに気づかされた出来事だった。
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