
私の馬は文字通りの『私の馬』だった
年末年始の約3週間の休館後、公立図書館のサイトにアクセスしたら、画面が開けなかった。ブックマークを付けて、いつでも閲覧できるようにしていた私は大いに戸惑った。図書館サイトが何の予告もなく更新され、画面が一新されて、こちらはオタオタするばかり。いつもならすぐに自分の情報を見られるのに、カード番号とパスワードを入力しないと、何もできなくなった。以前から比べると、面倒臭いことこの上ないが文句を言いながらも、利用したければ従うしかない。すぐに、降参し、まあ、そのうち慣れるだろうと軽く受け止めることにした。
面倒臭いことにはなったが、公立図書館サイトはこの上なく使える優れ物なので、少々の不便は気にせず、大いに市民としての権利を使い倒したい。1月14日までは休館だったので、翌日の15日に早速、気になる本を検索してみた。実は休館中にも待ちきれず、アクセスしてみたが、「メンテナンス中」ということで使えなかった。新聞の書評の中で、特に気になったのは、川村元気さんの『私の馬』だった。普段なら、さっと目を通すくらいの程度なのだろうが、その時は違った。書評の中に出てきた「厩舎に通いつめ、文字通り馬と寝食を共にして、全身全霊を傾けて書いたという著者の」という熱っぽい表現になぜか好奇心を揺さぶられてしまった。作家が小説を執筆するとき、題材によっては取材が欠かせないことはよく聞かされることだ。『しろがねの葉』で直木賞を受賞した千早茜さんも、洋菓子店を舞台にした小説では、取材に熱が入りすぎて、予算が”原価割れした”と歎いていた。
だが、その時の私は「どうしても読みたい、今すぐに」」という性急な欲望ではなく、「もし機会があれば・・・」程度のまことに中途半端な好奇心に囚われていただけだった。それで、「そんなときは図書館サイトがあるではないか」と気楽に構え、いつものようにサイトで検索してみた。考えてみると、図書館の検索システムを知らなければ、目の前を通り過ぎて、心の片隅にも引っかからない刹那の出会いに過ぎなかったはずだ。それがサイトの存在を知っていたおかげで、川村元気さんの『私の馬』に遭遇することができた。それもただの書名としてではなく、ちゃんと筋肉も中身もある小説として出会うことが来たことに感謝したい。
恐ろしく感の鈍い私は、タイトルの『私の馬』を見たとき、全く何も気づかなかった。そのタイトルが意味する深い意味を想像することすらできなかった。要するに、私の馬は文字通り、私の愛する馬であり、私が所有する馬なのだった。ここで、ええ~っ!?と声を上げずにはいられないのは、40代の普通の女性会社員がどうやって馬主になんかなれるのかということ。小さな乗馬クラブにいる黒い馬に雷に打たれたように魅せられ、この小説のヒロインは通い詰める。だが、知り合いになった別の女性が彼女のお気に入りの馬を買い取ろうとしているのを知ってしまう。買い取られた馬は馬主しか乗れないという規則を知り焦った彼女は会社の金を横領するというお決まりのコースだ。
最初は直ぐ返すつもりで、ほんの出来心だったが、彼女の馬に対する愛情がエスカレーするにつれて、会社の金庫の金に手を付けることに何の罪悪感も感じなくなった。罪悪感よりも、馬への愛情が何よりも優先で、馬のためならなんでもできる気がした。それが馬への愛情だと信じていたからだ。だが、考えても見て欲しい、日常的に札束がすぐそこにあって、いつでも取り出せる環境に身を置いていたなら、彼女と同じ事をやりかねない。お金に困っている身なら、札束を見たら変な気を起こしたとしても不思議ではないと思わされた。
それにしても、馬主になるには天文学的な額のお金がかかることに仰天した。馬を買い取るのに450万、月々の契約料が20万で、それだけではない。馬の鞍や、その鞍に見劣りしない乗馬服やブーツ等に莫大なお金がかかる。馬がレースに出ればさらに費用がかさみ、その先のことを考えるとまたお金を工面する必要に迫られる。この小説を読んでいて、馬主になるということがどれだけ金持ちの道楽なのかということを痛感した。彼女は結局、「私の馬」のためになんと億単位の金を横領した。
mikonacolon