今週のお題「となり街」

今ではもう行くことのない町
子供の頃、よく母に連れられて、となり町にある母の生家に遊びに行った。私の記憶の中では、特に祖母に可愛がられた思い出などなかったが、それは母が兄弟が多くて、といっても、女ばかりの5人姉妹だったことにも原因があった。それぞれに子供が3人くらいいて、孫が多すぎるから、特別扱いなどできなかったのだろう。当時近所に住んでいた家が農家の幼馴染の女の子は、お盆やお正月になると、いつも母親の実家からプレゼントを貰っていた。可愛いワンピースだったり、時には、リボンが付いた夏のサンダルだったりして、彼女は私にそれを見せて自慢した。「わあ~、いいねえ」と言って羨ましがるのがいつもの私の役目だった。ただ、子ども心に「なぜ、私は貰えないのだろう?」という疑問もあるにはあったが、それは誰にも言えなかった。他人を羨ましがることに、ささやかな罪悪感を抱いていたのかもしれない。
母が実家に行くときは、いつもバスに乗って行った。家から1軒先にある八百屋の前を通り、すぐの角を右に回ると、公民館があった。その前を真っすぐに歩いて行くと、やがてお寺の建物に行きつき、ようやく田んぼの向こうに大通りが見えて来た。そこが村で唯一のバス停がある場所で、バスは1時間に1本しかなかったが、ないよりはましだった。都会と違って、舗道などない道なので、ダンプカーが人とぎりぎりのところを走って来るから、恐ろしいことこの上ない。そう言えば、保育園に通っていた時、同じ組のまっちゃんと呼ばれていた男の子が亡くなった。その頃の私は保育園に行くのが嫌で堪らなかったものだから、その子と遊んだ記憶はないが、顔だけはおぼろげに覚えていた。まっちゃんは大通りでダンプカーにひかれて亡くなったのだと先生から聞かされた。
その日まっちゃんは一人で祖母が来るのを通りで待っていた。信号などない道だから、気を付けて渡らなければ、車にひかれてしまうことはわかっていたはず。おばあちゃんが来るのを今か今かと待っていると、通りの反対側から、「まっちゃ~ん」と自分の名前を呼ぶ声が聞えた。おばあちゃんだった。おそらくまっちゃんは喜びのあまり道路を渡ろうとしてしまったのだろう。だが、不幸なことに、そこにダンプカーが走ってきてひかれてしまった、と言うのが、まっちゃんの交通事故の真相だった。それからというもの、村の皆は車が通る道では、子供の名前を決して呼んではいけないと言うのを教訓にしていた。
そんな悲しい思い出がある大通りのバス停から、少しバスに揺られると、母の実家の近くにある停留所に着いた。そこからは実家は歩いてすぐのところにあった。母は長女だが、どんな事情があったかは知らないが、次女が養子を取って家を継いでいた。高橋という性はあの辺りでは珍しくはなく、やたらと高橋さんがいることを後で知ることになる。母が病気になり、自分ひとりで母の実家を訪ねたとき、よく知ってるつもりの母の実家に行くのに道に迷った。仕方がないので、表札に高橋とある家で尋ねてみると、すぐに教えてくれたので助かった。決め手は私が、「植木がたくさんある家」と特徴をあげたからで、母の実家は農業の傍らに、園芸店も営んでいた。初めて母の実家に連れてこられた時に、子どもながら広い敷地に植木が五万とあるのを不思議に思っていたらしい。
母の一番下の妹は小学校の教師をしていて、夫婦共に教師で共稼ぎをしていたので生活に余裕があった。実家のすぐ隣の敷地に住んでいて、子供が小さい頃は跡取りである次女に子供たちを預けて仕事に行っていた。次女はいつも妹のおさがりのストッキングを履いていて、まあ、こんなことはどうでもいいことだが、なぜか頭の隅っこにこびりついて離れない。
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