
今ではない、何処かに行けるから
今日は何も書くことがなくて困っている。いや、本当はどう書いていいのかわからず戸惑っていると言うのが正しい表現だ。私は昨日寝る間際まで読んだ本の内容が、頭にこびり付いて、あろうことか夢まで見た。本のタイトルは『その子供はなぜ、お粥のなかで煮えているか』で著者はルーマニア出身のアダラヤ・ヴェッテラニーという女性だ。著者の両親はサーカス団に属していて、著者も幼い頃から芸をしてサーカスとともに生きてきた。両親はルーマニアの国立サーカスのスターだったが、チャウシュスクによる独裁政権が始まり、外国に逃げてきた。サーカス団の金庫からお金を盗み、家族の航空券を買った。心残りは親や親類を国に残してきたことで、後で彼らは拷問にかけられて殺されたと知らされた。
外国に逃げて、ホテルを転々とする生活が始まり、あちこちでサーカスの芸を披露して回った。サーカスというものは見る者にとっては楽しいが、芸をする当事者にとっては常に命の危険を伴う。著者の母親は、自分の髪の毛を使ってぶら下がり、空中で芸をしていたという。彼女は空中でお手玉と言うか、ジャグリングをして見せていた。ここで疑問に思うのは、果たして髪の毛で、ぶら下がれるものなのか、ということだ。出し物の前になると、皆で母親の髪をお湯で濡らさなければならない。「乾いていたら、滑って母さんは真っ逆さまに落ちてしまうから、この作業はとても重要だ」と書いている。次に母親の髪をいくつかに分けて、皮で包み縛って、準備は終わる。
著者は出し物の前になると、今日こそは母親が落ちて死んでしまうのではないかと気が気ではなくなる。一番うれしいことのリストの最初にあげるのは、出し物が無事に終わった後の母親との食事だ。毎日のように繰り返される死と生との綱渡りを、幼い頃から経験している著者の精神状態を思うと言葉にならない。「髪の毛だけでぶら下がる芸」でサーカスで生きている母親は、どうしたって普通ではないのは簡単に想像がつく。外国に逃れて生き延びたまではよかったが、やがて酒場で見世物芸をしないとお金を稼げなくなる。まだ13歳の子供なのにも関わらず、映画スターを夢見る著者はロビー活動と称して、大人の前でサーカスとは違う役回りをしなければならない。
両親の離婚のショックだったが、すぐに母親には別の男性ができた。やりたくもないポーズをさせられてお金を稼ぐ著者の頭の中は、得体も知れない支離滅裂な言葉が行き交い、楽しんでいると言いながらも、さぞかし心は真っ暗闇だったであろう。自分が信じていたものがすべて崩壊し、心のよりどころがない、そんな地獄を生きていた。この小説は著者の自伝的要素が強く反映されているが、巻末の略歴によると、「15歳でスイスのチューリッヒに落ち着いて、ドイツ語を学び始める」そうだ。幼くして、両親や叔母とともに亡命し、尋常ではない経験をした著者の心の傷は果たして癒える日が来るのだろうか。そう思っていたら、この小説を出版して、栄えある賞をいくつも受賞したのに、「39歳で自殺してしまった」との記述を読んで、絶句した。
この小説のことを知ったのは、日経新聞の書評のコーナーで、ノンフィクション作家の久田恵さんの記事を読んだからだ。久田さんは昔、サーカス団で雑用をして暮らしていた時のことを本に書いていた。シングルマザーでまだ幼い息子を連れて働いていた時、「あなたも何か芸を身につけた方がいい」と勧められても、断固として固辞していた。なぜなら、団員が出し物の稽古の最中に落下すると言う恐ろしい事故がたまに起きていたからで、この小説を読んだ時涙が止まらなかったと書いている。
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